そうこうしているうちに、ミコが夕飯を運んできた。
今日のメニューはうどんと、葉菜のおひたし。それから大学芋。
葉菜は家のすぐそばにこしらえた小さな畑で収穫したものだ。
「いただきます。」
三人三様に手を合わせてはしを取る。
しばらく麺(めん)をすする音だけが室内に響いていたのだが。
「そういえば、まだ話してなかったかな?」
「? 何でしょう?」
不意に声をかけられて、タケノスケはあわてて口の中のものを飲み込んだ。
手打ちでなく乾麺(かんめん)をゆでたものだが、ゆですぎたのかちょっとのび気味な今日のうどんは、彼には少し物足りないようだ。
セイイチロウがはしを持ったままなので、少し迷ったがならって下ろさずにおく。
「冬の間のことなんだけどね。」
「はい。」
「僕たちは、町へ引き上げることになった。」
目を丸くするタケノスケ。
寝耳に水とはまさにこのことである。
わざわざ“引っ越してきた”のだから、てっきり一年中ここにいるものだとばかり思っていた。
……そりゃ、いつかは彼らもここから居なくなるんだということは、覚悟していたけれど。
しかし……。
「……ええと、それは……。」
「大丈夫だよ兄ちゃん、春になったらちゃんと戻ってくるよ。
そうだよねパパ?」
ぎょっとした表情のまま動きが止まってしまったタケノスケに気づき、あわててミコが付け加える。
この森の冬季は、周囲を山や湖などに囲まれているため冷え込みは厳しいが、反面、積雪はわずかである。
冬季の風向きと地形の関係で、雪雲がここまでたどり着かないのだ。
だが。
「この森と町をつなぐ道が通れなくなっちゃうんだって。」
町寄りの山道が、毎年積雪で冬季は全面通行止めになるのだという。
父娘が半月に一度町まで生活物資の調達に出向いているのは、彼らの運搬能力がそれでぎりぎりだからだ。
人をやとうなりして運搬能力を上げれば、冬越しをするだけの物資を運び込むことも可能かもしれないが、いかんせんそんな資金など無く。
それ以前に、ミコもセイイチロウもこんな人里はなれた地で冬越しをできるほどの生活能力が、少なくとも現時点では、残念ながらない。
森の生態系には明るくても、それが生きのびるための知恵には直結しないのである。
確かにスザクソウの群落を探して報告する、という目的はあるけれど。
森ぐらしの初心者に変わりない二人には無理をさせず、越冬は来年以降でいいだろう……というのが、セイイチロウが所属する研究所の総意だった。
「ミコの勉強のこともあるしね……なに、この子も言ったとおり、雪が溶けて道が通れるようになったら、すぐにまいもどってくるつもりだよ。
多分、今年と同じくらいの時期に。」
この森自体は積雪が少ないため、早い時期から地面に直接日の光がふれる。
その分植物たちが目覚めるのも山向こうより早いので、こちらに来てしまいさえすれば、早春の森の恵みにあずかることもできるのである。
「……ああ、それじゃ仕方ないですね。
わかりました。」
「多分、次の買出しが最後になるだろうね。
町の人の話だと、あちらではあと一月くらいで雪が降るそうだから。
それでだね……。」
「パパと相談したんだけど。
なるだけ保存のきく食べ物を用意しておくから、冬の間はそれでがまんしてくれる?」
「ミコ、パパが話しているときに口をはさむんじゃない。」
注意されて、ミコはしぶしぶ言葉をのみこんだ。
ついでにうどんのつゆも少し飲む。
……しょうゆが薄かったらしく、ちょっと物足りない……。
その隣でタケノスケは反対に、はしをゆっくりどんぶりの上に置いた。
どうやら、食べながら聞いていい話ではないような気がする。
「ようするに、冬の間僕たちは留守にしてしまうことになったんだが、その間も気がねなくこの家を自由に使ってくれてかまわない、ということなんだ。」
留守番中の人に別の留守番をたのむというのも気が引けるけど……、とセイイチロウは鼻のあたまを軽くかいた。
「食料に関しては、まぁ乾物が主体になってしまうだろうが……栓抜きや缶切りの使い方は、教えてあったよね?」
「その前にさぁ、兄ちゃん専用の出入り口をどこかに作っといたほうがよくない?
玄関を開けておいてもいいけど、そうすると他の動物に取られちゃうかもしれないし。」
この家に初めてやってきた春先の日のことを思い出して、ミコが鼻に軽くしわをよせた。
無人の家屋は、野生動物にとっても風雨をしのぐにはもってこいの場所だ。
長年さまざまな動物が入れかわり使っていたらしく獣臭がこびりついていた室内を、換気して気にならないほどにまでそうじするのにずいぶん手間取ったことを思い出したのだ。
来春もどってきたときにまたあの大そうじをするのだろうか考えると、ミコでなくともげんなりするというものである。
「そうだなぁ……といってもそんなことしている余裕があるだろうか……。」
つぶやきながら、セイイチロウは書斎のほうにちらりと目をやった。
引き上げの時期が決まった以上、なんとしてもそれまでにやれるだけのことはやっておきたい、というのが彼の本音だろう。
スザクソウ探しも大事な目的のひとつだが、それ以上にこの森の植生を調査するのが彼の仕事なので、これらが優先されてしかるべしなのである。
が、ミコのほうは逆にやる気まんまんのようで。
「やっぱり、ハト小屋みたいに押すとくぐれるようなやつがいいのかな?」
……自分でかべに穴を開ける気のようである。
しかしセイイチロウがさすがにそれには即答できずにいると。
「あのー……。」
それまですっかり置いてきぼり状態で話を進められていた当人が、おずおずと手を上げた。
「お気持ちはありがたいんですけど……食べ物は用意してもらわなくてもいいですから。」
「えー、じゃあ冬の間どうするのよぅ?
そりゃこの森は食べ物がいっぱいあって動物にもすみやすいところだってのは知ってるけど、それでも冬の間は虫もいなくなっちゃうし草も枯(か)れちゃうんでしょう?
食べるものなんかあるの??」
「まぁ……探せばあるんだろうけど……。
よそへうつらずここで冬越しする連中もけっこういるみたいだから。」
「みたい……って。
じゃあ兄ちゃんは冬のあいだ何食べてるの?
まさか雪や氷を食べてしのいでいるわけじゃあるまいし?」
怪訝(けげん)な顔を向けられると、なぜかタケノスケは愛想(あいそ)笑いを浮かべて明後日の方向に目を泳がせた。
どんぶりの中では、たたでさえコシの無いうどんがますますだらしなくつゆに浮かんでいる。
「いやさすがにそんなものは……というか、おれ、冬の間は物食べないから。
だから……。」
「食べない???」
ミコの頭はますます混乱するばかりである。それってまるで…。
「兄ちゃん、まさか冬眠でもするの!?」
「んー……あー……えーと…………。」
つめ寄るいきおいで食いついてくるミコから逃げようとして、タケノスケは危うくいすから転げ落ちそうになった。
……どんぶりを卓上に置いておいて正解だった。
「……そのあたりのことは、また今度話すから。」
「本当?」
「うん……いつかは話さなきゃ、とは思っていたから。
……とにかく、そういうわけなんでおれの冬越しのことは、心配しなくていいよ。」
安心させるようにミコに笑いかけると、タケノスケはちらりとセイイチロウのほうを見やってから、避難(ひなん)させてあったどんぶりに手をのばした。
「でも……。」
「大丈夫だよ、今に始まったことじゃない。
今まで九十九回、同じことをくり返してきたんだから。」
この話はもうおしまい、といわんばかりに食事を再開したタケノスケに、ミコはあきらめて同じように再びはしを取ったのだった。