「さて、僕に話があったんじゃないのかい?」
ミコが風呂に行ってしまうと、室内には男が二人残ることになる。
行灯(あんどん)越しのランプの光の中、ノートを引っぱり出してきたものの広げたはいいがほとんど手につかない状態のタケノスケに、セイイチロウがにやっと笑って話しかけてきた。
「さっきのあれは、僕にだけ聞かせたい、というようにも取れたんだがね?」
「あー……やっぱりわかりましたか。」
苦笑すると、タケノスケは観念してノートを閉じた。
あらためていすの上に座りなおす。
例によって、足を折りたたんだすわり方だ。
こちらのほうが落ち着くのだという。
「食糧の備蓄(びちく)はしなくていい、ということはわかったけれど。
一体全体、君は毎年どうやって冬を越しているんだい?
ミコじゃないけど、本当に冬眠でもするのかい?」
虫やネズミの仲間ならともかく、人間も鳥も冬眠をする生き物ではない。
人間は燃料や食料を備蓄して家にこもって春を待つし、鳥ならば食料が確保できて凍死するおそれのない土地へと移動していくものである。
タケノスケは留守居という役割上この森から一歩も外へ出られないから、温暖な土地へうつって春を待つ、ということはできないはずである。
となると、やはり秋のうちに食糧を備蓄して春まで食いつなぐ……という方法しかないように思われるのだが。
「冬眠……というのは、半分あたりで、半分ははずれです。」
相変わらず困ったように微笑を浮かべながら、タケノスケは答えた。
緊張しているわけではなく、全身がまとっている気配もとてもおだやかなものである。
「???」
「……たしかに、冬の間中眠っている……んですけど……。
ただ眠っているんじゃなくて……その……。」
そこでしばし言いよどみ。
一度卓上のノートに目を落としてから、タケノスケは軽く嘆息して覚悟を決めると、面を上げた。
「…………石になっているらしいんです。冬の間は。」
「…………いし???????」
思わず復唱されて、少年は微苦笑したままこくんとうなずいた。
「ええ……だから、冬の間は一切飲み食いしないんです。」
「…………そりゃ、飲み食いする石なんて聞いたこともないが……。」
トンチンカンな相づちは、それだけ混乱している証(あかし)なのだろう。
三度ほど開きかけた口を閉じ、それから大きくひとつ息を吐き出すと、セイイチロウはようやっと浮かせていた腰を下ろした。
おどろいた拍子にずり落ちたメガネを、右の人差し指で押し上げる。
「…………なんていうか…………君については、もうすでに驚きつくしたと思っていたんだが……。」
まさか、さらにその先があろうとは。
気を落ち着かせようと湯のみに残っていたぬるい茶を飲み干すセイイチロウに、タケノスケはあきらめた、といった表情でこちらも小さく嘆息した。
「念のために確かめておくけど……その“石になる”ってのは比喩(ひゆ)……たとえとかそういうのではなくて、その……本物の…………?」
「はい、本物です。
……といっても、誰かが見ていて教えてくれたわけじゃないんで、目が覚めたときに残っているものとか見て、多分そういうことなんだろうな、と。」
少なくとも幻紅鳥は仙獣とはいえ生身の存在には違いないのだが、しかし生身の鳥であるはずなのにどういう仕組みでそういうことになっているのか、タケノスケにもさっぱりわからない。
とにかく、秋の終わりに眠りについて、目が覚めたら春でした……ということが毎年続けば、そういう解釈(かいしゃく)にしかならないのである。
「……いいですよ、とことん人間離れしているってのは、おれが一番よくわかってますから……。」
夕飯のときからのあきらめの微笑の正体はそれか、とセイイチロウはようやく納得した。
男二人、行灯越しに届くランプの光の中、差し向かいで同時に嘆息(たんそく)する。
「……だから、冬の間ここに来られなくなることをどう説明しようかと、迷っていたんです。」
「なるほど、僕たちが町で冬越しすることは、君にとっても好都合だった、というわけか。
……それならそうと、最初から言ってくれればいいのに。」
どうして先ほど説明せずに、わざわざ機会をあらためようとしたのか。
そうたずねると、タケノスケはちらりと外へ続くとびらに目をやった。
「生き物から生き物へ……ってだけでも十分人間ばなれしているのに、石は生き物ですらないですから。
……それをあの子には知られたくない……ってのが、本音かな。」
「ここへきて、その程度のことでミコが君を人間あつかいしなくなるとは思えないけどねぇ。」
もしそうなら、そもそも初めてタケノスケが変じる現場を目撃した時点ではげしく拒絶(きょぜつ)していたはずである。
理由がわからないまでも、まだ言葉を取り戻していなかったタケノスケを真っ先に受け入れ、それどころかケガの手当てという形で彼に直接触れることさえいとわなかったのは、セイイチロウではなくミコなのだ。
ミコが彼を受け入れなければ、セイイチロウもまたタケノスケを理解し受け入れようとはしなかったはずである。
そのことを指摘すると、タケノスケは目を閉じ、しみじみとうなづいた。
「だからなおさら……おれは、あの子の前ではできるかぎり“人間”でいたいんです。」
「なるほど、わかったよ。」
ミコのためとは言っているが、どうやら半分は彼のプライド――自分はあくまで人間なのだという――からくるものなのだろう。
「ミコには、僕から適当に言いふくめておくよ。
どちらにしろ、君がここで冬を越すのも今年で終わりなんだしね。
なんとかなるさ。」
「ありがとうございます。」
深々と頭(こうべ)をたれる少年に、セイイチロウはあわてて手をふった。
「礼を言われるほどのことじゃないよ。
それより……君の“冬越し”はいつごろ始まるんだい?
昼夜の境目のように、君の意志では決められなかったりするのか?」
「いえ、だいたい時期は決まってるけど、きっかりいつから……というのはなかったはずです。」
秋が深まるとだんだん頭がぼうっとしてくる。
そこで「さぁ寝るぞ」と例のねぐらにこもるのが通例なのだ、とタケノスケは答えた。
「もうすこし具体的に教えてもらえたら、こちらもそれまでにしたくを整えておくよ。
君が無理をすることはない。」
「グタイテキ……。」
問われて、タケノスケは首をひねった。
「……もう少ししたら、ねぐらに敷いてある草を全部入れかえるつもりでした。
いつもの年なら、それが終わったらさっさと寝ています。
その……ただでさえ目立つ色なんで……。」
なるほど、原生林で常緑・落葉樹が混在しているとはいえ、やはり落葉後の森にあの鮮やかな紅色は必要以上に目を引く。
動物の大半は色がわからないといわれているが、それを差し引いても体の大きい幻紅鳥が身を隠せる場所が、冬場の森にはそう多くないだろうということは容易に察しがついた。
「でも、起きていようと思えば少しは延ばすことができると思います。
あなたたちが町へ帰る日くらいまでは、せめて……。」
「そうかい?
でも無理しなくていいんだよ?
そうでなくたって、今年は僕たちの生活に合わせてずいぶんと生活のリズムが狂っているんだから。」
夏場の体たらく(……)をさんざんミコから聞かされていたことを思い出す。
「いえ、おれがそうしたいんです。」
けれど今度は静かに、しかしきっぱりと首を横にふったタケノスケを見て、セイイチロウはふむ、とうなっただけだった。
ミコといいタケノスケといい、どうやらこの家の血統は一度言い出したら聞かない性質の者が多いらしい。
[そしてそれと同じ血が、僕にも流れているんだよなぁ。]
ともかくミコには内緒で口裏を合わせよう……というところまで相談がまとまったところでミコが風呂から戻ってきたため、その日の話はそれでおしまいとなった。