深呼吸一つ。
和也は真っ直ぐに少女を見据えた。


馬鹿らしくなった。
死ぬ恐怖に怯えるのも、誰かを失う焦燥感に苛まれるのも。
諦めが悪かろうが無駄な努力だろうが切り抜けてみせる。
この状況を切り抜けて生き延びてみせる。


決心した和也の心は、かつてないほど落ち着いていた。


《知ってるでしょう?それとも忘れたフリをしているの?》


告げる少女の怪訝そうな顔つき。


だから『見つけた』なのか。
和也は頭の片隅で納得し、目線をそらさず正直に答えることにした。

「知ってるかもしれない。僕の中の誰かは。でも、僕としては初対面だよ」

『和也様・・・?』

不安そうなコマ。落ち着かない様子で右往左往。


《あら、ごめんなさい。アタシは華蝶(かちょう)。三妖姫(さんようき)の末妹、華蝶よ》


ワンピースの裾をつまみ、片膝を折って優雅にお辞儀。
華蝶は丁寧に挨拶をした。和也もつられて頭を下げる。

「用件はナニ?この間は僕の力を見たがっていたけど」

取り乱さずに和也は華蝶に話しかける。
実のところは、華蝶の言う『三妖姫』の意味が分からなかったから、であるが。


《思い出して欲しいのよ。アタシ達のコト。本当の兄弟のコト》


意味深な華蝶の言葉。

『和也様、駄目です。これ以上は』

「コマは黙っていて」

話を遮るコマを睨みつけ無理矢理黙らせる。

「僕に秘密があるんだ。君達が『思い出して』欲しいと思う、何かが」

和也は左手の親指で、自身の心臓上の位置をトントン叩く。
華蝶は満足してうなずいた。

「すぐに思い出して欲しいの?」

華蝶は無言で再度うなずく。

腕組みをして和也は考え込んだ。

きっと自分が陰の術を使えることと関連がある。
大人達が必死で隠そうとする、和也の秘密。
他愛もない事だろうと考えていた和也だが修正が必要なようだ。


事の外、重大な秘め事らしい。妖も関るような。


だとしたら。答えは始めから決まっている。


「いつかは知るかもね。僕自身が思い出すか、誰かが教えてくれるか」

両足に力を込め和也は悟られないよう身構えた。

「ただし、君達の力は借りない。お引取り願いたいんだけど?」

間髪いれず華蝶から放たれる雷光。
予想通りの攻撃に和也は陰術で結界を張る。
やや黒色がかった半透明の壁が雷光を弾く。

「こんな風に、僕が陰術を使えるのと関係あるんだろーなぁ」

気分が高揚する。
身体の隅々まで漲る陰の力。肌に馴染む陰の波動。

『・・・』

コマは絶句した。

目の前で禁忌の術を操る、主の姿に。


《ふ〜ん?身体は思い出してるんだ》


華蝶は興味津々で、和也の結界を握り拳で叩いて確かめている。
実際の凶悪さとは正反対の幼い動作。
華蝶の行動に和也は小さく笑った。


《ふふふふっ。楽しいっ!これならアタシも遊べる》


手のひらを結界に押し当て、華蝶が外側をペタペタ触る。

「なーんか嫌な予感」

背筋を這い上がる悪寒に身を竦ませ、和也は眉を顰めた。
華蝶の放つ、禍々しい妖気に当てられる。
首筋がチリチリして落ち着かない。


《あはははっ。嫌でも思い出させてあ げ る !》


華蝶の甲高い笑い声。
両手から放たれた強力な稲妻。
和也の張った結界は脆くも崩れ去る。


《これくらいの壁じゃぁ、駄目。防げないよ♪》


にいこぉ。

満面の笑顔で ― 凍るような目の色が対照的な ― 華蝶が鳥肌の立つ殺気を放出する。
和也は躊躇う事無く攻撃を開始した。

「陰陽弾(いんようだん)!」

術の呪文なんか知らない。
ただ頭に浮かび上がる単語が、術の名前だと分かるだけ。
自分の勘を頼りに陰術を繰り出す。鈍色に光る塊が華蝶にヒット。


《っも〜!服が焦げるでしょ》


華蝶がワンピースの裾を手で払う。
見たところ、彼女にダメージは与えていないようだ。
冷や汗を流しつつも、和也は次の術を繰り出す。

「激花香影刹(げっかかえいせつ)!」

黒い蓮の花が華蝶を包み込む。


《くすくす。術は高等だけど、記憶が無い分威力は半減だね》


華蝶の放つ雷光が、蓮の花弁を吹き飛ばす。
両手に雷光を集め華蝶は乱打した。

「うわぁぁぁぁっ」

この間の雷光とは桁違いの威力。
和也の身体は簡単に弾き飛ばされ、岩に背中を強打する。
息つく間もなく雷光が立て続けに身体に打ち込まれた。
結界も張れなければ術も唱えられない。
コマが遠くで鳴いているようで、切れ切れの遠吠えが聞こえる。


《あはは。ふふふふ・・・早く、早く思い出して。アタシと遊ぼ?だってアナタは・・・》


全身が痺れる。
体中あちこちが軋み悲鳴を上げている。
熱くなる肌に火傷を負ったと悟った。和也の瞼が切れ目の中に血が入る。
赤く霞む視界。華蝶だけが酷く楽しそうに、和也に雷光を放ち続けた。


岩が砕け破片が飛ぶ。
呼吸する音すら掻き消され、和也の意識が遠のく。
コマの安否を心配する感情だけが、今の和也を支えていた。


「    」


不意に頭に浮かんだ単語。和也ですら意味のわからない、小さな呟き。


《きゃ》


華蝶が顔を背けそれに悲鳴を上げた。
和也もコマも気が付かなかったが、華蝶の右手が消えていた。
肩の辺りから綺麗サッパリなくなっている。


血液一つ落ちることのない傷口。
華蝶は右肩をそっと撫でて目を細める。
この力。華蝶と姉が。あの御方が求める滅びの力。


《ふふふ。その調子。早く思い出して》


左手を高々と掲げ、華蝶は持てる最大級の雷光を練り上げる。


避けれないし、防げない。

和也は咄嗟に目を閉じた。


「簡単に諦めるくれーなら、さっさと死ね」

容赦のない一言。
雷光が弾かれたような衝撃。
和也が薄目を開けば、華蝶と自分の間に少年が立っていた。


《またアンタなの〜?何者よぉ》


露骨にうんざりした調子で華蝶が喚く。
失った右腕に関しては、どうでもいいらしい。華蝶は乱入者の方に怒り心頭だ。


いつぞや。同じように華蝶に襲われた和也を助けた少年だ。
野球帽を目深に被った少年で、手にした刀と、ラフな服装がミスマッチである。


少年は華蝶と対峙した。


「正直に名乗るほど馬鹿じゃないからさ、俺って」

少年は茶化して言った。
華蝶が不機嫌そうに頬を膨らませ、敵意むき出して少年をねめつける。

「華蝶の邪魔をするつもりはないけど。こいつは駄目。今は駄目だから、手を出すな」

和也を指差し、尊大な態度で華蝶に命令を出す少年。
仮にも華蝶は妖の中でも十本の指に入る強力な力の持ち主。
妖撃者でもなさそうな少年が易々と行動を強制できる相手ではない。


痛む腕を抑え、和也は少年の背中をぼんやり眺めた。
コマも急展開に頭がついていけないようで混乱する。


《・・・ふん》


暫く少年を観察した華蝶が鼻で笑った。


《アンタ、やっぱり人間よね。妖撃者のニオイもしないし。なんでアタシの名前を知ってるわけ?》


外見こそ、華蝶は六歳くらいの少女。
だが、実年齢は三千歳を軽く超える。伝説と歌われた『三妖姫』の末妹。
伊達に長い時を生き抜いたわけではない。


至極当然な疑問を少年にぶつけた。

「企業秘密です」

少年は唇に人差し指をあて、華蝶に軽く会釈。


《相手見て言ってるの?》


華蝶の背後に瘴気が湧き上がる。明らかな攻撃態勢。

「当然だろ?」

平然と応じる少年に、華蝶は力を集めようと・・・した。


《!?》


足が竦む。


人間じゃあるまいしそんな馬鹿な。
華蝶の表情に焦りの色が見え隠れする。
目の前の少年はただ立っているだけ。特に怪しい様子はない。

だとしたら、この威圧感は何処から来るのか。


《あ・・・あぁ・・・》


ソレが見えた。驚きに目を見張る華蝶。


「今日は見逃す。だから、帰れ」

後ずさる華蝶。
追い討ちをかけるごとく、少年は一歩前に踏み出す。
華蝶は背を向け一目散に走り出した。火山ガスに姿を隠し早々に場から立ち去る。


華蝶の気配が完全に消えた。


「あ、あの・・・」

和也は鈍痛に襲われながらも、血で固まった口をこじ開け言葉を発した。

「前にも言ったよな?これは俺の都合なんだ」

華蝶と話していたのとは、また違う淡々とした少年の声音。
振り返った少年の表情は相変わらず、ない。

「死にたくなければ、これ以上関るな」

帽子を後ろ向きずらしつつ少年は和也とコマを見た。

「でも、向こうから・・・襲って」

少年の忠告は二度目。
彼が言いたい事は分かる。
が、時既に遅しのような気も和也はする。


これだけ巻き込まれ、あからさまに狙われて。
手を引こうにも引く手立てがない。


『そうです。それに貴方はいったい何者です?』

和也の前に躍り出たコマが低く唸る。彼女なりの威嚇行動だ。

「そうやって、温室で育てた花が荒野で立ち枯れる」

少年が瞳を閉じる。

景色が溶け出し和也もコマも平衡感覚を狂わされた。
グルグル景色が回転するので目が回る。


『卑怯者っ』


助けてもらっておいて、なんなんだが。思わず絶叫してしまうコマであった。

キャラクター的に華蝶は好きです。長々読んでくださってご苦労様です。長すぎ・・・。
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