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     骨

 

 

 スイッチが動きだした。取り付けられた爆弾のタイマーが一秒刻みで減りはじめる。

 爆発の規模はたいしたものではないが、破壊されたデータープール用のコンピューターから情報を引き出すには二週間はかかるだろう。

 その間に特許を出願すれば、証拠のないこの会社が権利を主張するのは不可能だ。

 俺の口元には卑しい笑みが浮かんでいる。この顔のもとの持ち主には決して浮かべることの出来ない表情。

「そこにいるのは誰だ。」

 不意に視界が真っ白になる。誰かが部屋の明かりを付けた事により、暗視装置のリミッターが過光量により作動したのだ。自動的に通常視界に戻る。部屋の入り口に太った影が立っていた。

「エディか・・まずいところを見つかっちゃったな。」

 俺の声に太った警備員〜エディの緊張が解けていく。気のいい白人の警備員は新人であるこの俺に、何かと色々なことで面倒を見てくれている。もっとも最近は俺の行動のごく些細な変化に戸惑っているようだが。

「レナルドさん。あんたこんなに遅くに何をやっているんだ。」

 わずかに緊張は解けていない。俺に問い掛ける声は職業柄か、いつもの話し声より威圧的だ。

「実は上司にデータの提出を迫られていてね、帰ってから小さなミスに気付いたんだ。提出は朝一だし・・。」

 殊更媚びるような調子を声に混ぜる。家を出ていった息子の姿を、俺に重ね会わせているエディの目に、理解の色が拡がっていく。上司の名前に社内の嫌われ者を入れたのがうまくいったのかもしれない。

「レナルドさん。あんたの気持ちもわかるが、せめて儂に断ってからでも・・」

 エディの言葉が不意に途切れる。奴の目は俺の背後のコンピューターに付いている物に注がれている。時を刻んでいる爆弾に。

「まあとにかくここから出よう。他の警備員に見つかって大目玉を食らう前にな。」

 砕けた口調と裏腹に、奴の体の発汗量が跳ね上がる。目が殺気を帯びて俺を見る。腰の拳銃を抜くスピードは彼の若い頃のもっとも得意なものだった。

 俺は”身体”の戦闘機能をONにした。虫の羽音に似た機械音が耳の奥に響く。俺の体のなかで唯一つ生身の部分、脳を保護するための制動装置の作動音だ。目の前のエディの動きが緩慢になり、奇妙な静寂が俺の体の回りを覆う。

 戦闘体勢に入り反応速度の上がった俺の体は、水の中の様なオーバーアクションでエディに近付く。空気の壁が俺の行動を阻もうと全力を挙げて存在を誇示しているのだ。骨格の急激な動きに耐えきれず、爪が、髪が、皮膚がまるで渇いた粘土の様に体から剥がれてゆく。レナルドを形作っていた人工皮膚のなかから俺の骨・本体が現われはじめる。

 エディの目は未だ俺がいたはずの空間に固定されている。今の俺の動きは通常の人間が捕らえることは不可能だ。動きを止めている白人の胸に、特殊合金で構成された俺の腕が入ってゆく。肉を裂き、肋骨を押し退け、心壁を突き破る感覚が俺の金属の腕に伝わる。激しい血飛沫がエディの胸から吹き上がる。

 時間感覚が通常に戻る。エディはレナルドの残骸を身につけた金属の骸骨を、最後の映像として目に焼き付けて絶命した。

 軽い立ちくらみが体を襲う。急激な機動は頭蓋に浮いている脳にはきつい話だ。制動装置を使っても戦闘体勢の機動時間は二秒が限度だ。それ以上の負担をかければ頭蓋の中で脳は液体と化してしまうだろう。

 金属が床と触れ合い堅い音をたてる。肉に阻まれない俺の体は動作をするたびに体の各部からモーター音が響く。

 窓ガラスを割り、後を振り返る。

 たとえ発見されても爆発には間に合わない。俺は夜の外気に体を投げ出した。

 

 

 カプセルの中に横たわる男の死に顔は、まるで眠っているようだった。

「この男が今度の君の”顔”だ。」

 背後のスピーカーから声が流れる。俺の直属の上司、Pの声。名前はおろか、顔も明かさないこの男は、ある時は電話で、ある時はスピーカーで、同じような無表情な声で俺に命令を下す。実際に俺が顔を会わすこの企業の関係者は俺のような下っ端か、白衣をきた医師、機械技師だけだ。

 俺は鏡で確認した自分の顔を、視覚映像化して死んでいる男と重ね合わせる。記憶のなかの顔の表情を変化させる。俺の口に満足の微笑が浮かぶ。今の俺の顔は死人と寸分違わない。

 変装。既にこんな言葉は、俺の身体には当てはまらない。俺の本体。それはこの人工細胞に包まれた中身の金属の骨だ。機械工学の技術により、人間の何倍もの強度を誇る戦闘用の身体。生身なのは、頭蓋に浮いている脳だけだ。

 この身体を調節し、肉を付ければ俺はどんな外見の人間にも化けることが出来る。

 そしてこの用意された”顔”になりかわり、情報を雇い主である複合企業・B・グループへ流すのが俺の仕事だ。

 骨格などの身体特徴を完璧に再現するため、俺は死体の隣の同じようなカプセルに横たわり、キャノピを閉める。マスクに表情を隠された技師たちが、制御盤を操作しはじめる。 カプセルの中から吐き出された幾つものコードが次々と俺の身体に突き刺さる。隣の死体に同じように刺さっているコードから送られてくる情報に従い俺の身体を変化させてゆく。

 側頭部のコードからPの声が伝わる。

「君の”顔”の名前はロイド・カービン。フィリップ社の感応機、ソフトウェア開発部門研究機関の一人だ。」

 俺は思わず苦笑する。感応機。現代においてもっとも進んだ娯楽機械だ。擬似記憶体験装置とも呼ばれる機械は、人間の五感に架空の信号をあたえ、いわば起きながらにして夢を見させる。感応機に差し込むソフトを換えることにより、人々は様々な体験をすることが出来るのだ。

 もともとは宇宙空間や、コクピットなど様々な状況を再現するための軍事シュミレーションマシンだったのだが、性能を落とし、価格を下げることにより娯楽機械として民間に広まった。それも加速的な速さで。

 広まるにつれ需要が増大し、より革新的に、より高性能になっていった。現在では当時の軍事機械の水準を軽く追い越し、優秀な感応プログラマーなどは同じグループ傘下の軍需会社に引抜きをされるほどだ。

 俺の身体自体巨大な感応機のようなものだ他人の記憶で完璧にそいつを演じる。現在の感応技術の結晶が、感応技術を盗みにゆく。コミックのような滑稽さではないか。

「どうもフィリップ社のところで新しいハードが開発されたらしいのだ。」

 Pの声が俺を現実に引き戻す。

「ハード?このロイドという男はソフトプログラマーだろう。」

「そのハードで動く試作ソフトを作り出すのが、ロイド君の所属しているチームなのだそうだ。」

 自分が殺した男に”君”など付けて呼びやがる。

「ロイド君の仕事はソフトプログラムのサポート。配属されてから二週間目だ。依然いたところは今の職場から遠いうえ、そこにいた期間も短い。すり変わっていることに気付かれる可能性は薄い。」

 まさにおあつらえ向けの条件というわけだ。特殊な才能や技術を持っているスタッフは、すり変わる対象には選ばれない。その人物を殺してしまうことにより、盗みだす情報そのものがなくなってしまうからだ。プログラムのサポートということは、開発の独創性から離れた基礎の部分を扱う仕事だ。彼の名刺にかかれた肩書きがその命を絶たれる直接の原因になったのだ。

「君は今夜、休日を使ったドライブの帰りということになっている。車も用意しておいた破壊されたのと寸分も変わらぬものだ。ロイドを演じる期間は一ヵ月、ばれる事無く任務を遂行したまえ。」

 白衣を着た技師が、八センチ四方のカードをカプセルに入れる。首筋に軽い痛み。人工皮膚を貫いて俺の延髄のスロットに、カードが差しこまれる。

 人間の一生など虚しいものだ。思考、行動、感情、全てのパターンとその人間の生涯の記憶がこの小さなカードに納まってしまう。 このカード一つで、ロイドならばどのように考え、行動するのか、俺はすべてを把握できる。身も心もロイドになりきるのだ。

 人間の文明は進歩し、腕、足、内蔵、骨格に至まで全てを人工にするのが可能になった。唯一、脳を除いて。厳密に言えば脳も作れる。脳と同じ様に身体の行動を命じ、脳以上の記憶装置を作ることは出来る。しかしそれは自律的に動けないのだ。未だ科学は真の人工たる人間を作ることが出来ない。擬似感情を持つロボットは作れるが、そいつ等は刺激を受けなければ、何の動作もしない。 

 命を命足らしめる何かが足りないのだ。その何かを探すための実験は今も行なわれている。生身の人間に自我に関するテストをする。腕を機械に換えて、もう一度。脚を換えてもう一度。胃を換えてもう一度。心臓を換えて・・・。そして今のところ自我を持つ限界が脳とされれているのだ。脳のほんの一部をのぞいて全て機械となる日もそう遠い未来ではないだろう。

 自律的に動く脳は作れないが、脳が記憶している全ての情報、その人間の感情パターンなどは、より効率的でより小さく出来る。現在ではカード状までになった。こいつを使えばそのデーターを持つ人間の全てがわかる。その人間になりきることが出来るのだ。そして骨格全てを変化できる人工の物にし、表皮や肉を被せれば簡単に他人に変身できる。

 心身共にロイドとなった俺はカプセルの蓋を開けた。

 

 

 高層マンションのエレベーターのドアが、背後で閉じる。ロイドの部屋の番号は708号室、突き当たりだ。ドアのスロットに、ロイドのIDカードを差し込む。確認の音声と共にドアがスライドする。

 部屋に踏み込むと共に明かりが点灯する。俺は”身体”の捜索機能をONにする。部屋の情景を一枚の絵として固定し、注目するものを記憶で確認していく。ソファー、テーブル、灰皿、窓、壁に掛かった写真、部屋の細部に至まですべてのものに対して同じ作業を繰り返す。この間約二秒。

 大丈夫だ。しばしば事故として存在する、記憶を移し替える際の大きな歪みはない。

 この作業により、”顔”の人生のかなりの部分を手に入れることが出来る。物品に対するイメージは、関連する記憶を呼び覚まし、さらに枝分かれしてゆくことにより、さまざまな記憶の泡を生じさせる。その泡を一つずつ取り込んでゆくことにより、よりオリジナルの人格に自分を近付かせるのだ。

 この作業には訓練と、天性の精神力が必要だ。もし失敗すれば分裂症が待っている。強烈な記憶をもつ”顔”をコピーしたために、感応中毒者と病院のベットを分け合う元諜報員もいるらしい。

 この作業の後は疲労を覚える。俺は棚に近付き、洋酒のビンをとる。煙草に火をつけソファーに腰をおろす。前の”顔”とは趣味が合わなかったが、ロイドはなかなか酒の味を知っている奴だ。琥珀色の液体が喉の奥に流れてゆく。俺の身体は意図的に酩酊状態を作ることも出来るが、本物の酔いにはかなわない。

 テーブルの上にリモコンがのっている。留守録になっている映話を巻き戻して再生する。思わず唇から口笛が漏れる。モニターから語りかけてくる声は、その美しさを助長している。記憶による美化から差し引いてそれほど期待していなかったロイドの恋人・シャーリィ・クレイルは掛け値なしの美女であった。 仕事は仕事だが、楽しみは最大限に利用しなければならない。モニターに映る美女の微笑に向かい、俺はグラスを掲げた。

 ロイドの出来たはずだったことを引き継いでやろうじゃないか。

 

 

 車で走る。風景が熱を加えられた油絵のように視界の隅で融け流れてゆく。

 ”スクルト”北欧神話の女神の名。”未来”を象徴するその名はなんてこの車にふさわしいんだろう。スクルトは僕の思うまま、風のように木々の間を駆け抜ける。

 バックミラーに黒い車が映っている。すごい速さだ。視線を前に戻してぎょっとする。何時の間にか前にも同じ車が走っているじゃないか。前の車の窓から覗いてきたものをみて僕は悲鳴をあげる。拳銃だ!

 窓ガラスが一瞬真っ白になって砕け散る。「シャーリィ!」

 恋人の名前を叫ぶ。彼女をのせるために転勤してまで手に入れた車なのに!

 バックミラーにはどんどん大きくなってくる追跡車と、恐怖に血走った僕の目が映っていた・・・・。

 

 

 軽い恐怖の名残と現実への安堵に、俺は顔をしかめてベットから起き上がる。

 後遺症。こいつは俺達のような”身体”を持つものの宿命だ。死ぬ直前の記憶というものは生涯を通じてもっとも強力なものだ。眠りという無防備な状態にその記憶が出現し、夢として再生されるのだ。これに耐えることの出来る精神力が諜報部員の第一条件だが、朝、ベットの中で発狂したまま処分された同僚も後を絶たないと聞く。防ぐ方法は現在無しだ。起きる度に神に感謝するようじゃこんな仕事をやってられない。 

 

 

 フィリップ社の自分の職場のドアを空ける前に受けた検査は、IDカードの掲示と指紋の確認。レントゲンによる所持品の確認。これだけでOKだ。重要な製品と機密を扱っているとは思えない簡単な検査。急成長の会社にありがちな形ばかりを金にあかせて作った防犯システム。 強盗に入るだけならそこらの中毒者でも十分だ。お釣りがくる。

 二週間。ようやく部屋と部屋のつながりを覚えた職場。簡単なイメージ以外、ロイドの記憶は何も語らない。シャーリィの記憶量とえらい違いだ。ロイドの記憶は繰り返し自分のデスクへの道を再生する。

 焦るなロイド君。君みたいに仕事ばかりをやっているわけにはいかないんだ。視界を広角モード、ついで精密モードへ動かす。記憶装置への書込は出来ない。作動信号は天井に取り付けられたセンサーに拾われる。後で書き込むため、この一瞬脳細胞にたたき込む。細部漏らさず。諜報員の基礎の基礎。

 デスクに辿り着き、自分のコンピュータのスイッチを入れる。先輩が来るのは四十分後だ。それまでに下準備をこなさなければならない。下っ端はつらい。

 この部屋に警備センサーはない。コンピュータのスイッチを入れるたびに警備員に銃を突き付けられるわけにはいかない。

 仕事をしながら、脳のなかの職場を記憶装置へコンバート。基礎応用編。

 怪しい動きを察知されてはならない。何気なく向けた視線。ふと立ち止まった廊下の景色。ドアの隙間から漏れてくる音。すべてに意識を集中し、頭のなかにたたき込む。

 ロイドの記憶と照らし合わせ、正確な地図として、記憶装置に転写する。ロイドがシャーリィのことを考えているような間だけの短い時間で作業する。、仕事の能率を落として注意を引くわけには行かない。

 もう少し自由に動ける口実を見付けなければならない。気が付くと時計の針は退社時間を示していた。

 仕事の時間は終わりだ。ロイド君との共通の愉しみ、シャーリィとの待ち合わせに遅れてはならない。

 

 

 愛車のドアを閉めて、鍵を掛ける。待ち合わせの短い時間しかいない店に、車を止めるだけでもいちいちロイド君は車に鍵を掛け、二度、点検する。

 新車に対する執念は舌を巻くほどだ。心中できてさぞかし満足だったに違いない。

 ドアを開ける。この時間の喫茶店は、幸福な奴とそうでない奴の境界線がはっきり分かる。人数をきいてくるボーイを無視して、幸福組に所属しているシャーリィに近付く。

「ごめん。待った?」

「二十五分。」シャーリイはいくぶんむくれて上目遣いに俺を見る。

「これでも飛ばしてきたんだぜ。今度から待ち合わせ時間、遅らせなきゃなんないな。」

「今日は、広東楼がいいな。」

 高級中華料理店。あすの昼も貧しい食事になりそうだ。

 

 

 広東楼まで話題は新車のことだけだ。カタログの台詞の羅列にシャーリィはうまく合いの手を入れてくれる。ご苦労。

 シャーリィが、さんざん迷って決断した料理の皿がテーブルに並ぶ。

 黒砂糖に暖かい老酒を注いだグラスを軽く触れ合わせる。とりとめのない会話。

 桜色に上気したシャーリィの肌。笑うたびに輝くピアス。

 テーブルの上を動く白い指をいきなり俺は掴む。手を絡ませる。

シャーリィは戸惑った視線を俺に向ける。いつものロイドは決してしないことだ。俺は意志をこめた目で彼女を見る。彼女の手にこもった緊張が、解けていく。

 この行動でロイドの正体に疑問を持つ女はいない。彼女の知らない一面があったという事実を認識するだけだ。そしてこれからはこの女を俺流に楽しめる。いつも通り。

 やはりシャーリィには大人の表情が似合う。艶が含まれた彼女の顔は、今までの倍も美しい。ふとその顔がいつもの表情に戻り、微笑した。

「どうしたんだい?」

「右の眉毛が動く癖、何かをしようと構えると、いつもそうなのね。」

 握った蟹のはさみが不自然に大きく動いたことを彼女に気付かれただろうか。幸い感情表現回路のおかげで表情はシャーリィに微笑を返していたが、内心は激しく動揺していた。右眉が動くのはロイドの癖だ。しかし、俺の身体は命じなければその行動をすることは決してないのだ。

 俺は自分の身体のモニターを働かせる。オールグリーン。正常だ。記憶装置は右眉を動かしたことを記録している。シャーリィの方向にテーブルを回している俺の背中に、氷柱が突きささったように冷たくなる。その行動を命じた記録は皆無だ。俺の身体は命じてもいないのに行動をしたのだろうか。そんな機能は俺にはついていない。不可能の行動を俺の身体は実行している。

 身体のどこかが壊れたのか?俺の身体は機械だ。自然に正常に戻ることはない。

 シャーリィをにこやかに送る俺の腹には、重い恐怖がいつまでも残っていた。