過ぎ去りし日々に


 故郷の街を離れて四年目の夏。今、あたしはこの海沿いの街でバイト三昧の生活をしている。将来のあてなんて何もないけれども、毎日は、まあ楽しい。
 そんなあたしのもとに、この日、一通のはがきが舞い込んできた。差出人は、中学時代の友人。その内容はといえば…。
 はがきの裏を見たあたしは、すこし考えてからこくっとうなずいた。単調な毎日の息抜きにはちょうどいいかもしれない、こんなに早く故郷の街に戻る時がこようとは思ってもいなかったが。
 どうやら、この次の日曜日には、三十分ほど愛車のバイクを走らせることになりそうだ。

 


 そして、日曜日の午後、待ち合わせの場所には、二十数人の仲間がいた。いずれも中学時代の悪友達だ。そのなかに、とびきりあたしと仲のよかった四人、みつる、みゆき、クマ、リョウがニコニコとあたしを待っていた。
四人の変わらない笑顔を見たとたんに、あたしの胸の中に、いいようのない懐かしさがこみあげてきた。
「よう、瑞穂、元気だったか!!」
「うん、みんなも元気そうで何よりだね…!!」
 あたしは、ニッコリ笑ってうなずいた。この仲間うちでは、あたしの名前が、そのままニックネームになっていたのだ。
「あの頃から、タテはあまり大きくなってないようだな。横はずいぶんと大きくなったみたいだけど」
「失礼な!!  理想的な体形になったと言ってほしいわね、まったく…」
 あたしは、ちょっとだけふくれてみせた。無論、冗談である。あの頃からあたし達の間では、顔と体形の話は決してタブーてはなかったのだ。思春期の微妙な時期にあって、あたしにとってこの四人は何でも言いあえる仲間達だった。どうやら、四年程度の年月では、その硬い絆を風化させることは出来なかったらしい。
 他愛もない冗談で、四年前の五人に戻ると、あたしはすぐ後ろを振り返った。そこには、このメンバーで集まるにはおよそ不似合いな、けれども、とっても大切な建物が立っている。
「それにしても、同級会をこんな所でしようなんてね…」
「まあね」
 と、頭を掻いて答えたのは、この同級会の主催者、あたしが中三の頃の学級委員である。みんなには、啓介と名前だけで呼ばれて親しまれていた好人物だ。
「でも、あの時に戻って楽しくやるには、ここよりいい所は思いつかなかったんだよ。なんたって、ここには俺達の思い出が、みんなつまっているんだからね」
「そうだね。確かにその通りだ…」
 あたしは、一も二もなく大賛成した。おそらく、ここにいたみんなが、同じ思いでいたことだろう。確かに、ここにはあたし達の思い出が、みんなつまっている。この場所、この四年前とまったく変わることのない古ぼけた三階建ての木造校舎で、あたし達は、あの輝きに満ちた三年間を過ごしたのだ。

 


 同級会をやる場所として、この古ぼけた木造校舎は確かに最適の場所かもしれない。春休みの最中なので、校舎の中にはほとんど人がおらず、しかも木造なので風通しがいい。おまけに、費用の全てを食費と酒代に振り向けることができる。
こんな所でまさか宴会が行われていようとは、誰も思わないだろう。準備万端が整ったところで、あたし達は例のごとく酒盛りを始めた。
 ところで、今日の参加メンバーの中で、たった一人だけ、あたしにとって天敵のごとく苦手な人物がいた。いうまでもなく、あたしの中三の頃の担任の先生である。もちろんあたしは、その頃ブラックリストに載るような悪ガキだったわけではなかったが、さりとてまともな生徒だったわけでもない。この先生にとってあたしは、トラブルメーカーもいいことの、どうしようもないいたずら好きだったのだ。あたしだけでなく、悪友五人組みんながそうだった。
 先生は、その頃を懐かしそうに振り返る。
「まったく、お前達五人には、ほんとに手を焼かせられたよなあ、毎日毎日教務室に呼ばれて…」
  あたし達五人は苦笑した。まったくの事実なので、反論のしようがない。
「でも、楽しかったよね、とっても」
「うん、校則なんてそっちのけで、あっちこっちでいたずらばっかりだったもんね」
「学校の中でも外でも、だったよな」
 おかげで、この五人のなかに、まともに大学までいった人間は誰もいない。すべてあの、輝いた三年間の代償だ。けれども、それと引き換えにどれほど素敵なものをやるといわれたって、あの三年間と交換なんてできない。すくなくとも、あたしはそう思う。
  この同級会のさなかに、あたし達は、思わぬ人の訪問をうけた。他でもない、この学校の用務員のおじさんである。聞けば、この十年ほどずっとこの学校にいたのだという。あたし達がここに入る前からここにいた人だが、同級会を学校で開いたクラスはあたし達が初めてなのだそうだ。
 だから、最初この教室に見回りにきたとき、とてもびっくりしたと言っていた。そんなおじさんも、四年前と少しも変わっていない。
 そう、こういう人もあたし達にとっては、大切な思い出の一部なのだ。四年前のあの日、ちょうど文化祭の終わった日の夕方、みんなで打ち上げパーティーをやろうといったとき、さり気なく、隠れた校舎の一室を貸してくれたのはこの人だった。そればかりでなく、お菓子その他のものも、たくさん持ち込んでくれたのだ。あの時のことは、今でもしっかりと胸に焼きついている。決して忘れ得ぬ思い出。それをたどっていくと、この笑顔の素敵なおじさんも、しっかりと活きづいている。全てがそうなのだ。この古ぼけた木造校舎にあるすべてが、今、ここにある。

 


 そして宴が終わろうとしていた時、あたし達は、屋上に出てみた。振り返ってみれば、これまで何度、この屋上から街並みを見たことだろう。あの三年間のあのとき、まだあたし達の未来が定まっていなかったあのとき、ここから見える景色は、みんなあらゆる可能性に満ちているように見えた。あらゆる過去が、そしてあらゆる未来が、この下に広がっている。そんなふうに思えたものだった。
 暮れなずむ街並み、あたし達はちょっぴり酔っ払いぎみに、この街を見下ろしていた。
「…ねえ、それにしても、どうして同級会をここで?」
「これは啓介から聞いた話なんだけど、来年の今頃には、この校舎はすっかり取り壊されて、なくなってしまうんだ。その前に、なんとかみんなで、ここで何かやれないかな、って思ってさ。この校舎は、俺達の思い出の場所だからね」
「そっか…」
 あたし達は、ちょっぴり寂し気にうなずいた。この木造校舎がなくなる、それはある程度予想していたことだった。今の時代に、使い勝手の悪い木造校舎は、いずれ鉄筋の校舎に生まれ変わっていく。それを進歩として受け入れていくのは、ごく当然のことだ。けれども、その陰であたし達の思い出が、またひとつ消え去っていく。過去よりも未来のほうがたくさんある今のあたし達にとっても、それは少しだけやりきれない。
「…まあ、思い出は、自分の胸の中にとっておくのが、一番だってことだな」
 しばらく黙り込んだあとで、みつるが気を取り直したように言った。彼は、あたし達が落ち込んでしまった時に、いつも絶妙なタイミングで元気を分けてくれる。そして、それを受けてくれるのは・・・・・。
「そうだね。ここにあれば、あたし達はどんなときでも、思い出と出会うことができるわ。この場所がなくなっても、あたし達はいつでも、ね」
 みゆきはそこまでしか言わなかったが、あたし達には、それだけでもう十分だっ
た。みんなの瞳を見れば、それ以上の言葉は不要だということがよくわかる。四年間のブランクを越えて、あたし達は再び、あの時の仲間に戻ったのだ。
 …大切なのは、その場所ではなくて、その瞬間にあったこと、そして、そこに誰がいたのかということ…。
 ふとあたしは、となりで同じように夕陽を見つめている友人たちを見やった。この瞬間に、あのときのすべてが凝縮されている。だから、この一瞬を、そっと胸の中にしまっておこう。いつかきっと、また懐かしく思い出すときが来るから、そして、また再び、このかけがえのない悪友たちと出会うときが来るから…。あたしは、そう思わずにいられなかった。
 過ぎ去りし日々、黄金色に輝いたあの日々が今、あたし達の目の前で、ゆっくりと沈んでいこうとしていた…。

 

THE    END

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