待ち遠しい日までの道のりは意外に長い。
そのくせ待ち遠しい日の時間だけはアッという間に過ぎていく。


「なーんかさぁ!少し前まで太陽が出ていたなんて嘘みたい」

暑さなんて何のその!お子様和也のテンションは何時になく高い。


「はしゃぎすぎて転ばないで下さいね」

と、数歩先を歩く和也をハラハラして見守るコマ(人間バージョン)


「はー。苦労が絶えない」

こちらは、通り過ぎる浴衣姿の乙女達から熱い視線を受けまくりの氷(二十八歳バージョン)


一見何のつながりもなさそうな三人は、花火を見る場所、つまり山下公園へ無事たどり着いた。
途中の道は花火を見物に来た群衆で溢れ、途中ではぐれてしまわないかとコマはヒヤヒヤしたものだ。


パンッ、パパンッ。


花火大会は既に始まっていて何発かの花火が打ち上がる。
その都度歓声が沸き、中々賑やかだ。


氷の知り合いの妖撃者が場所取りをしてくれたお蔭で、三人は比較的花火を見やすい位置に立っている。


「申し訳ありませんでした。初代様に気を遣っていただいて」

花火を見上げる和也を見守りつつ、コマが小声で喋り出す。

「私が不甲斐ないばかりにっ!」

コマの・・・握り拳片手に眉間に皺を寄せる姿に、氷は引きつった笑いで応じた。

「いや、コマが不甲斐ないわけじゃないと思うぜ」

「いいえ。私が支えなければならない和也様を前に、動揺を見せてしまうなんて。補佐役失格です!それなのに、それなのに和也様はあんなに無理をして・・・」

コマの目線の先には口を大きく開けた間抜けな和也の姿。
次々打ち上がる花火に感嘆の声を漏らしている。

「だから、和也は無理をしてないと・・・」

「初代様までそんな風に仰らないで下さい。私が失態を犯したのは事実。この際、切腹でもして・・・」

和也を不安がらせた事実を、コマなりに気にしているのだろうが。

気にしすぎだ。
しかも『切腹』だなんて、時代劇の見すぎである。


氷は切々と語るコマの姿に眩暈を覚えた。

「コマ、見てないの??」

歓声の上げすぎで痛む喉を潤すべくペットボトルのスポーツドリンクを飲み、和也はコマの半そでシャツの裾を掴んだ。

「え?あ、ああ!本当に!素敵ですねぇ、花火」

数秒前までの萎れた花のような状態から、一気に復活。
コマはにこやかに応じる。


 切り替え早っ!


思わず氷は白い目でコマを見つめてしまった。

「和也様と一緒に見るから、余計に美しいと感じるんでしょうね」

はんなりと微笑むコマが夜空を見上げる。
赤い大輪の花のような花火が、漆黒を彩っていた。

「えへへ・・・。そうかな」

嬉しそうに和也が頬を染める。
スキンシップが少ない子供は、こういう殺し文句に弱い。

「そうですよ」

初々しい和也の子供らしい表情にコマはメロメロ。
すっかり緩んだ顔のまま、幸せそうに微笑んでいる。

「ある意味お前ら迷惑だぞ」

氷はラブラブオーラ(?)全開の二人にボソリと呟いた。
特にコマと和也が目立つわけじゃないが、会話だけを聞くとある種ヤバイ。

「TPOくらい弁えろ」

口の中で悪態をついてから氷は周囲をゆっくり見回した。
三人の周りは色とりどりの浴衣姿であったり、カップルであったり、仲良しグループであったり。
幼い子連れの若夫婦もいたりする。

「あ、ほら。すごい大きいっ!」

和也がひときわ大きな声で空を指差した。

花火の光で照らされた頬。
夜空のせいで薄暗いが和也の頬は興奮して紅潮している。

「何尺玉でしょう〜!大きいですねー」

コマも思わず拍手までしてはしゃぎだす。
花火の華やかな雰囲気に流され、いつものように会話を交わす和也とコマの二人に、氷は安堵の息を漏らした。

一先ずは作戦成功。


パーンッ、パンッ、パーンッ。


「すごーい」

人の熱気を忘れ和也は暫し花火に見入る。
流れ星のように落ちる花火を眺め、自分の心も解けていく感じがした。

隠し事をするコマへのわだかまりとか、結局態よくあしらわれてしまった師匠への憤りとか。


 この花火と比べたら(比べる比重が間違ってマス、和也君)ちっぽけだよね、僕の悩みなんてさぁ〜。

等と、普段は使わない部分の脳をフルに動かす。


だから気がつけなかった。

「へ?」

足元を蛇のように這う黒いモヤモヤ。
ひんやりしていて、冷たいけれど背筋を駆け上がる悪寒が首筋の毛を逆立てる。

「コ・・・」

コマの名を呼ぼうとするが徒労に終わった。
身体が動かない。
辛うじて呼吸ができるくらいで自由はないのだ。

「〜!!」

声もでなければ、瞼さえ動かない。
身体に巻きつく黒い靄の蛇は、和也の身体を拘束し引きずり込んだ。

「和也!?」

気配を察した氷が和也を見た時には既に遅く。


和也の身体は恐ろしいほどの速さで黒い霧に吸い込まれた。
瞬きでもしていたら、その瞬間を見逃していただろう程で。
氷は躊躇わずに霧の中へ飛び込む。


「いいか?コマは家で待ってろ。必ず、必ず和也を連れて帰る」

氷がそう怒鳴ったのが最後だった。

霧は二人を飲み込んで消えてしまった。

踵を反しコマは走り出す。

氷の言葉を信じて家で和也と氷の帰宅を待っていなくてはいけない。

「・・・そう。信じます、信じますとも」

突きつけられる現実は甘くないけれど。
コマにだって失えないものがある。
だから、今は何も考えず全力で駆け抜けるだけ。


一連のハプニングに気がつく人は皆無。
皆が思い思いに花火を楽しんでいる。


花火の日は。
ちょっとした驚きの連続であった。

 



一方、靄に拉致された和也は。


淡い白乳色の霧がかった謎の空間。

気がつけば一人佇んでいて、自分に何が起こったのか事態すら飲み込めない。

「えっと・・・えと?」


花火は!?


空(?)を見上げても一面の霧。
あんなに美しかった花火の見る影はない。

《おかえりなさい》

声に驚いて胸を押さえる和也の、目の前には女が一人。


何故か見覚えがある。

着物をやや着崩した衣装や、長い帯が風に靡く様や、開いた着物の裾から覗く素足とか。

「だ・・・れ・・・?」

和也は掠れた声でやっとそれだけを口にした。


煌く深紅の赤い衣をはためかせ。
美女はやはり紅玉を思わせる、美しい瞳で和也をヒタと見つめた。


《移ろい往く時は長いけれども。わたくしはこうして、再び貴方の御前に》


小首を傾げた美女の艶やかな黒髪が揺れた。


・・・知っている。


激しい眩暈と頭痛。
和也は痛みに下唇を噛み締めつつ、美女を見上げた。


《全てをお忘れになって・・・幸せでしたか?》


和也の頬へ、美女が真っ白な手をそっと伸ばそうと・・・した。


バチィィィ。


見えない力に阻まれ女の身体は中を舞う。
女の右手首から先が綺麗に切り落とされていた。
はっきりしない頭で顔を上げれば、和也と女の間に師匠が立ち塞がっている。

「この間の忠告は、聞き入れてもらえなかったようだな」

印を組んだ氷の右手が赤黒く晴れ上がっていた。
火傷をおったようだが氷の顔に苦痛の色はない。


《氷殿。・・・相変わらず聡いお方。姿かたちは違えども、キヨイ殿そっくりですわ。時々、わたくしが驚くくらいに》


「希蝶(きちょう)は毒舌だなぁ、相変わらず」

微苦笑して氷が応じた。


美女は・・・希蝶は、赤く紅を引いた唇を薄く開いて艶然と笑う。


《氷殿が失えないとの同じですわ。わたくしにも、失えない姉がおりますもの》


皮肉めいた希蝶の抑揚のない言葉。
氷の眉間に数ミリの皺ができあがった。

「成る程ね。私情がらみでも、俺に対しては怨み満載ってか」

氷にしては珍しく疲れた調子の声音で希蝶に言った。


《たとえ氷殿であっても。わたくしの半身を奪う権利はありませんわ?違いまして?》


燃え立つ赤い瞳。
困った顔で、口許に手を当てて笑う希蝶の仕草とは裏腹だ。


「権利か。俺にはそんな権利はない。元からないさ」

苦悩がありあり滲む氷。
根本的に、深層心理を表に出さない氷がここまで感情を顕にするのはオカシイ。
和也は固唾をのんで二人のやり取りを見守る。


《それでもわたくしは、感じることができないのです。『怒り』という感情を。純粋に氷殿へ『怒り』をぶつけられれば、憎しみも少しは納まるでしょうに》


希蝶は困った顔を崩す事無く、少しだけ悲しそうに呟いた。


「オマエ等を象徴する『欠落した感情』か。胡蝶が『幸福』で、華蝶が『恐怖』だったな?俺の記憶が正しければ」

氷は少し考えた後、確認するように希蝶に問いかけた。


《ええ。故にわたくし達は互いを半身とし、補い合ってきましたわ。氷殿さえあの時に始末できていれば》


希蝶の左手が青白い炎に包まれる。


《氷殿さえ『目覚めて』しまわなければ》


左手を氷へ差し出し希蝶は静かに氷を非難した。
氷は何か言おうと口を開きかける。が、

「うわっ」

和也が驚いて思わず声をあげた。
巨大な水柱が希蝶を包み、その動きを封じたのだ。


《早く逃げて!》


希蝶とは異なる第三者の声。
氷は無言で和也の手首を掴み希蝶を振り返ることなく走り出す。

「ちょ、師匠?」

「敵前逃亡はかっこ悪いけどな。時には逃げるが勝ちってバアイもあるんだ」

氷の有無を言わせない態度に和也は押し黙るしかない。

師匠が下した『賢明な判断』により窮地を脱した和也だった。



《・・・なぜ?なぜですの?》

逃げる二人の背中を見送り希蝶は目を見開く。
氷と和也が完全に逃走してから水柱は希蝶を開放した。


《あの人を傷つけることは、たとえ希蝶であっても許さないわ》


乱入者は美しい青い瞳を冷たく輝かせた。
希蝶と対照的な美女。
蒼い衣、涼やかで質素な美しさ。
妖艶とはまた違う、凛とした・・・菖蒲のような美しさ。


《姉様!あの御方を裏切るというの!?・・・わたくし達を殺すというの?》


悲痛な叫びを上げ、希蝶は目の前の半身を凝視する。


《・・・》


女は答えない。
返答代わりに、手にした蒼い扇を希蝶へ差し向ける。
その上には、水球が浮かんでいた。


《信じないわ》


希蝶は一歩後退。
弱々しく頭を振る。


《わたくしは信じないわ、姉様!》


《たとえ・・・たとえどのような謗(そし)りを受けようとも。どうしてもこの想いだけは譲れない》


水球が希蝶の衣の裾を切り裂く。
真っ赤な布切れが風に舞った。


《本気なの、希蝶》


希蝶の袖の部分の布が切り落とされた。


《譲れないの》


怯えた希蝶の顔を冷静に眺め、女はハッキリとした口調で告げる。

 迷いはない・・・と言えば嘘になるけれど、逃げ出したくはない。
 あの時、彼を見捨ててしまった後悔を抱えて生きてきたのだから。


《つっ・・・》


涙を滲ませ、幼い子供のような顔で希蝶は女を睨みつける。


《あの御方には正直に告げなさい。希蝶まで苦しむことはないわ》


女は慈愛に満ちた微笑を希蝶に残し消えた。

 

最後の方は書きたかった場面です(笑)自己満足と花火ネタ〜vv時期は大分先ですけど・汗
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