ランプの煌々としたあかりには、ようやく慣れてきたようである。
二歩ほど歩み入ると、少年は足を止めて室内を見渡した。
室内の半分はむき出しの土間、半分は板の間になっている。
左手にあるのは炊事場。
煮炊きをするかまどと水がめ、それから調理台と調理器具や食器を納める簡単な棚と。
米びつと納戸も見える。
その向こう側に、父親の書斎(として使っている元物置部屋)へと繋がる扉。
正面にはどういうわけか暖炉。
ちゃんと石を積んで組み上げてある本格的なものだが、今は火を落としてある。
そのさらに右側には棚があって、こちらには掃除道具ほか生活雑貨がいろいろ突っ込んである。
まだ行き場の決まっていないものを取り敢えずここに置いてある、といった風情だ。
書斎からあふれたのか、本も数冊見える。
その手前に「日曜大工です」色が全開な小さなテーブルと、向かい合わせにやはりちょっと不恰好な椅子が二脚。
父娘が普段使っている食卓だ。
右の壁の手前部分には別の扉があって、こちらはミコの部屋へと繋がる。
…先日「紅い鳥」が大暴れした、テラスのあるあの部屋だ。
(ちなみに、風呂と厠(かわや)は屋外にある。)
そして、今少年が入ってきた扉のすぐ右手には、明かり取りも兼ねた窓があった。
ここにもガラスがはめ込まれているが、住む者がいない間ずっと雨戸が下ろしてあったので、こちらはきれいである。
これが、この家のおおまかな間取りだった。
少年を呼び入れた植物学者は、食卓の向かって左側の椅子に腰掛けている。
「鳥さん」が家の中に入ってきてくれるだなんて、そんな全くの予想外の展開に大いに戸惑っていたミコだったが。
父親に頼まれた用事を思い出し、少年の背後を通って炊事場へと向かった。
ただ、少年の心情を考えて、玄関扉はぴったりとは閉めずに指三本分ほど透けておいた。
そこから室内灯に惹かれていろんな虫が入ってくる可能性が高いのだが、まぁ今晩は特別なのでそれくらい我慢できるだろう。
やかんの湯はやや冷めていたが、少し加熱してやるだけで十分お茶を淹れられそうである。
かまどの火は落としてあったが、灰はまだ温かい。
練炭は一度着火させると何時間ももつので、集めておいた薪を使うことにした。
煙が出るけど…この家は不似合いなほど排煙設備がしっかりしているから、まぁいいか。
「ちょっと待っててね。」
焚き付けから火を熾すことはここに来てから覚えたが、毎日のことなので随分手際が良くなったんじゃないかな、と思う。
マッチを擦(す)って入れると、やがて炊きつけの隙間から赤々とした炎が顔を見せた。
「少しだけにしておくから、すぐ沸かせると思うよ。」
「ああ、かえって面倒かけちゃったかな。」
「大丈夫だよ、これくらい。
……ごめんね、良かったらそこの椅子に腰掛けてて?」
ミコが少年に示して見せたのは、いつも自分が座っている椅子、つまり植物学者と差し向かいの席だった。
さすがに少年はちょっと戸惑っている様子だったが…ちらりと玄関扉を見てわずかに透けていることを確認すると、「毒を食らわば皿まで」とでも思ったのか、言われるまま椅子に腰を下ろした。
「いい娘だろう?」
向かいの席に少年が就くと、父親は火熾しをしている娘に目を向けて、客人にそう話しかけた。
彼が少年とここまで接近するのは、実はこのときが初めてだったのだが。
少年は素直にこくんとうなずいた。
「でも、女の子はいずれお嫁にいっちゃうからなぁ。こうしてお茶を淹れてもらえるのもあと何年かな。」
「やだ、パパ。そんなのずっと先の話じゃない。
それに、こんなに手がかかるパパを放って、お嫁になんか行けるとでも思ってるの?」
「おいおい、それじゃお前、誰とも結婚しないつもりかい?」
「そんなこと…というより、パパはそんなに私を追い出したいわけ?」
「そんなわけないだろう。
大事な大事な娘がどこの男に取られるのかって恐々としているのは、いつの時代の父親だって同じだろうさ。」
「じゃあそんな言い方しないでよ。それに…。」
急須の茶葉を交換しながら、ミコは父親の向かいの席に目を向けた。
「ほら、鳥さんが困ってる。」
そこで父親はようやく、少年がきょとんとした顔で自分たちのやり取りを見ていたことに気づいた。
「ああ、いや…君だってそう思うだろう?」
流れで話を向けることになったが。
彼が人の言葉を理解しているのは明らかなのに、どういうわけか今回は無反応である。
何度か目をしばたかせただけだった。
「………。」
「はい、パパの負けー。」
援軍を得られずちょっぴり気落ちした父親と、ちょこんと椅子に腰掛けたままの少年の元に、ミコが先に空の湯呑みを持ってきた。
お湯が沸くにはあと少し。
少年の前に置かれた磁器の女湯呑みには、かわいらしい小花の柄があしらわれている。
「ごめんね、私とパパの分しか町から持ってこなかったの。私のでがまんしてね。」
「そうだ、戸棚にかりんとうがまだあっただろう。」
「えー、今から食べるのぉ!?」
「せっかくのお客さんに、お茶請け無しはないだろう。」
…それももっともなので、ミコは戸棚の中を探ってみることにした。ごそごそとやることしばし。
が。
「あれ? 無いよ。おかしいなぁ…まだたくさん残っていたはずだよね?」
「ああ、しばらく町には戻れないから、買い置きのつもりで多めに持ってきたんだが…。
確か…空いていたせんべいの缶に入れたんじゃなかったかな。」
「…おせんべいの缶なんて無いよ?」
と、ミコが眉根を寄せて振り返ったとき。
かまどにかけてあったやかんが、湯が沸いたことを示してカタカタ鳴ったので、かりんとうの捜索は一時中断となった。
男二人の目の前で、熱い茶が淹れられた。
ほこほこと湯気を立てる湯呑みが、少年の目の前にある。
なのに彼はすぐには手を出さず、何故か懐かしいものを見つけたような眼差しで見つめていた。
一方、父親のほうはまだかりんとうを諦められないようである。
娘の代わりに戸棚の中をのぞきに行っていたのだが。
「ああ、そういえば…。」
呟いて、戻ってきた。
通過して向かった先は、暖炉右手に据え付けられていた棚である。
「確か、昨日このあたりに……。」
「…なんでそんなとこに置くのよー…アリんこが入ってきちゃうじゃない。」
父娘の漫才(?)はまだ続いている。
その様子をちょっと所在無げに眺めていた少年だったが。
ふと、棚を引っ掻き回している父親の右手に視線を移し…そこで彼の表情が凍りついた。