「兄ちゃん、他の動物とお話できるの?
動物たちは人間にわからない言葉で話をしていたりするの!?
ねぇねぇ!」
先ほどタケノスケは、「昔いたつがいとは話が通じた」と言っていた。
他種族の個体と意思の疎通が可能ということはつまり、会話が成立しているということなんじゃなかろうか。
期待に目を輝かせて身を乗り出してきたミコに、今しがたまで“悩み事を相談する”側だったタケノスケにはすぐに合点がいかなかったらしく、口を半開きにしたまま数度まばたきをした。
「だって昔話とかだと、タヌキとかキツネとかクマとかウサギとかが出てきて、化かしたり化かされたり、勝負したりするじゃない?
あんなふうに、本物の動物たちも専用の言葉があって、それで話していたりするの!?」
「あ……えっと……。」
「ミコ、タケくん困ってるじゃないか。」
「でーもー。こんなこと、世界中で兄ちゃんくらいにしかきけないじゃない?」
確かに、動物の言葉を人間に通訳できる者など、そうそういない。
セイイチロウも普段なら聞き流してしまうところだが、娘の言葉に好奇心が首をもたげたのか、つられるようにタケノスケを見やった。
「うーん……どうなんだろう……。」
会話が普通にできるほど言葉を回復したタケノスケだったが、それでも急にものをたずねられたりすると、頭の中で話の内容を構成するのに手間取る。
それが生来のものなのか、それとも人の営みから隔離(かくり)された環境に身を置くようになって長年その作業から遠ざかっていたからいまだ訓練を要するのかは、残念ながら今の時点ではセイイチロウには判断しかねた。
が、ミコのほうはそのあたりはあまり気にしていないらしく、むしろ彼の個性とでも受け止めているようで、相変わらず期待に満ちた表情でタケノスケの言葉をじっと待っている。
「おれはあまりほかの動物と話をしたこと自体ないから……よくわからないけど……。
シカとかイノシシとかヤマイヌとか、むれでくらしているれんちゅうは、それっぽいことをしているみたいだったなぁ。」
「本当!?」
「でも、そういったやつらはむれ以外のやつとはあまり話はしないから。
本当にことばがつうじているのかどうかは、おれにもわからないよ。」
「なんだぁ……。」
せっかく長年の疑問が解消できると思ったのに。
期待が大きかった分ちょっぴりがっかりして、ミコは肩を落とした。
「まぁ、そのほうがいいんだろうなぁ。
だって……動物同士で完全に言葉が通じるのなら、それこそキツネやフクロウや、さっきのクマタカだって、狩りのたびに獲物から命ごいをされるだろうからね。」
「はぁ…そうでしょうね。
もしかしたら、それがわかっているから、つうじているんだとしても他の動物と話したがらないのかもしれない。」
食物連鎖(れんさ)の上位種に限らず、生き物は必ず他者の命を糧(かて)として生きている。
クマタカに狩られる小鳥たちも、小さな虫やカエルなどを捕食する。
いちいち相手の言葉に耳を傾けていたら、命の循環は成り立たなくなる。
「……聞かなきゃよかったなぁ。なんか夢が壊れちゃった。」
「それだけ自然界はシビアな世界だってことだよ。
植物にだってヤドリギのように別の木に寄生する種もあるしな。」
「ただ……。」
そこでタケノスケはちらりと、部屋のすみに置かれている小さなかごに目を向けた。
その中に一匹の生き物が住んでいる。
父娘がこの森に引っ越してくることが決まるよりも前から飼っている、リスだ。
名をチャップという。
先ほどまでヒマワリの種をかじっていたが、食べ終わったのか今はかごの中をせわしく跳ねていた。
「…このいえにいる動物たちは、口数がおおいみたいです。
人間とくらしていると、まねをするようになるのかな。」
タケノスケの言葉に応じるように、チャップは短くチッチッと鳴いた。
とたんにミコの目に輝きが戻る。
「えっ、じゃあ今チャップは何て言ったの?」
「今は……わかんない。」
苦笑して答えたタケノスケであったが、その表情にはほんの少し、今までとは少し違う感情も含まれているようにも見えた。
「人間に戻っているから?」
「うん、そう。」
「じゃあさ、じゃあさ、明日兄ちゃんからタローに言ってやってよ。
あっちこっちで穴掘りするな!って。
埋め戻すの、本っっっっ当に大変なんだから!!」
本当に迷惑しているらしい。
にぎりこぶしまで作っての陳情(ちんじょう)に、なぜかタケノスケは視線をそらせた。
笑みが引きつっているようにも見えるのは気のせいか……?
「タロー、兄ちゃんのこと好きみたいだしさ。ね、お願い。」
「あー……うん……。」
……なんだかいつも以上に歯切れの悪い反応に、しかしミコは気づいていないようである。
「あ、そうだ。ウリが冷やしてあるんだった。
切ってくるね!」
満足したのかいすから勢いよく降りると、そのまま屋外に出してある水おけへと向かった。
開いた扉から、涼やかな夜の空気が室内へ静かに流れ込んでくる。
夜気が心地良いと感じられる季節になりつつあるのだ。
「……すまんな、タケ君。」
「いえ……おれもむかしは同じようなこと考えたことがありますから。
でも……。」
再びチャップがこちらに向かって鳴いた。
[…………教えないほうが公平なんだろうなぁ……。]
伸ばしていた背筋をはじめて少し丸めて、タケノスケはそっと心中で嘆息したのだった。