其の四 

 

 気まずい!

 

ここ数日、氷のため息をつく回数は鰻上り。
和也やコマに当てつけるつもりはないのだが、漏らさずにはいられない。
幸せが逃げていくとしてもため息を止められない。

「師匠?」

和也が不審そうに氷を見ている。

「なんでもねーよ」

手をヒラヒラ振って、氷はぶっきらぼうに応じた。


夏も盛りの七月下旬。
和也は宿題を手に氷の家を訪れている。
和也の家ではコマが掃除をしていて『邪魔にならないよう師匠の家に避難した』そうだ。
告げた和也の言葉を信じるなら。

「はぁ〜」

もう何度目か分からないため息を一つ。

「本当になんでもないの?この間から元気ないよ〜」

居間を陣取り、テーブルの上に沢山の教材を並べた和也が首を傾げる。
氷は和也と向かい合って座っていたが黙って立ち上がった。

 

元気がないのは和也とコマの方だ。


互いに極力目を合わせない。
会話もぎこちなく、まるで腫れ物に触るかのようだ。
お互いに相手を意識しすぎ、まるでロボットのような動作で動く。
訓練しようにもまともに動けない・会話できないで・・・。

 

 使い物になりゃしねぇ。

 

つい先日の襲撃の事件についても曖昧で。
正確な内容を氷に話そうとせず沈黙。

和也が説明したがらないのは分かる。
自分がしでかしたミスを、自分から報告するようなタイプじゃないからだ。
大方、無茶をして自分でピンチを招いたのだろう。


片や。
コマが頑として口を噤んでいるのには驚いた。
和也の師匠である氷に一切の報告無し。
時折視線が中を泳ぎ、何か言いたげに和也を見つめるが、それだけで。

和也に甘いものの公明正大な彼女らしくない態度だ。

和也に不都合が生じようが、妖撃者の訓練に関しては氷に逐一報告していた彼女らしくない。


しかもコマは何かに怯え、不安を隠せないでいる。


和也もあの事件以来、目つきが変わった。
元々可愛げのない少年だったが、時々、醒めた瞳で空を見つめる。
あれほどあった感情の起伏もなりを潜めた。

 

台所のカウンターに放置した朝刊を取り、カウンター専用の椅子に腰かけ新聞を広げる。
氷の動作を眺めていた和也は、深く追求せずに宿題を再開した。

 

 いつもなら、師匠ジジクサイとか・・・つっかかってくるんだけどな。

 

氷は新聞をめくり二度目のため息。
このままでは白髪まで出てきそうな勢いだ。

「ねー、師匠」

和也にしては真剣な声。
氷は読みかけの新聞を畳んだ。
紙同士が擦れる音がして沈黙が落ちる。
クーラーが冷気を送り込む風が風鈴を鳴らした。


「僕、本当は誰なのかな」


独り言のように和也が漏らした。

「本当に、星鏡 和也なのかな・・・」

和也は何かを諦めた顔をしてぎこちなく笑う。
風鈴が答えるようにチリンと鳴る。

今にも泣き出しそうな和也の顔とか。
涙がこぼれそうな潤んだ瞳とか。
仄かに赤くなる鼻の頭とか。


氷は一通り観察してから口を開いた。

「さあね」

意地悪く言ってやると、和也は口を真一文字に結ぶ。
肩が小刻みに震えた。

「個人が持つ肩書きや名称なんざ、曖昧だからな。呼称に定義を求めるのは難しい」

氷は片手で頬を支え、気のないそぶりで単調に告げる。

「俺に答えを求めるのは賢い選択だ。俺が答える前に、一つ聞いて良いか?」

和也は鼻をすすると黙ってうなずいた。

「お前は何になりたい?おまえ自身が求めるものはなんだ?友達・家族・力・金・権力・・・それとも?」

氷が答えを目線で促す。
和也は何度も瞬きをして、混乱する頭を落ち着かせようと努力視するようだ。
目線が左右に泳いでいる。

「・・・真実。僕は、本当に僕なのか。それが知りたい」

戸惑いながら、和也は答えを出した。

「なら、俺の答えは簡単だ。和也は知りたがりの小生意気なガキだ。それ以外の和也の姿なんて知らね―よ。見てないし」

「師匠、誤魔化してない?」

遠慮なく速攻で和也が突っ込みを入れる。
今までの泣き出しそうな顔を引っ込め、不信感も顕に氷を睨みつけた。

「相手の全てを理解するのは不可能だ。分かるか?誰もな、自分の醜い感情まで理解して欲しくないんだよ。理解して欲しい部分だけ、共感してくれればそれでいいんだ」

諭すように、努めて優しく氷は言った。
和也はシャーペンを握ったまま、こめかみを人差し指で抑える。

「そうやって折り合いをつける。全部理解できてしまったら、逆に人間不信に陥るだろうな。人間の心は矛盾だらけだから」

氷は口角を持ち上げ笑う。

「俺は和也の小生意気なガキの部分だけ、理解してるつもりだ。そこしか見てないからな?子供らしい弱音吐かねーガキの、深層心理なんかわかってたまるか」

「言葉で誤魔化してない?」

「あのなぁ〜。俺が凄腕妖撃者だからって、相手の心までは読めねぇ。読みたいとも思わない。予め答えの分かったテストを解くみたいだしな。ま、お子様には分からないか」

氷はため息をついて、身体の力を抜く。

「俺はな?無理に自分を演じるお子様に、かけるべき情けを持ち合わせてないだけだ。

打ち明けない隠し事を俺に悟って欲しいのなら、無駄に隠さねーで正直に話すんだな。大人は和也が思うほど完全な存在じゃないさ」

和也は心持ムスっとして頬を膨らませる。

「おいおい。俺は神様じゃないんだ。慰めてくれないからって、睨むなよ」

「別に師匠に慰めてなんか欲しくないけどさ。僕は本音出すの苦手だよ。物分りのいい子供を演じすぎたせいで、本性出せない」

シャーペンをテーブルの上に投げ出し、和也はどこか投げやりにぼやく。

「親にさえ受け入れられないのに。本性出して嫌われたら、どうしたらいいのか分からないよ。自分の本音が相手を傷つけてしまったら、どうしたらいいか分からないよ」

「和也が言いたいことは分かる。でもな、それがコマを避けていい理由にはならない」

「避けてないよ」

ムキになって和也は怒鳴った。

「あーのーなー!あんだけギクシャクしてりゃー馬鹿でも分かるぞ。大方、お前が知りたがってるんだろ?本当に僕は和也なのか?ってさ」

仕方なく、氷は居間に場所移動。

居間に設置したクーラーの冷風が肌を刺す。


「悩むにはそれなりの根拠があるんだろ?言ってみろ。怒らないから」

氷は両手を腰にあて、和也を見下ろした。
といっても、中学生くらいの背丈しかない氷では見下ろすほどの高さではなかったが。

「・・・使えるんだ!僕にだって理由なんか分からないよ!コマは妙にオドオドして、何も話してくれないし」

ついに癇癪を起こして和也は大声で言った。

「普通の妖撃者が使えない、禁術。『陰』の術を使えるんだ。頭が覚えてなくても、身体が覚えてる・・・僕が僕でなくなるみたいで。こんな感覚、師匠に分かる?」

「ああ、分かるぞ」

感情を高ぶらせた和也とは対照的に、氷は冷静に答えた。

「へ?」

予想外の言葉を返され、和也は怒りが削がれる。
キョトンとした顔つきで氷を見上げた。

「俺の前世は『初代妖撃者の長キヨイ』

 妖の王『暁(あかつき)』を封印し、門を作り、こちら側と妖の世界を分離することに成功した。習わなかったか?」

「ってゆーか、妖撃者の子供なら童話代わりに聞かされる話だよ」

和也だってコマから寝物語の代わりに聞かされた伝承話。

この話を知らない妖撃者が果たしているのだろうか。

そっちの方が寧ろ疑問だ。

「キヨイの記憶は全て。全て俺の頭に詰まってる。それでいて、俺自身、すなわち水流 氷としての自我も保ってるんだ。凄い芸当だろう?」

氷は自分の頭を指先でトントンと、ニ三度叩いた。

「・・・すごい・・・かも」

考えもしなかった。

前世が初代妖撃者の長・・・胡散臭い肩書きだとは、常々思っていた。
が、それがどんな状態を指すのか和也は想像もしなかった。
いや、あまりにも氷が飄々とした態度だったから。
巧妙に隠していたから分からなかった。


和也は目を丸くする。

「それからな。陰の術も使えるぞ、俺は。長の家系の人間なら、そこそこ使えるだろ。相性の良し悪しはあるだろーけど」

「マジ?」

「・・・キヨイが長をしてた頃は、まだ『陰』の術を使う妖撃者の家系も、ちゃーんとあったんだぜ?しかもなぁ、今使ってる術のほとんどはキヨイが考案したもんなんだよ」

「・・・・・」

はて?妖撃者の成り立ちなんぞは、幼い頃に学んだ古い記憶があるくらい。
和也は眉間に皺を寄せ、頭の引き出しから該当する記憶を引っ張り出すことに専念。


たしか。そんなようなこと、コマが言ってたかも。

全属性が使えるから、和也の師匠役を引き受けられるとか、なんとか。


「陰の術は妖にも力を与える諸刃の術。危険だから使用禁止。よっぽどの力量がなきゃ使いこなせないからな」

「知識がないのに使えた僕は?」

未知だった部分が明るみになり、和也はテーブルの上に身を乗り出した。

「いいか?俺が少しばかり優しく教えたからといって、調子に乗るなよ?知りたいのならまず一人前になれ。一人前になったあかつきには、嫌って程教えてやる。まずはコマに謝る方が先だろーが」


ゴン。


すかさず氷に、頭を張り倒されてしまう和也。

「いだい〜」

頭の裏で星がチカチカ瞬いている。

「コマなりに、和也のことを考えてるから。だから後手後手に動いちまう。それくらい分かってやれ。時がきたらコマだって説明してくれるだろ?いつもそうじゃないか」

「あうう〜」

和也はジンジン痛むつむじに手を当てた。

「種族の違いを乗り越え、和也一筋七年目。コマの愛情を疑うのか?唯一の家族なんだろ?」

氷は畳み掛ける。誤魔化すつもりはないが、不安定な和也にはアノ真実は重過ぎる。

「疑ってないよ」

つい数分までの深刻さは何処へやら。
和也はいつもの調子でつっかかってきた。

「なら、仲直りだ。このままだと訓練できないしな」

氷は上機嫌で微笑む。
訓練づくしができる長期休暇を駄目にするわけにはいかないのだ。

「・・・それが本音かぁ〜」


なんか、上手く丸め込まれたかも。

思いながらも、表立って反論できない和也。

「ああん?師匠の有難い教えと忠告を無下にするつもりか?」

「っ・・・」


怖い、怖い。


和也の背筋を冷たいものが走りぬけた。
和也を笑顔のまま見下ろす氷。
顔は笑っているが瞳は全然笑っていない。


逆らったら死ぬ。


和也は本能で理解して、首を横に振った。

「よし。じゃぁ、三人仲良く花火見物と洒落込もう」

横浜名物花火の一つ、某新聞社主催花火大会。
八月の頭に開催されるそれは、場所が山下公園沖とあってマンションから近い。
息抜きがてらの気分転換にと、氷が考え出した苦肉の策だ。

「うわ〜。花火なんて二年ぶりだよっ!去年は訓練だけだったし」

案の定、和也は興奮してはしゃぎだした。


やれやれ。


ケロリと脱シリアスした弟子の変わり身の早さに、氷はため息を零す。
白髪間近かもしれない氷の耳を慰めるように、チリンと風鈴が涼しげに鳴った。


窓の外は熱気で温まった空気が揺らぐ猛暑。
溢れる蝉の声。
ギラギラ照りつける日差し。


そんな、とても暑いある夏の日のひとコマ。

 

 

シリアスは長々書くとつまらない・・・。いや、私の文章運びが下手なだけなんですけどね。
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