「お前なぁ…!」
巨大なダンボールを前にして、俺はため息をついていた。
ここは、俺の通う大学の近くにあるアパート。
2DKの俺の部屋は、学生にしてはちょっと贅沢かもしれない。
そして。
テーブルの上に鎮座する巨大なダンボール。
「こんなの持ってきて、俺にどーしろっていうんだよ…」
俺は頭を抱えていた。
そんな俺を見やって、智也はからからと笑った。
もちろん苦笑気味に。
「だってしょーがねーじゃん。俺の部屋には、同じやつがあと五つもあるんだぜ。食い切れんのは俺も一緒だって♪」
茶髪、ロン毛、人好きのする明るい性格で遊び人の智也だが、
こいつの実家が果樹園付きの大規模農家だと知ったときには驚いたものだ。
「…たしか、先月は米だったよな…」
俺は皮肉を込めて智也に言ってやった。
そう、先月は刈り入れの時期だとかで、こいつから何とかという東北で一番ウマい米をもらったのだ。


…十キロ入りの袋を、三袋も。


「おう、メチャクチャうまかったろ?」
奴は嬉しそうに言った。
俺はげんなりした額を押さえた。


ひ、皮肉が通じてねぇ…。


確かに奴の米はウマかった。
それこそ、いい水といい米があれば、こんな都会でもうまい飯は食えるという見本みたいに美味かった。
しかし、三袋合計で三十キロ。
毎日朝晩食ったとしても、とても学生一人が一月で食い切れる量ではない。
丼一杯ずつなら話は別かもしれないが。


…頼むから、くれる量をもうちょっと加減してくれ…。


咽まで出掛かったこの台詞を、俺は慌てて堪えた。
以前こう言ったとき、こいつがものすごく悲しそうな顔をしたのを思い出したからだ。
いくら遊び人だといっても、こいつは基本的に純朴でいい奴なのだ。
友達だからというだけで、実家から送ってきた、しかも売ればかなりの値がつくであろう野菜や果物を、どっさり分けてくれるほどに。
それに、こいつがいてくれるおかげで、味気ないアパート生活に季節感が出る。
新鮮な旬のものが、旬の時期に食える。
その嬉しさを教えてくれたのは、まさにこいつだ。
「…だけどさぁ、こいつ、そう日保ちするモンでもないだろ?」
オレはダンボールを指差して言った。
今回、智也が持ってきたダンボールには、梨がとっさり入っていた。
何でも、出荷の過程で色や形がよくないから市場に出せなかったものだとか。
もちろん、味や品質は智也のお墨付きだ。
それがダンボールいっぱい、しめて三十個以上。
笑うしかない現実が目の前にあった。
「まあな」
と、智也は意外にもあっさりうなずいた。
「でもまあ、一週間ぐらいは保つし、梨がキライな奴はめったにいないからな。余るようだったら、知り合いにでも分けてやってくれればいいさ」
と言いつつ、智也は俺の前に梨を並べていく。
「だけど、半分は食えよ。これ、お前のノルマ、な♪」
ほどなく、俺の目の前に見事な梨のピラミッドが出来上がった。
費やされた梨の総数、しめて三十個。
智也は「どうだ」と言わんばかりに胸を張った。
「了解」
俺は諦め半分、苦笑半分でうなずいた。
この半分でも食い切れれば上等だろう。
旬の梨を心ゆくまで食えるのは、正直嬉しくはあったが。
智也は満足気な顔で、んじゃ、と立ちあがった。
どうやら、当座の用事は済んだらしい。
玄関を出る智也を見送りに、俺は外へ出た。
駐車場には、智也の真っ赤なユーノス・ロードスター。
その助手席に、二箱のダンボールが鎮座している。
ナンパ車に果物入りのダンボールとは、ね…。
何ともミスマッチな光景が、妙におかしかった。
「じゃ、俺はまだノルマがあるから」
運転席に乗り込んだ智也は、そう言って右手を上げる。


なるほど、な…。


俺は、笑いをこらえつつうなずく。
程なく、智也の運転するロードスターは、派手な爆音を響かせて走り去っていった。
「…奴も、いい親御さんを持ったものだよな…」
後を見送りつつ、俺は半ば苦笑しつつつぶやいた。

 


…さて、大学にいると、友達の誰が何をしたなんて情報はすぐに手に入る。
その日の夕刻、今度は知香がアパートにやってきた。
というより、帰りに立ち寄った、と言った方が正しいたろう。
ドアを開けると、奴は開口一番、
「梨でピラミッド作ってるんだって? 見せてよ」
とのたまいつつ遠慮なしに入ってきた。
顔をしかめた俺には見向きもしない。
…いやだねぇ、友達付き合いが長くなると、奥ゆかしさとか慎みとかいう美徳と縁がなくなるのは。
まあ、こいつはかなり特殊な方だが。
テーブルに”でん”と乗っかったピラミッドを見るなり、知香は感嘆の声を上げた。
「へぇ、見事なものだわ…。これ、智也からよね?」
「ああ」
俺はうなずいた。
どうやら、こいつのところにも智也の「おすそ分け」かいったらしい。


あいつ、一体知り合いの何人に配ったのやら…。


「ふふっ」
不意に、何を思ったか知香はいたずらっぽく笑った。
「?」
と、怪訝そうな視線を向ける俺に構わず、知香は、おもむろに持ってきた風呂敷包みを取り出した。
風呂敷を開く。
中から出てきたのは、一輪挿しの壷だった。
「出来損ないで悪いんだけど、これにススキでも生けてみて。きっと風流だよ」
「なんで風流?」
「今日は満月だから」
「あのなぁ!!」
精いっぱい抗議の声を上げる俺を見やって、知香は大っぴらに笑い声を上げた。


…忘れていたぜ…。


陶磁器同好会(別名、壷部ともいう)に所属しているこいつがやってきた時点で、注意してしかるべきだったのかもしれない。
もう手遅れだが。
取りあえず見たいものは見終わったのだろう。
満足げな顔で俺を見やると、
知香は「じゃあね♪」と俺に叩き出される前にアパートを出ていった。
もちろん、後に一輪挿しの壷を残して、くすくす笑いながら。
うぉのれぇぇぇ、知香の奴め…!
いつか絶対、江戸の借りは長崎で返す。
そう思うしかない俺だった。

 


そして夜。
ご飯だけはやたらと美味い夕食を摂ったあとで、俺はふと、窓を開けてみた。
すっかり暗くなった空。
東の地平線の上には、昇ったばかりの満月が輝いている。


…なるほど、これはたしかに知香の言うとおりかもしれないな…。


そう得心した俺は、すぐにアパートを出て、ススキを一本取って戻ってきた。
知香の置いていった一輪挿しの壷に水を張って生けてみる。
それを梨のピラミッドのそばに置いて、電気を消してみた。


…次の瞬間、俺は息を呑んだ。
ここだけが、まるで別世界だった…。


少し錆びれた感じのする一輪挿しの花器。
そこに生けられた一本のススキ。
その背後に映える、真っ白い満月。
そして、十五夜のお供え餅よろしく、ピラミッド状に並べられた梨…。


鈴虫やマツムシの羽音こそ聞こえてこないが、
そこにはまさに「秋」があった。


…なんか、いいな…。


ふと、そんなことを思った。

 

THE    END

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