朝食は、白米と大麦の飯。
焼き海苔。
梅干。
キュウリの浅漬け。
里芋とネギの味噌汁。
それから昨夜のうちに水につけて戻しておいた大豆を使った五目豆(ちょっと失敗した)。
ネギは、以前買ってきたものの根を残しておいて畑にさし、そこから伸びてきた新芽を収穫したものだ。
タケノスケの前には、五目豆と、生のキュウリ、それから先日と同じようにすすいでぬめりを取り除いた飯が器に入って置かれていた。
「食べる?」とミコが焼き海苔を一枚分けてくれたが、飲み込む前に上あごに貼りついてしまい、苦労する羽目になった。
夕食以外では海苔は食べずにおこうと心に決める。
それ以外はつつがなく食事を終え、セイイチロウは今日も書き物のため書斎へ引き返した。
ミコは食後の洗い物に取りかかる。
……手伝おうにもできることが見当たらないので、タケノスケは玄関扉を開けてもらって表へ出た。
屋外はさわやかな空気につつまれていた。
雨季はもう目の前まで来ているはずだが、空気に過剰な湿りけはなく。
むしろ森林特有のひんやりとした心地と、まだ朝方だというのに早くも力強い日差しと、いよいよ盛んに繁茂する緑の鼓動とがあいまって、まるで祭り前日のような静かな活気に満ちあふれている。
胸いっぱいに朝の空気を吸い、タケノスケは翼を広げた。
歩いてもかまわないのだが、彼の尾羽は地上に適応(?)していないので、歩いた分だけ汚れるという寸法である。
屋外はともかく、室内では飛び回るわけにいかないので(春の惨事ふたたび、だ)、今年になってから尾羽は汚れる一方だ。
手入れが追いつかないというのが現状である。
これが自前のものならば、「まぁいいや」とあきらめもつくのだが。
いかんせん尾羽も含めてこの体は大切な“預かり物”である。どうしても気を使う。
そんなわけで、一度屋根に上がろうと飛び上がりかけた、そのとき。
『おっはようございまっす!!』
突然左手から、元気が良すぎるあいさつをぶつけられた。声が実体をともなって激突してきてたような勢いで。
『アニキ!』
『げっ。』
小さくつぶやくと、タケノスケは声の主を確認しようとすらせず、大慌てで宙に舞い上がった。
そのまま振り向きもせず洗たくロープが渡してある木の枝にとまる。
そこに、ばたばたという足音を自粛する気配すら感じさせず、何かが駆け込んできた。
白と茶の毛におおわれたもの。
『今日はどちらへお出かけっスかっ!?』
『タロー……またモグラ堀りやってたのか……。』
真下までやってきて“お座り”し、得意げにこちらを見上げている白茶な犬の鼻の頭が、今日も土で汚れているのを見て、タケノスケはため息交じりにうなった。
タローの尻尾は相変わらずよく振られている。ぶんぶんという音が聞こえてきそうな勢いだ。
『はいっ。必ずや捕まえてやりまっす。
この家の守りを任されている以上、たとえ土の中だろうと、どんな侵入者も許しませんっ。』
はっきりと力強く、誇らしげに胸をそらしてタローは宣言した。
こちらも人間の耳には勇ましくワンワン吠えているようにしか聞こえないんだろう。
……いや大して違わないか?
『つかまえたあかつきには、ご主人様にあげるのです!
……それとも、アニキが欲しいんですかい?』
『いや、いらない。』
そこはきっぱりはっきり、辞退しておく。
もらったところでどうしようもない。食べるわけにもいかないし。
『そうっスか……。』
ちょっぴり意外そうな顔をしたタローだったが、あんまりがっかりはしていないようだ。
予定を変えないだけのことである。
『それよりも……その“アニキ”ってのは、いいかげんやめてくれないか……?』
ややうんざりしながら、タケノスケは白茶の犬を見下ろした。
最初のころ……それこそミコにケガの治療をしてもらうために通っていたころは、タローのほうがいばっていた。
何しろタケノスケがクマタカに襲われて負傷し、バランスを崩し頭から地上に墜落してそのまま失神していたところを、発見してミコたちを連れてきてくれたのは、他でもないこの犬だからである。
ところがある日、たまたま日没時の彼を至近距離で目撃して以来(どちらかというとあの光のほうに驚いたのだろうが)、とたんに態度が改まった。
今ではこのとおりである。
変わり身の早さに驚いたのは事実だが、あのチャップに比べればかわいいものだし、何よりそれ以降は態度が一貫している。
それに、犬はもともとそういう習性がある生き物なので、そう考えればタローの豹変ぶりも納得できないことはないのだが。
ただ……タロー自身がまだ一歳未満の若犬だからというのが一番の理由なんだろうけど……この必要以上の“暑苦しさ”だけは、さすがにそろそろうっとうしくなってきた。
『へ、なんでですかアニキ?』
舌を出して息をしながら、タローは心底不思議そうに首をかしげた。
『おれはお前の兄貴分になった覚えなんかないぞ。』
『そんなことないっスよ。
自分は最近家の中に入れてもらえないけど、アニキはご主人様と同じように家の中で寝泊りさせてもらえるじゃないっスか。』
『……その理屈だと、チャップもお前より上ってことになるんだけど……。』
『なんスか? それ。』
一瞬、タケノスケの頭の中が真っ白になった。
タローはいたってまじめな顔で、おすわりをしたまま相変わらずこちらをじっと見上げている。
『……お前、チャップを知らないのか……?』
幻紅鳥の鼻は、犬のそれよりはるかに性能がおとってしまうんだけれども。
そして、チャップは本来この森には存在しない種類のリスだからという理由で家から一歩も出されない境遇にあるから、面識もあるいは無いのかもしれないけれど。
それでも一度でも家の中に入ったことがあるのなら、しかも犬であるのならば、あの家の中に第四の生き物の気配があるということくらいは気づいてもよさそうなものである。
しかしタローがウソを言っているようにも見えないし、……そんなつまらないウソを理由もなくつくほどずるがしこいようにも見えない。
そして。
タケノスケのあきれ顔を読み取ることができないのか、力いっぱい元気良くタローは返してくれた。
『チャップというものは、食べたこと無いっス!』
一切の迷いが無い、はつらつとした返答だった。
『…………。』
……タローとチャップを引き合わせてやったら一体どんなことになるんだろう……とちょっと意地悪なことを考えていると。
『ところでアニキぃ。』
『だから、“アニキ”はやめてくれってば。』
『その……お願いがあるんですが……。』
タローの視線が、タケノスケの顔ではなく、少しばかりずれた位置に固定されている。
タケノスケがとまっている枝と、地面との間。
その表情は明らかに、心ここにあらずといった風情だ。
なんだか嫌ぁな予感がして、紅い鳥はわずかに翼を浮かせた。
『……アニキの尻尾、一本くださいっっ!!』
さけぶやいなやタローはがばと立ち上がり、樹上からたれ下がり身動きするたびにゆらゆらとゆれていた幻紅鳥の豊かな尻尾めがけて飛び掛った。
あわててタケノスケが飛び立たなかったら、確実に一本むしりとられていたであろう。
間一髪で難を逃れたタケノスケは、そのまま屋根の上まで一気に避難した。
まったく油断もすきもありゃしない。
『だから、嫌だっていつも言ってるじゃないかっ!!』
屋根の上から地上を見下ろし、うなる。
タローが幻紅鳥の尾に強い関心を示すようになったのは、当たり前だが、タケノスケが昼間からこの家を訪れるようになってからのことである。
つまりそのころから、“一本欲しくて”うずうずしていたということらしい。
最初は「ネコじゃあるまいし…」と思っていたのだが、狩猟本能を刺激されたという意味では、イヌもネコも関係ないらしい。
タケノスケにしてみても、いくら豊かにある尾羽のうちのたかだか一本とはいえ、やはり“大切な預かりもの”の一部である以上、おいそれとくれてやるわけにはいかない。
それ以前に。
……人間だろうと鳥だろうと、痛いものは痛いのである。
『ああっ、アニキのいけずぅ……。』
そんな具合で、タローは日々“アニキ”と“狩猟本能”のはざまで戦っているというわけなのだった。
今日も断られてがっくりとうなだれたタローに、ほんの少しばかり同情しかけた、そのとき。
同じようにしょげていた彼の耳が、突然ぴくりと持ち上がった。
そして。
『性懲(しょうこ)りもなくまぁた来ぃやがったなぁ、モグラめえぇ!!』
それまでの執着はどこへやら。
タローは勢いよく方向転換すると、そのまま振り返ることなく一直線に畑のほうへと走っていってしまった。
あとには……ぽかんとその背を見送るタケノスケだけが、屋根の上に取り残される。
[……あっ、ミコに伝言頼まれていたんだっけ……。]
思い出したものの、……なんかすでに手遅れ……のようである。
ああ、またあんな勢いで、しかも尻尾をぶんぶん振り回しながら、畑の土を掘り返して……。
タローはミコやセイイチロウたちのためにやっているんだろうけど、残念ながら肝心のミコはそれをこころよく思っていない。
さて、どうやって伝え、やめさせたものか……。
ミコはあんなこと言っていたけど……チャップやタローの“真の姿”を知ったらさぞや幻滅(げんめつ)するんだろうなぁ……、と思うと気が重くなるタケノスケなのだった。