「K」
1
「鈴本博士、来ましたよ。」
若い男性所員、鳴海の台詞は、私が朝から、いや、五年間待ちわびていたものだった。
「そう、鳴海君、先に行って下さい、私もすぐにいくわ。」
心とは裏腹の言葉。私は平静を装い、言葉にわざと冷たい調子を混ぜて、机の上の書類を整理する。
視界の隅で鳴海が肩をすくめる仕草をしている。私を冷めた女だと評価を下した仕草。私は気が付かないふりをする。
鳴海の足音が遠ざかっていく。立ち上がり、鳴海の後を追い掛け、走っていきたい。私が一番最初にあれを目にしたい。私はその衝動を必死に押さえ、椅子に座ったままの姿勢を維持する。
衝動は鳴海の足音と共に去る。私の口から安堵のため息が漏れ、その時初めて自分の胸が高鳴っていることを自覚した。
私は机の引き出しから鏡を取り出す。化粧の少ない、冷たく取り澄ました顔が眼鏡ごしに鏡の向こうから私を見ている。
疲れて肉の落ちたきつい私の顔は、今はかすかに上気している。私の目の中に期待と興奮がある。いくら平静を装っていても、自分の顔が正直に心の本音を告白している。私が五年間待ち望んだものが今、この研究所の入口にある。
しかし、私は冷静でいなくてはいけない。私は自分に言聞かせ、心を落ち着かせようとする。そうでなければ私は仕事を続けられないのだから。
私は長く机の奥にしまったままの化粧道具を取り出し、鏡に向かった。自分の願望を他の所員に悟らせないための、顔を作り出すために・・・・・・・・。
私の名は鈴本静子。年齢は三十一。都内にある岸田人工知能研究所の所員だ。私がここに所属してから五年、研究所は、ついに大きなプロジェクトを開始させる。
西暦2028年4月6日、今日、この日をもって世界に類を見ないプロジェクトが、本格的に実施されるのだ。
この研究所の主題は、真の人工たる人間≠作り出すことにある。
世界の科学は進歩し、今や人工の「完璧な」人間の肉体というものを造ることが出来る。世の中に正式には発表されていないが、脳以外全て人工の体を持つ人もいるらしい。しかし未だ、「脳」だけは人間は造れない。
厳密にいえば脳も造ることが出来る。脳と同じかそれ以上の働きを持つ機械を造ることは出来る。しかしその機械は意識を持っていない。自我を持っていないのだ。その機械は刺激を受けなければ何もせず、問いかければデーターを吐き出す機械にすぎない。
生命を生命と足らしめるなにかが足りないのだ。一個の生命体として独立した意識を持つものがない。人間はまだこの生命の秘密を説き明かしていない。
自我に関するテストは現在も繰り返されている。たとえば、人間の腕を機械に代えて自我に関するテストをする。脚を代えて、もう一度。心臓を代えてもう一度・・・・・・・・。もちろん噂だ。しかしこれに類似した研究は実際に続けられていて、現在、我々の自我を保つ限界が脳とされている。この秘密を説き明かせれば、全ての体を機械に、幾つでも、何時でも造ることが出来る部品に代えることが出来る。その時、人間は不老不死を得ることが出来るのだ。
これら機械による人間の脳の人工化の他に、独自の脳を造る研究もすすめられている。独立した自我を持つ、人間の手による、新しい「完全な」人造人間の創造だ。
その実験の先端を行くのが私の所属する、岸田人工知能研究所なのだ。
機械そのものに自我をもたせるという方面の研究は、他のロボット研究に比べて遅れている。
必要ない。という見解が多いのだ。機械の人間に自我をもたせる。それは十九世紀の女流作家が作り上げたモンスター・フランケンシュタインを現代に蘇らせるということなのだ。人間はロボットの原型を考えた頃から、自らの作り上げたものに盲目的な恐怖心を持っている。
単純作業しか出来ない、ロボットと呼ぶにも値しない機械が人間の仕事を奪い、社会問題に発展したことが過去にはあった。ロボットに自我をもたせれば、人間が世界の支配者である現在の地位を脅かされ、取って代られるのではないかという恐怖は偽りではない。
最も人間らしい機械を作る。岸田研究所は、世間の関心を得ながらも、宗教関係者や倫理団体など一部の人々からは猛烈な反対を受けている。存続しているのは、日本で最も有力な倉門財団という後ろ盾があり、倉門財団に所属する倉門重工の一部門とされているからである。
有力な後ろ盾を持っていても、絶対的に「機械による自我」というテーマを突き詰める人々は少なく、仮定に基づく実験用ロボットを作るのに長い歳月がかかった。そして今日、世界発の人間的な℃タ験体ロボット三体がこの研究所に来るのだ。
わざと足を早めないように注意しながら、私は実験体が運ばれている部屋へ向かった。
私が部屋に入った時には、すでに他の所員たちが三体の実験体の収められているカプセルを中心に、がやがやと話をしていた。
「鈴本博士、こっちです。」
鳴海がドアの前の私を見付けて手を振る。
岸田人工知能研究所には現在、所長を含め四十人の所員と、数人の保安要員がいる。その中のうちの半分以上の人間がこの部屋にいるようだった。鳴海の方へ歩こうとする私の肩を誰かがたたく。振り向いた私の後に、同僚の笠森香が立っている。
「いよいよね、静子。」
香と私は大学から一緒の同期生だ。彼女の言葉には、私達の研究、五年間の感慨がこもっている。
「でも意外ね。」
「何が?」
「男に全然興味がなそうな静子が男性型の実験体を受け持つなんてね。おかげで私は女性型を受け持つことになっちゃった。私よりずっと美人に作られているんだもの、ちょっと面白くないわね。」
軽い口調の香の言葉に、私は内心の動揺を必死に押し隠し、言い返す言葉を探す。
「香、人を仙人か何かみたいな言い方しないでよ。女性型が美形なら男性型も期待できるわね。お互い頑張りましょう。」
無理に笑顔を作って香に向ける。香は私に軽く手を上げて、自分の受け持つ女性型実験体の方へ歩いていった。
私を呼ぶ声が聞こえる、声の方向には、私の担当する実験体を受け持つ他のスタッフが、みんなで私を見ている。
「カプセルをあけるには実験体責任者、鈴本博士のIDカードが必要なんですよ、早く来てください。」
焦れた鳴海の声。私はわざとゆっくりと自分の担当のカプセルへと近付いた。
自分の胸の鼓動が早くなるのがわかる。手が震えないように注意してカードを取り出し、スロットに差し込む。
「IDカード、確認。実験体、固体名を決定します。入力してください。」
無機質な合成音声がスロットの横のスピーカーから流れる。
緊張で私の手の平が汗ばんでいる。実験体の名を決めたのは私だ。音声入力装置を通して、初めて実験体に彼の名前を呼び掛けるのだ。
「ケイよ。アルファベットのK。あなたの名前はこの実験の間、ケイと固定します。」
私の声はかすかに震えていた。しかし、私の興奮を奇妙に思われることはないだろう。今や周りの全てのスタッフたちは、開かれつつあるカプセルに釘づけになっているのだ。 冷気をともなった水蒸気がカプセルの隙間から漏れ、私達の足元を抜けていく。
蓋が完全に開く。銀色のカプセルの中央に青白い肌の男性型実験体が横たわっている。
私達の見守るうちに、ケイと名の付けられた実験体は見る見る血色を取り戻していく。保存状態から活動状態へ、身体のなかの様々な装置が機能を発揮するために動きだしているのだ。
さっぱりした十人並みの顔。標準より多少いい程度のごく平凡な顔。実験体には極端な美形は不要だ。実験体の求めるのは人間臭さであって、造形の芸術ではない。
二十代前半の、優しそうな、整いすぎてはいない暖かい顔、私が求めた姿だ。私は彼を長く見つめすぎて、他の職員に不信感を与えないように苦労しなければならなかった。
カプセルに横たわるケイの姿。それは私が五年間望み、願った情景だった。私の胸の鼓動は自分の耳に聞こえるくらいに高鳴っていた。
ケイの目が、開く。瞳がゆっくりと見守る私達を見つめ、動く。
変化は急激だったった。無表情だった顔の、唇の両端が糸で引かれたように釣り上がるにつれ、他の顔の部品も動き、ケイの顔は明るい笑顔になる。
「こんにちは、私の名前はケイです。私は人間に最も近いロボットになるために、作られました。私の夢は、人間と友達になることです。」
発声器官の標準作動を待たないがさがさ声で、死人の肌そっくりの笑顔で、ケイは希望に満ちた言葉の羅列を口から発した。言葉そのものの発音は正しいが、前後の言葉の調子とは合わない独立したぶつ切りの台詞。
鳴海が胸を押さえたまま舌を出して、みんなの気持ちを代弁した。
「うげ。」
私達の前にいるのは、カプセルに入ったただの人形だった。なまじ人間そっくりの外見をしているだけに、まるで人体模型が不意に動きだしたような不気味さがある。
実験体のハードは完璧だが、この実験体のソフトはまだ赤子に等しいのだ。ケイの頭のなかの膨大なメモリー空間には現在、基本動作が少しだけ収められているにすぎない。私達、岸田人工知能研究所のスタッフが、人間の自然な動きとは何かをこれから学習させていくのだ。
ロボットは、どこまで人間に近くなるのが可能なのか?現在時点で、人間に最も近い最新鋭のハードを持ったロボットの、最も人間に近い「心」、ソフトウェアをを作るのが、この実験の目的なのだ。
「どうか・・・・・・・・しましたか?皆さんはどこか気分が悪そうだ。私の五感は何も不快なものを感じません。私の感覚器、何かとらえられないものがあるんでしょうか?」
問いかける顔、というのはケイの基本プログラムに入っていないらしい。能面のような無表情で、私達の顔に浮かぶかすかな嫌悪と恐怖の表情、鳴海の声から私達の現状に対する疑問を投げる。ケイのコンピューターは私達がケイの行動を不気味がっているという状況を考えられず、何か外的要因で、私達が不快な表情をしていると勘違いしたらしい。
ケイの質問に正確に答えて説明することも出来たが、私はそれをしなかった。ケイにはたくさんの学ぶ時間がある。彼はまだ何も知らない赤子なのだ。
私は自分を見る虚ろなケイの顔に向かって、子供に教えるように一言ずつ区切りながら話しかけた。
「ケイ、あなたの身体の機能はまだ平常レベルに達してないわ。そのカプセルの中で五分間、身体を外の環境に慣らすため、静かにしていなさい。」
「はい、博士。」
ケイはその蓋の開いたカプセルの中で唐突に眠りの体勢をとった。
彼は素直に私に答え、私の望んだとおりの行動をしてくれる。喜びの涙があふれそうになるのを他の所員に気付かれないように、あわてて隠す。
啓悟。と、眠りの姿勢をとった実験体のロボットに、私は心の中で彼の本当の名を呼び掛ける。ケイというのはあの人が自分で気に入っていたニックネームだった。
君塚啓悟。五年たった今でさえ、彼の名前は私の胸に痛みを運ぶ。強い憎しみと不思議な甘さをともなった奇妙な心の痛み。
私がまだ学生だった頃、啓悟と私は恋人だった。彼は、今になって思えばごく普通の人だったのかもしれない。しかし私のなかの彼は特別だったし、私の彼に対する想いは、本気だった。
啓悟は私ほどに、私を想っていてはいなかった。五年たった今、それがわかる。一緒にいても、私と彼の間には奇妙な心のずれがあった。私はその原因が、彼と私の間の愛が足りないせいだと思い、私は彼を強く想うように努力し、彼にも私への努力を求めた。そして彼の心は離れていったのだ。永遠に。私が最後に啓悟を見たのは、私の知らない女と腕を組んで街を歩く彼の後ろ姿だった。今では彼が何処にいて、何をしているのかも、わからない。
学生の時から、私には夢があった。機械に、心を与えること。まったく新しい生物≠この世に存在させること。
命をこの手で作り上げる。女なら、雌にならだれにでも出来る行為。私の研究の意欲は生物としての歪んだ欲求かもしれない。しかし私は命を生むのではなく、創造することを目標にしたのだ。
私の夢が方向性を変わらないまま性格を変えたのは、見知らぬ女と歩いていく啓悟のあの時の後ろ姿だった。
誰よりも信じ、愛していた人が私を裏切った。それは啓悟が人間だったからだ。私を愛したように、他の人間も愛することが可能だったからだ。人の心は私の思い通りには決して操れない。
ならば、私は心を創造しよう。人を愛することではなく、私を愛することを教え、私の理想こそ、自分の理想と考える心を創ろう。それはまさしく私の求める理想の恋人となるだろう。
私の真の目的は、カプセルに横たわる実験体・ケイを、私の理想の啓悟とすることなのだ。
だからこそ、私の本心を他の職員に知られてはいけないのだ。私の目的を知られれば私はこの職から解任されるだろう。ロボットを使う研究は膨大な資金が必要だ。今回の実験体は私に与えられた、最初で最後のチャンスなのだ。
2
ケイが研究所に来てから三日がたっていた。ケイも他の実験体同様、私達の作成した”人間”用のプログラムを基本回路に書き込みを完了し、身体の動きも不自然さが目立たなくなってきていた。
私の心には小さな苛立ちが生まれていた。原因はケイの調整状態にある。プログラムが円滑に作動しはじめた今でも、ケイの仕草は人間とかけ離れていて、感情表現の調整という次の段階に進めないのだ。
私が出社した頃にはケイはトレーニングルームにいる時間だった。
ケイは、トレーニングマシンの上にいた。今、ケイが行なっているのは室内歩行器による、肉体の調整だ。床にベルトコンベアーがあり、決められた速度で回転する。その上を走っているケイの身体にはいくつものセンサーが取り付けられており、ケイの作動状態を歩行器の横のモニターで鳴海がチェックしていた。
鳴海が部屋に入ってくる私を見付け、歩行器を止める。私はケイに手を上げ、挨拶をする。
「お早よう、ケイ。」
ケイは汗をかいていない。発汗によるものよりも、直接体温を下げたほうが効率的だし、コストが安くあがるからだ。
ケイの顔の変化はまだ突然だ。調整時の真剣な表情から、急激に、親しげな笑みへと、変わる。
「お早ようございます、鈴本博士。」
実験体の状況による擬似感情表現能力は、かなりの性能だ。彼らは、目、耳、鼻、口、他あらゆるセンサーで状況を収集し、最もふさわしいと思われる行動を選択、実行する。それにより、まるで心が命じているような仕草を行なうのだ。ケイの優しい笑顔は、時間、私のデーター、自分が今までしていたこと、など様々な環境から割り出された計算の結果だ。しかしその笑顔は、私に一瞬ケイが機械であることを忘れさせ、胸の鼓動を早まらせるほど魅力的な笑みだった。
「ずいぶん表情の変化がうまくなったわね。次の表情とのつなぎの表情をもう少し長くやってみた方がいいと思うわ。」
「はい、博士。」
従順にうなずくケイに、私はほほえみかける。ケイの後に鳴海が立ち、ケイの肩に手を置く。
「身体の扱いもずいぶん自然になってきたな。他のチームの実験体より成績がいいぞ。」
「ありがとうございます、鳴海さん。」
ケイが鳴海へ向けた声、表情、調子、全ては私に向けたものと同じだ。私の心に、ケイの性能に対する苛立ちが浮かぶのはこういう時だ。
ケイの表情の変化は、私達の作成したプログラムによるものだ。私達は自然な表情を実験体が表現できるよう、様々な状況を表情の要素とした。
表情のパターンの多様さよりも、表情を浮かべる状況の選択の要素に重点を置いたため、様々な状況に、不自然ではない表情を浮かべることが出来るが、表情そのものの数はそれほど多くない。
私に向けられたケイの笑みと同じものを、鳴海が受けている。私の心に浮かぶ苛立ちは明らかに嫉妬だ。
ケイの笑顔は私が作ったのだ。わずかに顔を右に傾け、緩やかな目を向け、口を強く引く笑顔。あの人の特徴を残した笑顔だ。私の心の中には、あの時の啓悟が私に微笑みかけてくれる。ケイは私の心の中にいる啓悟の鏡像なのだ。
私は自分の顔を無理に笑顔に変える。心に浮かんだ鳴海への嫉妬を隠す為に。ケイには出来ない芸当だ。
「今の笑顔はうまいわ、ケイ。状況と表情が一致していたわよ。自然な人の行動に見えるわ。」
再び同じ表情でケイは私に笑いかける。
「ありがとうございます、博士。」
鳴海が天をあおいで額に手をあてる。鳴海が呆れるのも無理はない、誉め言葉を聴くたびに同じ顔で同じ答えを向けているなんて、ボタンを押すたびに同じ動きをする玩具同然だ。
ケイは神妙な顔をしたまま私と鳴海を見ている。私達の仕草と表情で自分の機能が状況と合わないことを判断したのだ。基本プログラムではこの後、状況の整理のために質問をぶつけるようになっているのだが、実験期間中は私達がその機能を凍結させた。ケイがひとつの仕草をするたびに質問に答えていたら、ケイが人間になる時間など遠い未来になってしまう。
鳴海がケイの肩をたたいて話しかける。
「いいか、ケイ。人間てのはそう長い時間、同じ表情ではいられないんだ。いつまでもハイテンションだったり、まったく同じ笑顔を浮かべていたら不自然なんだよ。表情が同じになるような状況にあっても、しばらくしたらグレードを少し低くした表情を浮かべるようにするんだ。」
「はい、鳴海さん。こうですか。」
ケイの笑顔は唇に名残を止めるくらいになった。”微笑”だ。
「上出来だ。ケイ。」
微笑したままケイはうなずいた。
くだけた感じの鳴海の口調に、真剣に返事をするケイ。二人の会話はどこかユーモラスだ。
私や鳴海が話しかけるケイの反応はまだ高級な人形の域を出ていない。不自然な行動を一つづつ自然に見えるように矯正していく。そうすればケイはより人間に近く、そして私の理想の恋人に近付いてゆくのだ。
私達が設計した実験体の最も根本をささえる基本機能は”反射”だ。
怒り、悲しみ、喜び、そういった名のものは、心から生み出される感情≠セ。そういった様々なものがあるから、心があるのだと説明することも出来る。
私達の科学では未だ心を作ることは出来ない。「自分」という意識をもたない機械が心をもつことはありえない。人間は未だ自然の営み以外では命を生み出すことが出来ないのだ。
人間には心は作れない、しかし、心とはいったい何なのだろうか?
たとえばある人が怒っているとする。これは、状況から人の心が生み出す感情≠セ。
私達はなぜ彼が怒っているとわかるのだろう。それは彼の様々な仕草、表情などから割り出される結果、私達は彼が怒っていると、知るのだ。
感情を生み出すのは心だ。しかし心の存在を知るには、感情という表現が必要なのだ。他人は彼の仕草から、彼には感情が、そして心があることを知る。
私達はそこで一つの仮説を示す。
即ち、
『感情を表現する行動を全て精密に再現し、状況に応じてそれらを使う機械は、心があるように見えるのではないか?』
この仮説により作られた機械は真の意味での人間とは程遠い。私達の最終的な目標である、独立した一個の生命体を作るというものからは明らかに外れたものだ。
しかし、私達の仮説は世の中に受け入れられた。
真の人間を作ろうとする目標は、世の中から様々な反感に合い、摩擦を生んでいた。真の人工たる心を持つ人間というものは、それが人間の持つ夢の一つであるにもかかわらず、神への冒涜など、色々な理由を付けられて反対を受けていた。それはたぶん人間の中の、生命に対する恐れというものなのだろう。
だがそうした様々な社会の反感は、人間のように反応する機械を作ることに関しては、妥協を見せた。その機械は、どんなに人間のように見えても心を持たない機械であり、人間に近ければ近いほど、現代科学の表現能力の高さを証明する事になるからだ。
一見矛盾があるような理屈だが、世の中は肯定的に反応し、いくつもの企業が自らの技術を証明するため、この計画に参加を表明した。
ケイを含めた三体の実験体は、現代科学の結晶なのだ。内蔵は人間とは異なるが、外見は完璧に人間そのものだ。道ですれ違ったり、電車で乗り合わせても、彼らがロボットであることは誰も見破れないだろう。
しかし、一言話しかけられた瞬間に、実験体はその正体をばらしてしまう。反応が非人間的なのだ。表情や、仕草が人間そのものなのに、用いるタイミングや状況がずれている。予想もしなかった失敗だった。機械の選ぶタイミングは、「人間的な」タイミングと違うのだ。
実験体の根本的なプログラムは、反射だ。自らが置かれている環境、状況、他得られるデーターから主なものを取り出して、選択的に表情を選び、実行する。
はっきりしすぎているというのだろうか。実験体の浮かべる表情はストレートすぎるし、唐突すぎる。一つ一つの反応を人間的に近付けることも出来るが、時間がかかりすぎるし、ケイ達のメモリーはすぐにいっぱいになってしまう。矛盾も多くなるだろう。