「??」
「パパ、早く!」
「ああ……。
さっきも言ったとおり、ウメキチさんは町に出てから読み書きを覚えたわけだが……。
タエコおばさんが調べてくれたところによると、ウメキチさんが残した手紙やら日記やらのなかに、何度も君の名が出てきたらしいんだよ。」
実家には戻らなかったが、兄姉にはまめに手紙を出していたらしい。
早くに両親を亡くした兄弟にとってこの二人は父母代わりだったのだから、ごく自然なことといえる。
「「きっとどこかで生きているに違いない」と最期まで信じていたと思われる記述もあるから……忘れたくなかったんだろうね。」
その中には日付や、タケノスケが郷から姿を消した時期についてふれられているものもあった。
それを知ったセイイチロウは、それらを手がかりにあることを試みることにした。
帰宅するなり書斎にこもり、そろばんを延々はじいていたのだという。
そして。
「それらの記述から計算すると……君が郷を出たのはウメキチさんが十二歳のころのことらしい。
亡くなったのは八十二歳だから……この時点で七十年が経過していたことになる。」
説明しながら、セイイチロウは手近にあった別の紙にえんぴつで線を引き、両端に十二、八十二と書きそえた。
「そして……曽祖父さんが亡くなったのは、僕が八歳のときのことだった。
そして……僕の今の歳は……三十八。」
隣にもう一本、少しずらして線を引き、こちらには八、三十八と書きそえる。
ここまで来ると、とうとうミコもがまんできなくなったらしい。
父親より早く口を開いた。
「七十足す三十は百。
兄ちゃん、今年が百年目なんだよ!」
割り込むように少年の視界に飛び込んできたミコの顔は、興奮で上気していた。
ふたたび腕をつかむ。
「約束の、百年目なんだよ!!」
歓喜の声が室内にひびく。
熱をおびた彼女とは、しかし対照的に少年はきょとんとした表情のまま、呆然と中空に視線を浮かせたままで。
「……え……?」
ようやくそれだけポツリとつぶやいた。まるで他人事のように。
「今年で、兄ちゃんの約束は、終わるんだよ!」
「君が幻紅鳥と取り交わした“約束”が、今年で満了になる、ということだ。
おそらく年が明ければ、君は晴れて自由の身になれるはずだ。」
そろばんの玉を指先で軽くはじき、セイイチロウが付け加える。
それでもまだ、タケノスケは呆としたまま表情を変えない。
さすがに心配になったミコが、シャツのそでを引っ張った。
「兄ちゃん? どうしたの…? 嬉しくないの?」
「あ……いや……そういうわけじゃないけど……うれしい…のかな…………。」
「実感がわかない?」
セイイチロウが代弁してやると、タケノスケはとまどいながらうなずいた。
「本当に嬉しいことっていうのは、得てしてそういうものなのかもしれないな。
僕も、ミコが生まれるってわかったとき、最初は実感無かったけど、こう、後からじわじわ~~っときたものなぁ。」
そうなの?とミコが首をかしげる。
「とにかく。
やっと卒業できるんだから、お祝いしないと!」
「……おいわい?」
「今日は間に合わなかったけど、ちゃんとあずき買ってきたんだ。
明日はお赤飯たくからね!」
とミコが指差した先には、すでに水を張ったおけの中に小豆がしずんでいた。
「赤飯もそうだが……やはりお祝いのときは……アレだろう?」
「アレって……お酒のこと?」
「他に何がある?」
「だめだよ! 兄ちゃんはまだミセイネンなんだから!」
「いやいや、少なくとも百歳は超えているとわかったんだから。
祝い事には付き物なんだから、タケ君だってのみたいよなぁ?」
「いや、おれは……。」
「それでもだめなものはだーめ!
パパの場合、お酒の封を開ける口実が欲しいだけじゃないの!」
ミコの剣幕に負けたのか、セイイチロウはそれ以上食い下がろうとはしなかった。
が、未練たらたらなのは誰の目にも明らかである。
人里遠くはなれた森の中の一軒家暮らしでは、輸送の手間もあり、頻繁(ひんぱん)にアルコールを楽しむことはできない。
ミコだって好物をずいぶんがまんしているのだから、パパの気持ちもわからなくはないのだけれど……。
「それに。
兄ちゃんとなら、これからいくらでものめるじゃないの。
わがまま言わない!」
「それもそうか。」
「それより。
鳥さんを“卒業”したら、これからは一緒に町に行けるようになるね!」
タケノスケがこの森から出られないのは、“約束”の内容が留守居であるからだ。
鳥の体を預かるだけでなく、本物の幻紅鳥が帰ってくるまでここに居なくてはならない。
けれど百年の奉公(ほうこう)が終われば、そのいましめからも解放される。
自分の意思で、どこにだって行くことができるようになる、はずだ。
しかし、「ああそうか」と答えたタケノスケの声は、どこか上の空であった。
が、ミコもセイイチロウもそれに気づいた様子はない。
「あのねあのね、私、兄ちゃんを連れて行きたいところが、いっぱいあるんだ!
私が生まれた町とか、学校とか、海とか。
友だちも紹介したいし。
それから、それから……。」
「それこそお前、これからいくらでもどこへでも、連れて行ってやれるじゃないか。」
父娘の興奮はエスカレートするばかりである。
早くも来年の予定など立て始めたりする始末だ。
だが。
まるで自分のことのようにはしゃぐ二人の様子をながめながら、当事者である自分がこれほどの吉報を聞いてもなぜか彼らほど心踊らないことに、むしろタケノスケはとまどいを覚えたのだった。