今日の夕食はちょっとだけ豪華だった。
「おいなりさーん!」
見慣れない風呂敷包みを取り出すと、ミコは仰々しく結び目を解いた。
中から出てきたのは……重箱。
タケノスケの目が丸くなる。
重箱というものは知っているが、こんなに軽々しく出てくるイメージを持っていなかったのだ。
たとえば、村の名主とか、お役人とか、そういったある程度格式のある人が使うものだとばかり、思っていた。
現にこの重箱だって、ちゃんとした漆(うるし)塗りの逸品だ。
けれどミコはタケノスケが驚いている理由など知る由(よし)もない。
「で。こっちは海苔巻き。」
下段から出てきたのは、断面がきれいな太巻き寿司。
「いつも世話になっているおばさんが、ミコのことをずいぶんかわいがってくれていてね。
帰りに持たせてくれたんだよ。」
容器の返却は次回の買出しのときでいいよ、とも言ってくれたんだそうだ。
とはいえ、タケノスケのことを口外するわけにはいかないから、当然といおうか重箱の中には二人前しか入っていない。
なので足りない分を補うべく、かまどでは米ではなく芋をふかしている。
そろそろ火が通るころだろう。
「せっかくだから、タケ君食べなさい。
僕らはまた町に出たときにいくらでも食べられるんだから。」
「はい、ありがとうございます。」
いつものように手を合わせてから、タケノスケはいなり寿司に箸(はし)を伸ばした。
甘酸っぱい汁をたっぷり含んだ油揚げと、酢飯の食感が、口の中いっぱいに広がる。
気がつくと、口を動かしながら目を閉じていた。
「どうしたの?」
茶を淹(い)れていたミコが不思議そうな顔をした。
今まで何度も一緒に食事をしているけれど、兄ちゃんのこんな反応は初めてのような気がする。
「ん……世の中にはこんなにうまいものがあったんだなぁ……って。」
飲み下すのが惜しくなるくらいだ。
そう言ったら、ミコは今度はうれしそうな顔をした。
「うん、私もおいなりさん大好きなんだ。
でもまだ作ったことないんだよね。
今度挑戦してみようかな。」
すると、同じように海苔巻きをほおばっていたセイイチロウが少しばかり意地悪な笑みを浮かべた。
「となると。
油揚げを作るところから始めることになるのかな?」
「あはは、そうかも。」
一番近い豆腐屋は、山二つ向こうにしかない。
結局いなり寿司も太巻き寿司も、気がつけば七割がタケノスケの胃袋に納まっていた。
加えてちゃっかり納豆も食べている。
「……すみません、いそうろうなのに……。」
恐縮して頭を下げる少年に、セイイチロウは笑って手を振った。
「気にしなくていいよ。
僕も君くらいの年のころは、周りがあきれるくらい食べたものさ。
食べても食べても足りないって気持ちは、わかるよ。」
そう言ってもらえるのはありがたいけれど……ありがたいだけに申し訳ない気持ちも強い。
年を取らないということは、成長が止まっているということでもあるわけで。
そういう意味で“育ち盛り”とは決して言えないはずなのに、あれだけ食べたものが一体どこへ行ってしまうのか、本人にとっても大いなる謎である。
ひたすらうつむくしかないタケノスケに、逆にセイイチロウのほうが困ってしまった。
「君が顔を出してくれるようになって、僕たちもずいぶん助かっているんだから。」
父娘二人で過ごすつもりで、この森に引っ越してきた。
だけど、もともとセイイチロウは調査研究のためにやってきたのだから、きっとどうしても娘の相手はおろそかになってしまっていたことだろう。
タケノスケが現れるようになって、二人に共通の話題が生まれて。
町に居たころと変わらず、いやそれ以上に親子のコミュニケーションは維持されている。
また、この森を熟知している彼が居てくれるから、ミコも、またセイイチロウ自身も不必要な危険を極力回避できている。
「それに……雨もりに苦しめられずにすんだのは、君のおかげだもの。本当にありがたい。」
実は初めて雨に見舞われた日に、雨もりが三ヶ所で起きていることが判明した。
十年近く放置されていた物件だからあちこち傷んでいるだろうとは思っていたが、屋根のことまでは実際に天井からしずくが落ちてくるまで失念していたのだ。
直さなくてはならないのだが、実はセイイチロウは高いところが苦手である。
その話を聞いたタケノスケは、二つ返事で修理を引き受けた。
道具の使い方を教えるとあっという間に覚えてしまい、昼間のうちに破損場所と壊れ具合を確かめておいて、日没から完全に周囲が暗くなってしまうまでのほんのわずかな間に、全て修理してしまったのである。
夕飯ができたと呼びに来たミコは「もう終わったよ」と告げられ、にわかには信じられなかったほどである。
そのほかにも、タケノスケはさまざまな道具を直してくれた。
あの玄関先に放置されていた桶(おけ)も、今ではすっかり現役に復帰している。
「そのお礼……というわけでもないんだけれども。
……ミコ、あれはどこにやったかな?」
「え? あ、あれね。ちょっと待って。」