モモコが引く馬車は、森を出て東の山へと続く道へと向かった。
最寄の町は、山をふたつばかり越えた先にある。
実はタケノスケ、その方角に人の集落があることを知らなかった。
そして、意外と近くに大勢の人間が住んでいながらこの森を訪れる者はほぼ皆無だったことに、改めて複雑な思いを抱く。
森の外れまで父娘を見送ると、タケノスケは木々のすき間をぬって森の上空へと昇った。
このあたりはあの“容赦なし”クマタカ夫妻のなわばりの外だから、突然襲われる心配はない。
むしろほかの動物を驚かさないよう、静かに飛ぶよう心がける。
雨の合間の空は、森のうえにさらに雲の“おおい”がかかったようで、なんとなく空が狭くなったように感じる。
過剰に湿気を含んだ空気は重く、羽ばたくごとに翼にまとわりついてくるようだ。
しかし雨天ばかりが続くこの季節が、なくてはならないものだということもまた、彼はよく知っていた。
緑のかさの上に降り注いだ雨は、木の幹を伝って根元にたどり着き、そこから地中に入り、永い眠りにつく。
森の“たくわえ”となった雨水は、来年の雨季まで森を維持する糧のひとつになる。
使い切れなかった“たくわえ”は地中深くを通って、どこかで地上に現れる。
それは泉だったり、あるいは川の源流になったりする。
また、タケノスケの脳裏には別の風景も浮かんでいた。
遠くに見える山並み、鎮守の森。あぜ道。かやぶきの屋根。
そして……一面に広がる、水田。
どの水田にも稲の苗が植えつけられており、それらはいずれも水面から大人のひじくらいの高さにまで育っている。
そこここでメスを呼ぶカワズ(カエル)たち。
それを狙って現れるタヌキやサギやシマヘビや。
水路を見回る人間の男たち。
わずかな晴れ間に土手を走り抜けて行く小さな子供たち。
やがて空に重くのしかかっていた雲からひとつ、ふたつと雨粒が落ちてきて。
まだまだ水面が目立つ水田に、いくつもいくつも波紋を描き出す。
最初は一つ一つはっきりしていた波紋も、やがて互いに打ち消しあうようになり。
子供たちは喚声を上げながら、それぞれの家へと帰っていく……。
その風景の中に、かつては居たのだ。自分も。
軽く首を振ると、タケノスケは改めて正面を見た。
もうすぐ件のクマタカたちのなわばりの境界あたりさしかかる。
今日はもう用事が無いから進入する気は無いけれど、向こうがそうとらえてくれるかどうかはまた別の話だ。
用心しておいて損は無いはず。
しかしそれも杞憂だったようで、無事に危険地域(?)を通過した。
おそらくこの貴重な雨の合間を惜しんで、狩りに精を出しているのだろう。
今年生まれのヒナたちは、時期から見てもうずいぶん大きくなっているはずであり、それだけ親たちの負担も大きくなっているはずである。
いやクマタカだけではない。
この森に住まう生き物という生き物が、次の世代を育んでいる。
植物も、虫も、鳥も、動物も。
やがて、視界に目的のものが見えてきた。
緑の屋根から頭ひとつ飛び出している、大きなブナの木。
二度ほど周囲を旋回して枝を決めると、幻紅鳥は静かに舞い降りた。
ここからだと周囲に障害物はほとんど無く、どちらを見ても緑の敷物を広げたように見える。
お気に入りの場所のひとつだ。
今日は、風はほとんど無い。
葉の裏側から再び天へ還っていく水蒸気のゆらゆらとした感覚だけが、羽毛越しにわずかに感じられた。
……ミコたちと出会うまでは、日がな一日ここでぼんやりと過ごすことも多かった。
幻紅鳥には仲間がいない。
仙鳥であるがゆえに二つとして同じものはなく、すなわち唯一無二の存在でもあり。
それゆえに、子育ての義務も必要も無く。
したがって、対となる固体も無い。
ただ、そこにあるだけ。
愛をささやくことも、子育てに追われることもなく。
ただ静かに、先に逝くものたちを見守るだけ。
何年も、何年も、何年も。
それも、もう慣れた。慣れるように努めた。そうでなければ…。
[セイイチロウさんだって、いつまでもここにいるわけじゃないんだろうし。]
セイイチロウは「仕事でこの森へ来た」と言っていた。だから、仕事が終わればいつかはもと居た場所へと帰っていくんだろう。
セイイチロウが帰るのなら、娘のミコだってここにとどまる理由はない。
……以前あの家に住んでいた猟師の夫婦だって、二十年いたかどうか。
一度鉄砲を向けられてからあの家には近寄らないようにしていたから、いついなくなったのかは知らないけれど。
別れのときは、いつか来るのだ。かならず。
かならず。
【ここは人間が生きていけるところではない】。
そう本物の幻紅鳥も言っていたじゃないか。
訪れることはあっても、いつかは人間の世界へ帰っていくのだ。
そう、たとえば、鳥にでもならなければ。
[だって。約束したんだ。その条件でいいって。俺のほうから頭下げて。]
あれから、本当にどれだけの時間が経ったのか。
自分の本当の年齢はとおの昔にわからなくなり、森の外から訪れたセイイチロウたちが身につけている衣類は、タケノスケにはとんとなじみの無いものに変わり果てていた。
道具、料理も、タケノスケの知識に無いものがたくさんあった。
セイイチロウの部屋にたくさん転がっている本や紙の量にも驚いたが、その扱いの無造作ぐあいもに驚かされた。
特に紙など、書き損じたからという理由で捨ててしまうと聞いて、さらに仰天した。
何よりセイイチロウの職業であるという“ショクブツガクシャ”というものが、そもそもわからない。
ミコが言う「ガッコウ」って、なんだろう?
ロバやイヌはともかく、家畜でもないリスを飼っているというのもまた、農村育ちのタケノスケの理解の範疇(はんちゅう)を超えている。
無意識に、タケノスケは東の山へと視線を向けていた。
ミコたちは今、どのあたりを進んでいるんだろう。
……あの山の向こうにある町には、“今の時代の”人間の世界には、一体どんな営みが行なわれているんだろう…?
ミコたちの生活をのぞいただけでも、自分が知っている“日常”とのあまりの変わりように、日々戸惑いと驚きを覚えている始末である。
きっとすでに、タケノスケの想像できる域をはるかに超えた世界になってしまっているんだろう。
それを、空恐ろしさと同時に空しくも、感じる。
ありとあらゆるものから、置いていかれてしまったような、感覚。
手を伸ばせば届きそうなほど、“それ”は目の前にあるというのに。
まるで……ミコの部屋の見えない壁――ガラス戸越しの風景のように。
そして。
思いをはせようとも、結局どうしようもない我が身にそっと嘆息するのである。
人の世は、あまりにも、遠くなってしまった。