夏の残照




  夏の終わり。それは、過ぎ去った祭りの余韻と、少しだけ涼しくなった風が運んでくる安息とが混じり合う、不思議な気分になる季節。少しだけ嬉しくて、少しだけ寂しい、戸惑いを覚える季節─。
  そんなある日、あたしは友達の由香と、海に来ていた。空は相変わらず透き通るように青かったけど、もう一日中泳いでいられるほど暑くはない。砂浜に出ている人達も、多くはただの散歩のようだ。
「あ〜あ、もう夏が終わっちゃうのか…」
  由香はとても残念そうにつぶやく。彼女は、この十九歳最期の夏を、とびっきり楽しく過ごそうと、早くから計画を立てていた口である。
 ─ そして結局、何もなかったクチだ。
「そんなに悔しがらなくてもいいじゃない。夏はまた来るわ」
「だぁって…」
  由香はおもいっきり口をとがらせる。半分は冗談のようだが、残り半分の思いなら、あたしにも少しはわかるつもりだ。だって、来年の夏にはもう、あたし達は十九歳じゃない。たったひとつの違いだけど、その違いはあたし達には大きい。
「だいたい、去年だって由香、大はしゃぎしてたじゃない。高校最期の夏を思いっきり遊ぶんだって」
「それはそうだけどさ、でもやっぱり特別じゃない?  来年には、あたしももう、仕事先を見つけなきゃいけないんだし」 
  短大一年生の由香はそう言う。そう言いつつも、この街で育って、この街の短大に入った由香のことだから、おそらく地元に仕事先を見つけることになるのだろう。そういう予定調和を前にして、少しだけ、平凡な生活をかき乱してみるのも悪くない。そう、少しだけなら ─。
「でも、瑞穂も大変よね。高校にも行かないでずっと仕事してるのに、こんなチャランポランのあたしに付き合ってさ」
「チャランポランねえ…」
  あたしは、思わず笑ってしまった。彼女は仕事とは言うけれど、その実態はただのバイトにすきない。それも、他にやりたいことがあったから選んだ道だ。それでも、いまだ学生の彼女から見れば、これも山あり谷ありの人生に見えるのかもしれない。
「悪いと思ってる?」
「うん、とっても」
「よろしい…!!」
  あたしが茶目っ気たっぷりに言うと、由香はいたずらっぽい調子で切り返してくる。ハイ・ペースな由香とスローなあたし。だけどけっこう、コンビネーションは絶妙かもしれない。あたしにとっては、とても嬉しいことだ。
  防波堤のふもとまでやって来ると、由香はあたしに言った。
「あたしちょっと、ジュース買ってくるね」
「うん、じゃあ、あたしのもお願い」
 あたしは120円を由香に渡して言った。由香はとびっきり明るい笑顔でうなずくと、勢いよく近くの自販機目がけて駆け出していく。
  やれやれ、あの分だとあと五分は帰って来ないだろう。気が多いのと優柔不断なのが、由香の数少ない欠点なのだから。そのせいで、この夏も何事もなかったのだ。広く浅く ─ まあ、それも彼女にとっては楽しいことだったには違いないのだが。
  あたしは、防波堤の上を歩きながら、砂浜を見やった。すがすがしい気分と涼しい風に誘われて、浜には何組かのカップルが歩いている。今のあたしには、そんなふうにしてくれる人はいないけど、もしその気があったら、今頃はあのくらいしていたかもしれない。優柔不断なのは、あたしも由香と大差ないようだ。
  と、その時、ふとあたしの目に、一組のカップルが映った。砂浜に寄り添うように座って、じっとしている一組のカップル ─ 。
「あ…」
  あたしは思わず、周囲の時間が逆行していくような錯覚に捕らわれていた。そして、チクリと胸を刺すような痛み。もう二年以上も前のあの時、同じようにしてあたしの隣に座っていた人、その「彼」がそこにいたのだ。

 


  彼 ─ とりあえず和典という名前がある ─ は、あたしがハイ・スクールの頃、付き合っていた人だった。いや、決して公認だったわけではない。あの頃は、そんなあやふやなカップルがいくつもあったものだった。
 「彼」のいる夏というのは、何もかもが輝いて見える。特に、人を好きになるということに憧れを抱いていたあの時代、それを心の中で叶えたあたしにとって、夏はいろいろなコトが起こる季節だ。時間は無制限。昼でも夜でも、好きな時に「彼」と一緒。ちょっぴり切なくて、でも目いっぱい生きてたあの頃のあたし。  砂浜までは遠かったけど、よく「彼」と並んでここで海を見ていた。とりとめのない話をしながら、この瞬間瞬間の心を「彼」でいっぱいにして、時の輝きを浴びながら。 ─ それが、人生で最初のお祭り。
  そして今、あたしはその残照を、十九歳の目で見ている。「彼」と、彼に寄り添う素敵な女の子を目の前にして。
  そうか、新しい恋を見つけたんだね…。その思いは、今のあたしにはちょっぴり痛かった。あれからもう二年と少しが経っている。もう十九歳になったあたし、もう純粋な思いだけで生きては行けないあたし。あの二人を見ていると、この二年のあいだに何が変わったのか、改めて思い知らされた気がしていた。
  夏の終わりは祭りの終わり。十代最後の暑い季節は、もう過去の中にしか残っていない…。

 


「お待たせ…!!」
  予想した時間よりも二分ほど遅れて、由香が戻って来た。受け取った缶には、ちょっと太めの35
0mlと書いてある。そのうえ、なぜかアルコール分が少々。どう考えても、120円で買える代物ではない。そして、この時間帯から飲むような物でも。
「ただのジュースじゃつまんないもんね、あたし達には」
  タブを開けながら、由香がいたずらっぽく笑う。その笑顔の中に、ほんの少しだけ日が陰ったような雰囲気がある。そう、十九歳でいられる最後の夏が、過去に変わってしまった寂しさが。でも…。
「賛成…!!」
  あたしはニンマリとうなずいた。もうお互いに振り返るべき過去が多くなったあたし達だが、これから作り上げていく未来に比べれば、まだまだその比率は小さいのだ。それに、陽気に過去と向かい合えるだけの心も…。
「乾杯しよう、過ぎ去った夏に」
「うん、楽しかった夏に…!!」
  グラスならぬ缶をあわせて、あたし達は乾杯した。おいしそうに アルコール入りジュースを飲む由香、そんなあたし達を包み込む涼風。すべてが、あたしにとってはちょっぴり眩しい。でも…。
  夏の終わりは祭りの終わり。けれども、今ならあたしにも、そんな言葉を蹴り飛ばしてしまえそうだ。

 

THE    END

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