日暮れまでにはまだ時間がある……というより昼食時をやや過ぎたばかりだというのに、窓の外はうす暗い。
木々が風をさえぎってくれるので、中に入ってしまえば存外と無風に近いのが森というものなのだが、父娘が暮らす家の窓ガラスは朝から時おりがたがたという音を立てていた。
その程度ならまだ可愛いほうで、はるか上空で空を切るびょうびょうという音が、室内にまで届いている。
そしてそれに見合う速度で、濃淡に富んだうすずみ色の雲がどんどん押し流されていく。
……こんな日は、いくら仙鳥といえども、飛ぶ気は起きないというものだ。
居間の窓辺からガラス(というものがどんなものなのかは、ようやく理解した)越しにざわざわと落ち着かない木々の様子を、紅い鳥はぼんやりとながめていた。
別に、初めてのことではない。
それどころか、毎年一度、多い年なら二・三度、こんな日がある。
嵐がすぐそばまで来ているのだ。
こんな日は、雨風をしのげる場所でじっとしているのが一番だ。
それは、人も動物も、同じ。
よほどのことがなければ出歩こうなどと思わないものだ。
そして嵐がここまで近づく前に、それぞれの巣穴なりねぐらなりにとっとと引っ込んでしまうものである。
なのに、タケノスケは父娘の家の居間にいる。
実際、自分でもヘマをやらかしたな、とは思っている。
風向き、空もよう、何より空気のしめり具合などから、泊まっていったら帰れなくなるんだろうな、という予感は昨日のうちから強くしていたのだ。
していたんだけど……やっぱり温かい食事の誘惑を断ち切ることが、どうしてもできなくて。
結局なしくずしに泊まっていくことになり、夜が明けたら……すでに強風が上空を支配していた、という次第だった。
前述のとおり、幻紅鳥は体が大きいため森の中での移動が得意でない。
中距離以上の移動のさいは、一度森の上に出て距離をかせぐ。
そして障害物のない森の上空は、とっくに風が支配する領域になっていた。
多少ならともかく、この強風のなかに飛び出そうものなら、あっという間に風に流されて、どこまで運ばれるか知れたものではない。
いや飛ばされるだけならまだマシなほうで、下手をすればどこかに激突して大けがをすることになりかねない。
そうでなくたって預かりものの体だ、無茶はできない。
そんな具合で、タケノスケはこうやって人間の家にとどまり、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだった。
ああ情けない。
窓辺には引き出しがいくつもついた小ダンスがある。
父娘はそれを道具入れにしていて、引き出しごとに簡単な工具から、マッチやロウソクや乾電池といったものの予備、はては使い終わってきれいに洗った空きビンなどなど、実に雑多なものがおさめてあった。
タケノスケはその上にちょこんと座っていた。
ミコが気を利かせてざぶとんをしいてくれたので、座り心地も良い。
何より、ここにいれば尾羽をたらしておけるので、誰かに踏まれることを気にしなくてもいいのが、彼がこの場所を気に入っている理由のひとつでもあった。
……時おり振動が伝わってこなければ。
耳ではなく“体で感じる”音である。
もっと具体的には、かなづちでかべをたたく音。
本格的な嵐(この程度ですんでくれたら御の字なのだが)の来襲に備えて、屋外ではセイイチロウが大急ぎで窓に木板を打ち付ける作業を行っていた。
朝食後から作業を始めているから、そろそろ終わってもよさそうなものだが……。
と考えて、タケノスケはセイイチロウの不器用さを思い出した。
この植物学者、日曜大工はからきしダメなのである。
だからいつも、おおよそ修理の類はタケノスケが引き受けてきた。
こちらは手先を使った作業に喜びを見出しているので、ちょうど釣り合いが取れていることになる。
[やっぱり、手伝いに行けばよかったのかな……。]
ぼんやりとそんなことを考えつつ、しかしタケノスケの気持ちはどういうわけかそちらに向かおうとしなかった。
もちろん今が昼間で、手伝いたくても手伝えないのだ、ということもあるのだけれど……。
タケノスケのすぐそばでは、ミコが床にぺたりと座り込んでつくろいものをしている。
最初は彼女も父親の手伝いをする気でいたのだが、「危ないから」とセイイチロウがそれを許さなかった。
作業をしているのがタケノスケだったとしても、やはり同じ反応をしただろう。
はりきっていた分最初はむくれていたミコだったが、それでも逆らってまで手伝うことはせず、こうしておとなしく屋内にとどまったという次第だった。
窓をふさいでしまったため、ミコの私室もセイイチロウの書斎も、屋外から採光できなくなって昼間だというのに真っ暗だ。
つくろい物をやるなら手元が明るくなくてはならないので、必然的にタケノスケの近くに陣取ることになるのである。
何しろ野歩きというものは、衣服をこすったり引っ掛けたりということは日常茶飯事なので、どうしてもその分補修の頻度(ひんど)も高くなる。
ミコの裁縫の腕も、半年もたっていないというのにずいぶんと上達していた。
ならざるをえなかったともいうが。
熱心に作業を続けるミコには、タケノスケにちょっかいを出すよゆうは無いらしく、さきほどから話しかけてもこない。
……まぁ、話しかけられたところで返事もできないから、そもそも会話が成立しないんだけれども。
屋外では新たな音が加わりだしていた。大つぶの雨が地面をたたき始めたのだ。
[ああ、こりゃ本格的だな…。]
それをぼんやりとながめながら、タケノスケは昨夜のことを思い返していた。