「わからないんだもん。」
「……わからない……??」
たき火の中で、小枝がはぜた。
「……だって……スケッチブックはいらないって言うし、でも字の勉強は夢中になってやるし、かと思ったら何にも言わずにいきなり居なくなっちゃうし。
……それなのに、いつの間にか絵を描いていたし。
……わかんないよ、兄ちゃんが何考えてるのか、わかんないよっ!!」
あまつさえ、セイイチロウとは何も無かったかのように普通に言葉を交わしている。
それが、どうにもミコの理解の域を超えていて。
いらだちと疎外(そがい)感とがないまぜになって、ミコの心中にぐるぐると激しく渦を巻いている。
「ミコ……。」
叫んで再びうつむいてしまった娘を見、それから再度セイイチロウは崖を見上げた。
「わからない」と言われたタケノスケは、くもった表情のまましばらく顔をそむけていたが。
「ごめん……おれにも……よくわからないんだ……。」
ぽつりとつぶやいた。
「ただ……あそこは、ミコの家だから……。
その家に住んでいる人にきらわれて、それでもかようことは、できないから……。」
だから、どうミコに話しかけていいのか、わからなかった。
セイイチロウから話を振られなければ、こんなに間近に居ても、きっとずっと沈黙したままだったろう。
「きら……何で嫌わなきゃいけないのよう!?」
「何でって……。
だからずっとそうきいてるのに、ミコが何も教えてくれないから……。」
「……教えるようなことなの!?」
叫ぶと、ミコは立ち上がった。手にはアルミ皿を持ったままだ。
「でも!
でも、教えるも何も、その前に兄ちゃん居なくなっちゃったじゃない!
黙って居なくなっちゃったじゃないっ!!
ずるいよ、そんなの……。」
そばにいれば、いくらでも仲直りの機会なんか作れる。
けれど立ち去るということは、仲直りを拒絶したとも解釈できるのだから。
「居なくなるのなんて、ずるいよ……。」
「ミコ……。」
「……置いていかれたほうのことも、考えてよ…………。」
最後のほうはもう、言葉にならなかった。
不覚にもあふれてきた涙で、視界がぼやける。
すすり上げ、ミコは右のそでで目じりをぬぐった。
なんで。
なんで、なんでなんで、兄ちゃんはそんなこともわからないの!?
顔をゆがませ、ぼろぼろと涙をこぼすミコをしばらく無言のまま見下ろしていたタケノスケだったが。
やがて、そんな彼女からまるで逃げ出すように、横穴の中に引っ込んでしまった。
それがまた、ミコには腹立たしくて、悔しくて。
「何とか言ってよっ!!」
ついには、怒鳴っていた。
その声は横穴の中にもはっきり届いている。
土の壁に背をあずけ、タケノスケはくちびるを引き結んで、ただうつむいていた。
――置いていかれたほうのことも、考えてよ――
考えたこともない言葉だった。
全て良かれと思ってしてきたことだ。
そうするのが最善の方法だと、信じていたから。
ミコは本当に、ウメキチによく似ている。
彼女がウメキチの子孫であることの証、と言ってもいいくらいに。
春先に初めてミコと会ったとき、タケノスケは目の前に弟が現れたのだと思った。
それほど、印象までよく似ていた。
あの日。
タケノスケは誰にも何も告げずに、家を飛び出した。
弟を助けるために、自分ができる最善だと思う方法を実行するために。
自分が犯してしまったことに対する、責任を取るために。
そして今、ここにいる。
よくわからない理由でミコの機嫌を損ねてしまったから、もう訪ねるのは控えようと決めた。
厚意で寄せてもらっていたのだから、歓迎されなくなってもなお通い続けるわけにはいかない。
そして今、ここにいる。
しかし。
がけ下から、涙でぐしゃぐしゃになりながらなおも文句を放ち続けるミコに、なぜかウメキチの姿が重なった。
二人から同時に責められた気がした。
「どうして黙っていなくなったのか」と。
自分はそれが一番良い方法だと思っていた。
けれど……。
背を丸めると、タケノスケは耳をふさぐように頭を抱え込んだ。
あの日家を飛び出したのは、弟が死んで居なくなってしまうのが怖かったから。
もし、立場が逆だったなら。
川に落ちて死にかけたのが弟ではなく自分で、ウメキチがそれを気に病んで幻紅鳥の元に走っていたら。
……行方知れずになった弟を、自分は必死になって何日も探し続けただろう。
たとえ村人や兄姉たちがあきらめたとしても、自分は何年でも探し続けただろう。
……自分がいなくなったあとのウメキチもそうだったのかもしれない。
ミコの嗚咽はまだ聞こえてくる。
彼女もまた、きっと同じ思いを抱えていたのだろう。
そうでなければ、会ったとたんにあんなことは言わないだろうし、またこうやって泣きながら怒ったりもしないだろう。
――自分のために、泣いてくれる人がいる。
知らず、涙がひとすじ、こぼれた。
「ミコ……。」
ようやっとしぼり出した声は、平生を努めていたにもかかわらず、わずかに震えていた。
「ごめん……。ごめん…………。」
そう言うのが精一杯で。
しかしまだ顔を合わせる勇気が無くて、タケノスケはただ言葉をくり返すのみ。
「ごめん、ごめん……本当に、ごめん……。」
“今生の別れ”なんて、今まで数え切れないほど経験してきたはずなのに。
いや経験してきたからこそ、それが当たり前なのだと思い込むように、心が鈍くなってしまっていたのか。
――人の世から離れている間に、自分は何かとても大切なものを置き忘れてきてしまったんじゃないのか。
それを、ミコは思い出させてくれたのかもしれない。
せまい穴ぐらの中で、少年は一人、うずくまったまま。
外では、秋の虫たちがその音を競い合っている。