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リッチ部屋の慣習、序論


 ウルティマの世界において、死はかなり軽い意味しか持ちません。
ゲームってのは元々そうですよね。テレビ画面でキャラが爆裂しよーがむさぼり
食われよーが、僕らの生活にはいっさい跳ね返ってはこない・・・・はずですよね。

 まあ実際にはそうでないところが、ゲームのおもしろさの一つなんですが・・・・。
ローグのようなゲーム(シレンとか、チョコボって言わなきゃわからんのか?あーん?)
の場合は、死=今までの積み上げたものの損失、というわけで、なんだか多大な精神ダメージ
が伴うのですが、大概のゲームの場合は、「ちぇっ」とか舌打ちして、再開ですよね。

 ウルティマの場合は、荷物などはその場に置き去りにして、復活の場所まで、幽霊となって歩く。
ということになります。
 運が悪ければ、荷物をすべて失いしかも復活もできない、ということになるのですが、
そんなときこそこのゲームの最大の利点、「仲間に助けてもらう」という行動が選択できます。
icqの呼びかけに答えてくれた仲間の頼もしさ、通りすがりの親切な人に助けてもらった驚きと
喜びは、絶対にほかのゲームでは体験できません。これがあるから、ウルティマはやめられませんよ、
ホント。

 そしてもう一つ、ネットゲームならではの最大の特徴があります。
 プレイヤー・キラー。そう、親切な他人がいれば、その逆の人だって、ちゃんとこの世界には存
在するのです。いきなり、それはもういきなりに他人が問答無用で殴りかかってきて、殺され、身
ぐるみはがされる。初めて味わった時の衝撃は未だに覚えています。
 人とふれあっていることの痛さ、というものを感じますね。
 たとえばゲームをやっている。夢中になってやっていると、
背後からおかーさんの気配。
「いつまでゲームやってんの!」「ぶちっ」「うぁぁぁぁぁぁぁ!」

えー白状しますが、僕はこういった世代より、ちょっと年上なんですが、
気持ちはよく、わかります。まさに理不尽な「暴力」によって、今までの楽しみを奪われる悲しみ。
悔しさと、無力感に涙に濡れたとしてもそれは決して大げさなものではないでしょう。
楽しい遊びをじゃまされる痛さ。PKをされるのはこれと近いものがあります。
しかもですね、相手が楽しんでやっていることが解るんですよ。
 PKは私たちが持っている荷物、金を奪ために人を襲います。
命を奪うことそのものを楽しみとしてやっている人もいます。復活という手段がある以上、
命のやりとりというものは重いものではありません。
 しかし、他人の意志で、無理矢理不幸な状況に落とされるというのは、正直良い気持
ちではありません。
 いつ他人が自分に牙をむくか解らない。現実にフィードバックの少ないゲームの世界だからこそ、
人は極端な行動に走ることが可能なのです。

 ゲームだからこそ存在しうる、無法地帯。
 しかし、他人のいやがることばかりするような人間には、ゲームの中では友達が出来ません。
 僕はウルティマの楽しさはパーティープレーだと捉えています。
 それに、せっかくなので自分の理想とする人格、「ヒーロー」に近い優しさと、強さ、
 かっこよさを持ったキャラクターに「ライアン」を育て上げるべく、努力をしているつもりです。

 うわ、ちょっと長くなりそーなので、本題は次の項目にしますね。とほほほ。


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