「じゃあ、ここでお弁当にしようか。」
二人の追いかけっこ(?)がひと段落すると、セイイチロウはそう言って背負い袋を足元に下ろした。
つけてある大ぶりの鈴がガラガラとにぎやかな音を立てる。
道みち何事か書き付けながら歩いていたノートは、引越し当時に新品で持ち込んだはずなのに、連日の散策同行ですっかり表紙がよれよれになっていた。
ミコもまた、父親にならって荷物を広げ始める。
周囲に適当な倒木も石も見当たらなかったので、大判のぞうきんのようなものを取り出し、それの上に人間二人が腰を下ろした。
続いて取り出したのは水筒と、弁当箱とやはり大判のハンカチの包み。
弁当箱の中には昨夜の残り物が、包みには握り飯が合計七つも入っている。
「ちょっと待っててね。」
タケノスケがやってくると、ミコはひとつだけのりを巻いていない握り飯と、小さなアルミの器を持って水辺に寄った。
器に泉の水を汲み、そこに握り飯を入れる。
水の中でほぐれた握り飯を軽く洗って水を切ると、ぬめりが取れて表面がさらりとした飯つぶが残った。
それを紅い鳥の前に置いてやる。
紅い鳥はミコの顔を見上げて一度首をかしげると、器の中に頭を入れた。
少々水っぽくなるが、くちばしでついばむのならこうしてやったほうが食べやすいのだ。
握り飯のままだと、べたついてかえって食べにくいのである。
不便といえば不便なのだが、「生米のままでもかまわない」と言うタケノスケに、さすがにそれではあんまりだから……とミコの方から出した折衷(せっちゅう)案なので、面倒だとは思わない。
タローのほうは普通に握り飯をもらって、いつものように尻尾を振りながらがつがつと食事をしていた。
弁当箱の中身は、梅干ときんぴらごぼう。
それからかぼちゃとたまねぎのてんぷら……の残り物と、山菜の煮びたし。小魚の佃煮。
「ごめんね、こんなものしか用意できなくて。」
弁当箱を父親に差し出しながら、ミコは申し訳なさそうに視線を手元に落とした。
おいしくできたかどうかはわからないけど、致命的な失敗はしていない……はずだ。
梅干と佃煮は、森の外の集落で買い求めたものだから、こちらは心配しなくてもいい。
ただ……全体的に彩りが悪いのが、どうにもさびしく感じられたのだ。
「茶色ばっかりだもんねぇ…。」
「仕方がないさ。
買い置きのできるものとなると、どうしても地味な色合いのものばかりになってしまうからなぁ。」
佃煮をつまんでセイイチロウは苦笑した。
「来週町に出れば、またいろいろと食材を買い足せるから。
それに、この前畑にまいた大根が今朝芽を出していたし。
あれが育てば、いつでも大根おろしを食べられるようになるぞ。」
家の周囲には、先に住人だった猟師夫妻が残していった、小さな畑のあとがあった。
畑そのものは、それこそネコの額のような広さしかなかったが。
何しろ人が住めるように切り開いた場所であるから日当たりがとても良いので、ものすごい勢いで草が生えていたのを、草を抜いて耕して、先週ようやっと野菜の種をまくところまでこぎつけたのである。
そもそも開墾(かいこん)のために来たわけではないし、野菜という外から来た植物を大々的に栽培するのは、森を調査に来た植物学者としては気が引ける。
けれど、やはり新鮮な野菜を町に出なくても入手できる環境というのは、子供を持つ親としてはどうしても用意しておきたかったのだ。
それでも花や種をつける前に収穫できる根菜や葉ものに、どうしても限定されてしまうのだけれど……。
「そうだね。
…あ、そうだ。ねぇパパ、誰かに納豆の作り方を教われないかな?」
飯粒をついばむのを中断して二人の会話に耳を傾けていたタケノスケに気づき、ミコは前回買い出しに出たときのことを思い出した。
すっかり荒地に戻っていた畑を復活させる、という話になったとき、一番活躍したのは彼だった。
まず、セイイチロウが持ち込んでいた鎌(かま)を借りて、伸び放題になっていた草を二日がかりで刈り取ってしまった。
それから一日間を空けてから、あらかじめ目星をつけておいたのか、日が暮れてから夕食ができるまでのわずかな間に、その辺にあったものを組み合わせて耕作道具のようなものをこしらえた。
で、翌日から早速耕作に入った。その手際の良いこと。
考えてみればそれも当然で、この森へやってくる前は、兄を手伝って畑仕事に連日精を出していたのである。
急ごしらえの耕作道具は、当然といおうか耐久性はいまいちだったけれど。
それでもめいっぱい草が根を張り巡らせてすっかり硬くなった土に、手製の鍬(くわ)のような形をした道具を入れていく姿は、とても生き生きしていて。
嬉々として連日土いじりをする彼に、最初は「無理しなくていい」と止めようとしたセイイチロウも、最後にはあきらめて任せることにしたくらいである。
おかげで十日と経たないうちに、畑はかつての姿を取り戻すことができたのである。
そのお礼というわけでもないけれど、前回買出しに出た際に「何か欲しいものはあるか?」とたずねたところ、タケノスケはずいぶん遠慮しまくったあげく、「納豆が食べたい」と答えたのであった。
この家には当然といおうか、氷室(ひむろ)など無い。
氷が調達できないので、冷蔵庫も無い。
常温のままでは腐敗が進んでしまうので日持ちがしないから、帰宅したその日の夕食に出したら、「うまいうまい」と連呼して結局タケノスケが一人で全部平らげてしまった。
どうやら昔からの好物だったらしい。
納豆はミコもセイイチロウも嫌いではない。
父娘は半月に一度の割合で、買出しを含めた諸々の用事を済ませるために町へ出るのだが。
そのつど購入してくるのもいいけれど、これだけ需要があるのなら自分で作れないか…とミコは考えたのである。
セイイチロウもそれには異存ないらしく、「ふむ」とつぶやいて箸(はし)を動かす手を止めた。
「特別な道具は要らないって聞いているから、大丈夫なんじゃないかな。」
「誰に聞けばいいんだろう?」
「そりゃあ……餅(もち)は餅屋っていうから、やっぱり納豆屋じゃないかなぁ。」
「納豆屋さんかぁ……教えてくれるかなぁ。」
握り飯をほおばりながら、ミコは視線を感じて足元に目を向けた。
それに気づいて、紅い鳥があわててあさっての方向を見る。
…うん、兄ちゃんって、時々とってもわかりやすいよね。わざとやってるのかなって思うときもあるくらい。
そんな感想を抱きながら、次の買出しの時には納豆の作り方を絶対会得してこよう、と改めて思ったミコなのであった。