紅い鳥が、その翼を広げている。
大きな鳥である。
豊かな尾羽の分を除いても、中型犬より大きいかもしれない。
その体を支え、宙に舞い上がらせる翼だ。
ミコの身長をはるかに凌駕する翼開長をほこるそれは、クマの視界から少女の姿をすっぽりと隠してしまうには十分だった。
その向こう側で、がさがさと藪がゆれている音がする。
それからもしばらくは視界がさえぎられたままだったのだが。
ようやく紅いついたてが取り除かれたときには、クマの親子の姿は、跡形も無く消え去っていた。
[たすか…った……の……?]
ぼんやりと、ミコはそう考えた。
今しがた起きたことなのに、なんだか恐ろしく実感があるような、無いような、不思議な感覚。
翼をたたみ、紅い鳥が体ごとこちらに向き直った。
そこには先ほどまでの覇気のようなものは一切無く、代わりにこちらを気遣うような静かな優しさのようなものがあり。
そっと歩み寄ると、危機は去ったというのにいまだ固まっているミコを、のぞき込むようにして見上げた。
「鳥…さん……。」
つぶやいたら、それに応じるようにわずかに首をかしげてくれた。
もう限界だ。
ぽろぽろと、何かが目から零れ落ちていくのを、ミコは止められなかった。
「こわ……こわかった…………っ!」
気がついたときには、紅い鳥に抱きついていた。
体面も何も無い、たがが外れたように、ミコは大声を上げて泣き出していた。
本当にいまさらなのに、体ががくがく震えて止まらない。
さすがにこれには紅い鳥も面食らったようである。
抱きすくめられて反射的にしばらくもがいたものの、号泣する少女の姿に、ついに観念したのかおとなしくなった。
ミコの涙はまだ止まらない。
ちょっと洟も出てきたが、体の奥底から次から次へと湧き出してくる「何か」をすべて吐き出してしまわないことには、動けないような気がした。
だから、絞り上げるように、泣いた。
ミコの腕の中の紅い鳥のほうはというと。
半分宙吊りのようなものである。
足は浮いているし、たたんだ翼ごと抱かれてしまっている。
この様子だと容易に解放してはもらえまい、と思ったのだろう。
自由になる首だけを困ったようにかしげていた。
少女の頬に、肌に、触れた紅い体は。
温かくて、やわらかくて。いわゆる「鳥臭さ」と一緒に、ほんのりと太陽のにおいがした。
…なんだか、とっても安心できる…。
どれくらいそうしていただろう。
突然、それまでおとなしくしていた鳥が再び暴れだした。
それも先ほどの比ではない。じたじたばたばた、全力で脱出を試みる。
さすがに窮屈だったろうか、と手を放したら、戒め(?)から解放された鳥はそのまま大急ぎで、先ほどクマの親子が出てきたのとは別の藪(やぶ)に飛び込んでしまった。振り向きもしなかった。
その逃げっぷりに、ミコは言い知れぬ寂しさに襲われた。
…仲良くなれた、と思っていた。
自分の窮地に、危険を省みずに飛び込んできてくれて、全力で守ってくれた。
それがとてもとても嬉しかったのに。
…どうして今さら、逃げるのか。
やはり、信用されていないのだろうか。
自分と「彼」との間には、そんなにも大きく見えない「隔(へだ)たり」があるのだろうか。
それは自分の気持ちや努力では、どうにもならないことなんだろうか。
…そう思うと、なんだか心の中にぽっかりと穴が開いてしまったような、そんな気分になった。
なんだか、また涙腺が緩んできた。でもさっき出し尽くしてしまったから、涙は出てこなかったけれど。
代わりに大きな大きなため息が、無意識にこぼれた。
「ごめんね……。」
つぶやいて、それでもこのままでは駄目だと、何とか立ち上がろうと面を上げたところで。
ふと、ミコの目に飛び込んできたものがあった。
……先ほど紅い鳥が飛び込んだ藪から、何かが飛び出している?
それは、見覚えのある紅い色をしており、まとめて地面に長く横たわっていた。
[???]
どういうことだろう。
これがいわゆる、頭隠してなんとやら、というやつだろうか?
どうにも気になり、四つ這いになってその「紅いもの」にそろそろと近寄りかけた、そのときだった。
突然何の前触れも無く、藪の向こうで強い光が放たれた。
幸い藪という障壁が間にあったため直接目を焼かれずにはすんだが、それを差し引いても、思わず目をつむってしまうほどの閃光であった。
そしてその輝きに、ミコは覚えがあった。脳裏によみがえる、「あの日」の光景。
そして記憶のとおり、その輝きはすぐさま収まった。
まるで何事も無かったかのように、森林に静けさが戻ってくる。
「え…っと。」
おそるおそる四つ這いのまま改めて前進し、藪の向こう側をのぞいてみると。
夕闇の中に、絣(かすり)の着物をまとった少年が困ったようにちょこんと座っていた。
ひどくばつの悪そうな顔をしている。
そしてミコと目が合うと、どうにも渋い表情になった。
「あ、あははははは…………ごめんなさい。」
どういう理由かはわからないけれど、なんだか自分もばつが悪くなって、ミコも笑ってごまかすしかなかった。
多分きっと、彼が藪に隠れたのは、あの光が人の目には強すぎることを知っていたからなんだろう。
…それだけじゃない気もするけど。
そんなミコの様子に、タケノスケはあきらめたかのように軽く嘆息し、それからおもむろに立ち上がった。
尻についた土を軽く叩き落とす。
そして、くるりと背を向けた。肩越しに振り返る。
「おくる……。」
ゆっくりと、丁寧に、でも角の無い穏やかなその言葉に、断る理由などどこにも無く。
無意識にミコはこくんと首肯していた。
彼女が大穴の開いた背負い袋を抱えて立ち上がるのを認めると、タケノスケは再び背を向けてさっさと歩き出した。