【生き物とは、無意識に同類を呼び寄せるもの。
人間が人間を呼びおったとみえる。】
ヤマイヌの言葉に、山神は再び気だるげに鳥へと視線を戻した。
【ふむ、確かにちいとばかり濃いのぅ。
呼んだ…かどうかはさておき、接したか。】
【…………はい。】
やはり隠しおおせるものではなかったか。観念して鳥は首肯した。
ヤマイヌがわずかに唇をめくる。
【さきま、いまだ己の立場をわきまえておらんとみえるな。
どれほどの地神が人間のために力を失っていったか、どれほどの神域が穢(けが)されてきたか、……“まがいもの”とて知らぬ存ぜぬでは済まさんぞ。】
【違います、彼らは……!】
それでもとうとうがまんできなくなって、鳥は思わず面を上げた。
正面には、山神と、ヤマイヌ。
二組の視線がまっすぐ射すくめてくる。
山神の眼差しには【言いたいことがあるなら言ってみろ】という嘲笑(ちょうしょう)めいたものが宿っているような気がした。
なので、飛び出しかけた言葉がのどもとに引っかかってしまい、出てこなくなってしまったのである。
【……だからこそ、監視してるんです。】
代わりに出てきたのは、もちろん方便だ。
しかしその“方便”があまりにすらすらと出てきたことに、言ってしまってから何よりタケノスケ自身が驚愕(きょうがく)した。
……おれは今、何と言った?
おれはあの二人のことを、そんな目で見ていたのか?
心の奥底では、そんなふうに思っていたのか?
でなければ、とっさのこととはいえ、そんな言い訳なんかしないんじゃないのか?
自分の発したせりふに対する動揺を必死に押しかくすように、鳥は再び頭(こうべ)をたれた。
【監視とな。】
山神の口調は変わらない。
代わりにヤマイヌが鼻で笑ったのが聞こえた。
【……そなたに預けた地でそなたがどうふるまおうが、わらわは構わぬ。
じゃがのぅ。】
つい、と山神は鳥から視線を外した。
祭壇に腰かけた姿勢は相変わらず、誰もいない岩壁に向けられた目は、しかしもっと遠くをみつめているようでもあった。
【しょせん人と神仙は、共に在るはかなわぬ。
望む望まざる問わずな。
馴れ合うても幸はない。
……悪いことは申さぬ、やめておけ。】
【まがいものとはいえ、“代わり”を務めるのであらば、神仙の決まりごとにそうが筋であろう。
もはや人間でもあらぬ、“半端もの”の分際(ぶんざい)で。】
うつむいたまま、それでも鳥は、いやタケノスケは黙って耐えるしかなかった。
最初の十年は神仙たちが用いる意思伝達法――相手の頭に直接言葉を送る――そのものが理解できず、一方的にあびせられる非難にただひたすら耐えるしかなかった。
同じように相手に思念を送ればいいのだということに気づき、そしてその方法を習得するのに、それからさらに十年かかった。
教えてくれる者など皆無だったことを考慮すれば、十年という短期間で習得できたのはむしろ賞賛に値する。
けれどようやく反論がかなうようになるまでについやした二十年という歳月は、仙獣たちの中での彼の立場を決めるのには十分過ぎる時間でもあった。
自分の意見を述べたところで、もはや彼の言葉に耳を貸すものは、ほとんどいなかった。
“まがいものは神仙の言葉を満足に操れない”。
仙獣たちによって貼られたそんなレッテルをはがすだけの気力は、そのころのタケノスケにはもう無かったのである。
言いたい奴には言わせておけばいい。
そう自分をなぐさめ、沈黙をつらぬいてきた。
……これもまた、本物の幻紅鳥との約束を全うするための試練なのだと割り切って。
けれど。
ミコとセイイチロウに出会い。
ふれあい、ともに時間を過ごすうちに、あきらめの向こうに封じ込めていた想いが、今タケノスケの内側にふつふつと湧き上がってきているのがはっきりとわかった。
くやしい、と思ったのは何十年ぶりのことだ?
今、強い想いが真夏の入道雲のような勢いでふくらんでいくのがわかる。
「それでもおれは人間なんだ」。
叫びそうになるのを、紅い鳥は必死に、必死に押さえ込んでいた。
…………全ては、本物の幻紅鳥との約束を全うするために。
幻紅鳥は願いをかなえてくれた。
ウメキチは溺死することなく天寿を全うし、玄孫(やしゃご)まで命が続いていることを示してくれた。
だから、自分は何が何でも幻紅鳥との約束を完遂しなければならない。
その一心だけが、この場の彼の力であった。
【監視か。
さて、監視されておるのははたしてどちらのほうか。】
鼻先で笑うようにつぶやくと、ヤマイヌはようやく紅い鳥に背を向けた。
どうやら、“人間臭いまがいもの”を相手するのにも飽きたようである。
山神に対してはていねいに別れのあいさつをすると、まるで最初からそこに誰もいなかったかのように、悠然と鳥を無視して洞くつを去っていった。
【……気に病むな。
あやつの人間嫌いは今に始まったことではない。】
【はい……わかってます……。】
極度の人間嫌いということをのぞけば、あのヤマイヌは仙獣たちの中でも厚い信頼をあつめ、また清廉(せいれん)であることでも知られていた。
実力も相当なものだと聞いている。
その昔、山火事のさいには仙術で雨雲を呼び、被害を最小限に食い止めたこともあるらしい。
そういった意味では、タケノスケもあのヤマイヌには一目置いていた。
けれど、一目置くのと感情の好悪は全くの別問題である。
頭では十分にわかっているが、それでもあびせられた言葉に煮えたぎった腹の内は、なかなかおさまってくれそうになかった。
だからやっぱりまだ面を上げられずにいる。
【そうさの。
わらわとしては……つつがなく役目果たしてくるるであらば、そもじが人間とどのような付き合いをしようが構わぬよ。
されど……何事もほどほどが肝要じゃ。
深入りするだけ後で辛うなる。
そもじも……そもじと触れた人間ものぅ。】
【……人間と付き合うのは、罪…なんですか…?】
ようやく、そうしぼりだした。
【神仙とは、変化を嫌うものよ。
仙獣が人間と触れるも変化のうち。
変化を望むであらば、そもじはまだ人間に近しいところに在るということになる。
そしてわらわや“玄(くろ=黒)いの”は、そこに心地の悪さを覚ゆるのじゃ。】
【…………。】
つまり、神仙との付き合いを優先するか、人間との付き合いを優先するか、選べということなのか。
どちらも選べない、と答えたら。
それこそヤマイヌのいう“半端もの”ということになってしまうのだろうか。
うつむいたままの鳥に、しかし山神は声をかけるでもなく、寄り添うでもなく、変わらず祭壇の最上段に腰かけた姿勢のまま、静かに見下ろしているだけである。
ただその眼差しには、ヤマイヌが侍っていたときのような面白がる色はなりをひそめ、代わりに憐(あわ)れみとも慈(いつく)しみとも取れるものが静かに宿っていた。
どれほどそうしていただろうか。
深い深い嘆息をそっとつくと、紅い鳥はようやく面を上げた。
気分はまだ晴れていない。
いやむしろ考えれば考えるほど重く重く沈んでいく。
けれどいつまでもそうしているわけにはいかない事情が、あった。
【……そろそろ帰ります。日が暮れると面倒なんで。】
森からこの洞くつへ来るまでにも、それなりの時間がかかった。
季節はすでに夏ではなく、わずかではあるがやはり昨日よりも昼間は短い。
これ以上出立が遅れて万が一森に帰り着く前に日没をむかえてしまったら……と思うとぞっとしない。
夜をむかえて徒歩で山を下るはめになるのもごめんだが、それ以上に、戒(いまし)めが一時的にゆるんでいるこの特別な日が過ぎてしまった後どうなるかが全く予想できない。
ヤマイヌと同様に別れのあいさつをして、紅い鳥は洞くつの入り口へと向かって歩き始めた。
逆光で黒い世界の真ん中にぽっかりと口を開けている外の世界は、すでに午後半ばの色へと移り始めていた。
……寄り道せずまっすぐ帰っても、ぎりぎりすべり込めるかどうか、といったところだろう。
そんなことをちらりと考えていると、呼び止められた。
振り返ると、やはり山神は祭壇の上に腰かけたまま、変わらずこちらを見ている。
……つくづく行儀の悪い神様だ――なんて思ったとたん、山神はにやりと口の端をあげた。
まさかうっかり言葉にして飛ばしてしまったんだろうか?と鳥はひやりとしたが、山神はそれには言及せず。
【そもじ、来年はどうするつもりじゃ?】
思いもよらぬ問いをよこした。
【……今度はちゃんと春分に来ますよ。】
今年春の会同をすっぽかしたことを言われているらしい。
ただでさえ気分のありようが不安定なところにそんなことを言われたものだから、嫌味にしか聞こえず、そんなつもりは無かったのだが少しいじけたように鳥は返した。
【……そうかえ。】
山神のほうも短く答えただけで、それ以上は何も言わず。
いぶかしく思いながらも、紅い鳥は今度こそ洞くつを後にした。
――最後の問いのさい、薄く笑っていた山神の、しかしその目は笑っていなかったことには、とうとう気づかないまま。