生死の境をさまよったウメキチは、幻紅鳥の力で命を取りとめ、無事に天寿をまっとうした。
代わりにタケノスケが幻紅鳥から課せられた“奉公”も、約束の百年が過ぎ、ようやく終わろうとしている。
たがいの利をおぎないあう形で交わされた約束は、双方の意にそう形で成就しようとしている。
誰にとってもめでたい、はずだ。
結局あの後、セイイチロウはとっておきの一本を開けてタケノスケの分まで祝杯をあげてくれたし、ミコも約束どおり小豆ともち米で立派な赤飯をたいてくれた。
なのに。
あれから五日がたとうというのに、相変わらずタケノスケの心はいまだに高揚することはなかった。
うれしい、はずである。
半人半鳥の生活が終われば(しごく当たり前だが)一日中人の姿でいられるし、ミコの言うとおりこの森から自由に出ることもできる。
昔のように火に対する恐怖を覚えなくてすむようになるだろうし、何より人間として当たり前の日々を取り戻すことができるのだ。
正真正銘の“人間”に戻れるのである。
いや現にうれしいのであるが。
[そういえば。
郷のじいさんたちが昔「年を取ると大抵のことには驚かなくなる」とか言ってたな。
……百年も生きてりゃ、そりゃ心も老けるか……。]
森の緑の天井からひょっこり飛び出しているお気に入りのブナの木のこずえで、タケノスケはぼんやりとそんなことを考えていた。
考え事をするときは大抵ここへやってくるのが、いつのころからか習慣となっていた。
すっかり秋の空となった上空は、文字通り抜けるような青い色に染め上げられ、いわし雲がまるで行進でもしているかのようにずらずらと並んでいる。
紅い羽毛をゆらす風に凶暴さはなく、乾きすぎずさりとて湿りすぎてもいず、さわやかで心地の良いものだが。
それでも、タケノスケの心を軽やかにする手助けには、どうやらあまりなっていないようだった。
[百年、か……。]
最初の五年ほどで、“言うのと実行するのは大違い”ということを、これでもかというほど思い知った。
三十年くらいで、年を数えることをあきらめた。
遠い霧の向こうにゴールを見失ってからは、ただただ足元を、目の前の日々を消費することだけに専念してきた。
突然霧が晴れたと思ったら、目の前にゴールテープがあった。
もう走らなくていいのだといきなり言われても。
走ることしか考えてこなかったタケノスケは、ではゴールテープを切って足を止めてからどうすればいいのかなど全く考えていなかったことに、ようやく気づいたのである。
セイイチロウはああ言っていたけど、やはり“じわじわ~”とやらはいまだに来る気配が無い。
心がはずまないのは、もしかしたら喜びよりもその“漠然とした不安”のようなものが勝っているということなんだろうか、とタケノスケは無意識にため息をついていた。
それに。
もうひとつ気にかかっていることがある。
なんだろう、この感覚。
何か、とても大切なことを忘れているような気がしてならないのだ。
それが何なのか、昨日からずっと考えているのだが、あいにくといまだに答えが見つからないでいる。
目を上げると。
そこにはよく見知った景色――まるで緑の草原のように続く林冠と、連なる山々がある。
その山々の少し奥まったところに、ひときわそびえる霊峰が目に入った。
ここからは他の山のかげになって見えないけれど、それでも紅葉へと移りつつある木々の一部がかすかに見て取れた。
高地の秋は平地のそれよりもかなりせっかちで、十日もたてばすっかり様変わりすることもある、らしい。
あの山の頂上付近にある山神の祠(ほこら)を訪ねたのはほんの数日前のことだが、その直後にもたらされた吉報のほうが印象強くて、なんだかずいぶん前のような錯覚を覚える。
けれど。
【そもじ、来年はどうするつもりじゃ?】
別れぎわに、山神から妙なことをたずねられたのを、ふと思い出した。
……もしかしたら、幻紅鳥とタケノスケとの約束が今年で成就することを、知っていたんだろうか。
何しろ相手はカミサマなのだから、それもありえないことではないんだろう。
[……で、おれは何て答えたんだっけ?]
何しろあのときはさっさと山を下ることしか考えていなかったから、そのあたりの記憶があいまいなのだ。
[……まぁ、いいか……。]
ひゅるり、と風が紅色の尾羽をもてあそんでいった。
この森には落葉樹も常緑樹もある。
秋が深まっても全てが紅葉するわけではないのだが、それでも夏の盛りと比べると、木々の緑は多少の差こそあれ色あせてきているように感じられた。
空の青。
雲の白。
木々の緑。
山肌の濃灰色。
この森に居た百年の間、散々に見慣れたこの景色もあとわずかで見納めなのかと思うと、今まで何とも思わなかったのに、急に妙な感がいを覚えた。
……こんな高い木の、こんなに高い枝から、こんなに広い森を見渡す機会なんて、鳥の身でもなければなかなか得られるものじゃない。
ここへ来たから、この奇妙な“預かり物”があったから初めて、見られた景色。
[ウメにも見せてやりたかったな……。
それから、ミコにも。]
ウメキチはともかく、ミコがここまで上ってくるのは……さすがにおてんばの彼女もそれは少し無理なんじゃないだろうか?
そう考えて、タケノスケは静かに目を閉じた。
風に乗って何かが聞こえてくる。
あれは今年生まれのクマタカの若鳥だろうか。
このあたりをうろついているのなら、おそらく今年の春にこっぴどい目にあわされた、あのつがいの仔なのだろう。
巣立ってからしばらくたつ時期だが、クマタカの親ばなれの時期はたいてい翌年なので、甘えているのか、腹が減ったとぼやいているようだった。
そういえば自分も、ここへ来たばかりのころはずいぶんと食べ物に苦労したことを、思い出した。
ここに来てから初めて口にしたものも少なくない。
今では、太ったミミズやイモムシなんかを見かけただけで「おいしそう」と反射的に感じてしまう自分がいる。
(実際は丸のみなので、味わうも何もないのだが。)
もっとも、そのあたりの“鳥”としての生活に折り合いをつけて食いつないでこられたからこそ、百年という時間を乗り越えてこられたのだが。
気がつくと、クマタカの若鳥のぼやき声はいつの間にか聞こえなくなっていた。
親が何か見つけてきたのだろうか。
いささか情けない気もするが、それがクマタカという生き物なのだ。
それに。
[今のうちに、存分に甘えておけよ。]
何はともあれ、冬を乗り切って春の日を浴びることができれば、親としては一安心だろう。
無事に冬を越すことができるかどうかが、仔にとって最初の試練となるのは、どの動物も同じである。
冬を越すことができれば。
『……そうか、冬がくるんだ……。』
一足先に秋色に染まりつつある霊峰をぼんやり見つめながら、タケノスケは感がい薄げにつぶやいた。
わかっていたはずなのに、すっぽりと忘れていたこと。当たり前すぎて、改めて意識することさえ忘れていたこと。
まだまだ先だと思っていた足音は、しかし確実に近づきつつある。
冬が、くる。