立て付けが悪いのか、閉じた雨戸の隙間から光が差し込んでくる。
直接朝日が入ってくるわけではないが、それでも人によっては十分に睡眠を妨げられる明るさだ。
そして、ミコは「真っ暗じゃないと眠れない」タイプである。
なので、否応なしに目が覚めた。
ミコはこの家の炊事担当である。
炊事だけでなく掃除も洗濯もやるのだが。
だから、朝起きたら朝食の支度をするのが、二年前からの日課になっていた。
…というより、父親はいつも仕事で夜更かしをしているから、待っていたらいつまでたっても朝食にはありつけないので仕方なく…というのがそもそものきっかけだったのだけれども。
いつもと同じように布団から這い出し、着替え、顔を洗いに表へ出ようと、居間へと続く扉を開けると。
居間の真ん中に寝袋が転がっていた。
「…?」
…これは確か、物置のほうにしまったんじゃなかったけ? 折りたたんで押し込んだのを覚えている。
少なくとも、昨夜夕食を摂っていたときには(睡魔との戦いに追われてはいたけれど)ここにこんなものは無かった…はず。
ではなぜここに出ているのか?
不審に思い、頭にあたる部分に回りこんでみる。
中に入っていたのは。
「パパ…何してるの?」
自分の家で、自分の布団があるというのに、何故にわざわざせっかくしまってあった寝袋を引っ張り出してきてまで、こんなところで寝ているのか。
…確か前にもこういうことがあったっけ?
父親はというと、娘が枕元にまで来ているのにまったく気づいていないようで、静かに寝息を立てている。
首をひねっていると…ふと、父の書斎(兼寝室)へと続く扉が半開きになっているのに気づいた。
あれ? 開いてる? …と思った次の瞬間。
扉の隙間から、何かがにゅっと現れた。
紅くて細長いものの先に、薄黄色いものがついている。
そして…ミコと目が会うと、その場に固まってしまった。
ここからは首から先しか見えないけれど、明らかに「しまった」とか「どうしよう」とかいったニュアンスの「何か」が、全身(?)から放たれているのがわかる。
「鳥……さん?」
戸惑いつつ、とりあえず話しかけてみる。
すると、観念したのか、紅い鳥はすごすごと歩いて居間へと入ってきた。
あの豊かな尾羽が床を引きずり、軽くほこりを集めている。
「…だよ…ね?」
寝起きで朝食前ということもあって、ミコの頭の回転はまだ鈍い。
よもやこんな時間にこんな場所で、この紅い鳥に出くわすことになるなんて、まったく思ってもいなかったこともある。
だが、なんだか居心地悪そうにしている紅い鳥の様子に、ようやくひとつの結論に至った。
「あ。もしかしてあなたが、パパの布団使ってたの?」
問われて紅い鳥は、しばしの間の後、仕方なさそうにうなずいた。
とても人間っぽい仕草だった。
「じゃあ、…昨夜は泊まっていってくれたんだ。」
今この時間にここに居るということは、そういうことなんだろう。
相変わらず申し訳なさそうにしている紅い鳥とは対照的に、ミコは目を輝かせて鳥に歩み寄った。
思わず二歩ほど後ずさる、鳥。
その真正面にミコは腰を下ろした。
床にぺたりと座ると、目の高さが鳥と同じになった。
「…ということは、これからはずっと一緒に暮らせるんだね!」
言うが早いかミコ、紅い鳥を抱き寄せた。
こんなに素敵なこと、この森へ来てから初めてだ!
「よろしくね、タケ兄ちゃん!」
ミコにとっては、別に相手がタケノスケであろうとなかろうと、タローだろうがロバのモモコだろうが、感謝の気持ちを表すときに普段からやっている仕草なんだけれども。
正直言って。
抱きしめられる側がそれを常に歓迎しているとは限らない。
昨日に続いて二度目ではあるけれど、やっぱり心の準備ができていなかったこともあり、鳥はパニック状態になった。
解放してくれといわんばかりに、少女の腕の中でもがく。
が、嬉しくてたまらないミコはそんなことに気づかない。
ますます強く抱きしめたものだから、翼は封じられ(?)ているので首と脚をばたつかせて何とか脱出を試みる。抱きしめる…の悪循環。
加えてタケノスケのほうはというと、うっかり脚の爪を引っ掛けてミコに怪我させないよう気を使い、代わりにがりがりと床をこすってしまったりで、抵抗しきれていない部分もあり。
ついに、小さく鳴いた。
クマを追い払ったあの一声とは程遠い、情けなくも気の抜けた悲鳴だった。
映画のように吹き替えたならば、さしずめ「助けてくれえぇぇ」といったところか。
「……なに騒いでるんだ朝っぱらから……。」
その騒ぎに、ようやく寝袋の中身が起きだしてきた。
眠い目をこすりながら上体を起こし…目の前の惨状(??)を目の当たりにする。
「あっ、パパ。あのねあのね…!」
紅い生き物を抱きしめたまま、娘が振り返る。
その腕の中で、タケノスケは半分放心したように天井を見上げていた。
このハグ攻撃に慣れるのが、この子と接するための必須条件なんだろうか…………。
「タケ兄ちゃん、うちに泊まっていってくれたんだよ!」
「…やぁ、二人ともおはよう。」
生あくびとともに、もぞもぞと寝袋から這い出す。
アルコールを摂ったわけでもないのに頭がすっきりしないのは、やはり寝不足だからなんだろう。
そしてそれは多分タケノスケにとっても同じであろうと思われ……娘に抱きかかえられている紅い鳥を見て、ちょっと同情した。
「でも、歓声で起こすのは勘弁してくれないか……。」
「ねぇねぇねぇ、何があったの、昨夜何があったの?」
「その前に、タケノスケ君を放してやったらどうだい。…目を回しているみたいだぞ。」
「えっ。」
指摘されて、ようやくミコは抱きついている相手の顔を見た。
あ、なんかちょっとぐったりしてる…。
「やっ、ごっ、ごめんなさい!」
ようやく解放された紅い鳥はそのままずるずると床に横たわったると、二、三度軽く頭を振り、それからちょっと恨めしそうに小さく鳴いた。
さすがに一言文句を言いたくなったらしい。
その様子に、父親は軽く苦笑した。
人の姿をしているときは鳥っぽい仕草が目に付き、鳥の姿のときは逆に人間臭い仕草が時折見受けられる。
「さぁ、朝ごはんの支度をしてくれないか。
…食べていくだろう?」
ミコに、後半はタケノスケに向かって言う。
紅い鳥はその場で軽く翼を整えると、そのまま座りなおした。
「ほら、今すぐに帰る気は無いってさ。心配しないで。」
「すごぉい。パパ、言ってることが判るんだ!? どうして??」
「ふっふっふ、それはなぁ…。男同士の秘密ってやつだ。」
「えー、なにそれ!?」
軽く不満を口にしつつも、ミコは立ち上がった。
お腹が空いているのは、彼女も同じなのである。
「…三人分、なんだよね?」
「うーん…僕らと同じものでいいんじゃないかな。」
「はーい。」
気持ちのいい返事をすると、ミコはそのまま表に出て行った。
室内には男二人(?)が取り残される。
「ところで…昨夜君から聞いた話をあの子にもしてやらなきゃいけないわけだが。
…さて、どう説明したものかねぇ?」
寝袋をたたむ手を止めて父親が振り返ると、座った姿勢のまま紅い鳥は軽く首をかしげたのだった。