其の九

 

氷の放った術で、一時的に山下公園は色を取り戻す。


《流石ですね、キヨイ様》


面を被った着物姿の男が一人。
立ち振る舞い・出現方法といい上位の妖のようだ。

「まー、どう呼んでくれてもいいけどさ」

随分投げやりに氷がぼやいた。


《胡蝶様、今ならまだ間に合います。希蝶様・華蝶様と合流し計画の実行を》


男は深々と頭を下げ胡蝶へ進言する。

「わたしは・・・」

気まずい様子で胡蝶は目を伏せた。
動揺を隠せず下唇を噛み締める。


少年はどう口を挟めばよいか分からず、胡蝶へと伸ばした手は宙で止まったまま。
コマは和也をベンチに寝かせ手当て中。
元より胡蝶とは和也を挟んで美人お姉さんライバル同士(コマが一方的に)。
静観の構えを取る。


「ほら、行って来いよ」

胡蝶を促したのはやはり氷だった。
俯く胡蝶の震える肩へそっと触れ、氷は笑う。

「でも!わたしはっ」

氷に向き直り胡蝶は激昂した。

「気にするなって。それより妹達とちゃんと話し合えよ?影月の時のように有耶無耶にするんじゃない。禍根が残る」

氷は興奮する胡蝶をそっと抱きしめ更に耳元で一言。

「言っとくけど、桜の約束は今でも有効だぜ?気長に待つさ」

胡蝶は氷の台詞に耳まで真っ赤。
首筋も赤くなり、頭から湯気を放ちそうな勢いで顔を真っ赤に染める。

「・・・良い歳した大人がラブコメすんなって」

抱き合う二人を眺め、帽子少年は冷たく突っ込んだ。
胡蝶は少し背伸び。
一瞬だけ額を氷の額へ押し当て、唇の端を緩やかに持ち上げる。


氷の切れ長の瞳が少し驚いたように揺れた。
胡蝶だけが知る、本来の氷の姿。本当は優しくて、誰よりも強い最愛の男。

 

 心の底から沸きあがる喜び。

 

「貴方がいたから。ううん、出会ったのが氷だったから。だからわたしは笑えるの」

はにかみながら。穏やかに微笑み、胡蝶は姿を消した。
胡蝶は譲れないモノを護る為に戦いを選ぶ。


《さて?・・・そこの影月様は回復されたようですね》


コマに癒しの光を当ててもらった和也は少し回復。
自分の力で立ち上がれるまでに体力を取り戻す。

「和也様は影月などではありません!」

眦を吊り上げコマは仮面の妖を睨む。


《フフフ・・・御戯れを。転生されたとはいえ貴方は影月様の力をお持ちです。妖撃者でありながら、また、妖でもある》


良くも悪くも妖は虚言を嫌う。
人とは異なる力を持ち、他種族より優位に立てる能力の高さ。
それらの要因も相俟り、妖はとことん己の本能に忠実だ。


 和也には分かる。


 仮面の妖が告げる言葉に嘘はなく、今の自分の状態を性格に示しているのだろう、と。


 混乱する感情で思考を纏めようと努力するが、どう言葉に表したらいいのか分からない。


「おい」

苛々した調子の少年に和也は胸倉をつかまれる。

「動揺してんじゃねーよ。お前は和也だろ?お前の師匠だって『キヨイ』じゃない。今更何千年前の亡霊に背中追っかけられてどーすんだよっ!」

少年の黒い瞳が怒りに燃える。


《幻(ゲン)様の半身ともあろうお方が・・・つれないものですね》


仮面の妖は着物の袂で口許を覆う。
とたんに少年は険しい表情になった。

「・・・君は魅入られなの?」

和也は己の胸倉を掴む少年を凝視した。


『魅入られ』


読んで字の如く魅入られた人間をそう表現する。
妖撃者の仕事言葉の一つで、妖に魅入られた状態の人間を指す。
下級の妖なら引き剥がせるが、ランクが高い妖の場合は、対象とする人間そのものと融合。


下手をすれば人間の肉体と精神を乗っ取ってしまう。


目の前の少年は自我を保っているが、一体全体どのような立場から妖撃者へ味方するのかは未知数である。


「ああ。だがアイツは俺の相棒みたいなもんかな。俺が妖になることを拒絶したばっかりに、自分が一族を抜けてさ。『裏切り者』として追われる身さ」

身構えるコマを目の端に捉え、少年は苦笑いを浮かべた。

「幻?」

氷が片手を腰にあて思案。
明確に保っているわけではない前世の記憶から情報を引き出す。
数秒した後、「まじかよ!?」呟き混じりに。
驚愕した表情で氷は少年を凝視した。


「和也とコマには・・・まぁ、説明しとくか。

『幻』は性別や姿を明確に持たない意志だけの妖。胡蝶達『三妖姫』と同じ、十指に入る実力の持ち主だ。変わったヤツでな。無関心・無感動妖だった筈だぜ」

氷の講釈に会釈で肯定する少年。


《ええ。人間の生ぬるい仲間意識にほだされて、幻様は一族を見捨てました。我らが王に逆らう以上は『裏切り者』として排除せねばなりません》


「勝手にごちゃごちゃぬかすな。俺は俺。たとえ妖憑依(あやかしつき)であろうと、俺は人間なんだ。簡単に人間止められるほど大人じゃねーよ」

少年は手にした刀の先を妖へ向け、不遜な態度で言い放つ。


《我が一族の結束は絶対。さあ、影月様。この裏切り者を排除し、我らが王への手土産と致しましょう》


妖が囁く甘言。

 


妖の王『暁』が弟『影月』

破壊の衝動のままに動く兄とは対照的に、人々との共存を望んだ妖。
力と実力だけが絆の妖より、感情と血の繋がりを重視する人を選んだ奇特な存在。

初代妖撃者の長、キヨイが門の秘術を完成させたにあたり姿を消した妖。

温和な性格であっても影月の持つ力は強大無比。妖の王と並び称されるほどの力を持った妖。

 

 和也は影月の生まれ変わり。

 

だから和也は『五属性の術の制御をしづらく、陰の術との相性が大変に良い』という、妖撃者としては珍しい特性を備えている。


前世の因縁と、現世における血統が交じり合い潜在能力値はピカ一。


潜在能力だけなら若長をしている兄をも上回る。


体質ゆえに両親や兄が持つ『光』の力と強く反発を巻き起こす。
和也自身が望まなくとも、両親が望まなくとも。

和也が力の制御を出来るようになるまで、家族と団欒などとは遠い夢なのだ。

 


「それが何だというんですか?和也様の前世は影月です。妖の王にして妖撃者最大の敵『暁(あかつき)』の弟、『影月(かげつき)』」

コマは怒りに声を震わせつつ妖を見る。

「ですが長様は。和也様がいつか、『影月』であった頃の記憶と力を取り戻されることをご存知です。だからこそ、その覚醒が緩やかなものになるよう望まれました」

和也と妖の間に回り込み、コマは両腕を広げ和也の盾となった。

「長様は和也様を手放したくは無いと。内部では最後まで反対されていました。しかし、長様と一緒にいれば居るほど・・・。和也様は『影月』の記憶を鮮明に思い出し、彼の記憶に引き込まれてしまうのです」


一歩も引けない。


コマは七年間、和也と共に生活してきた。
妖撃者として、人間の子供として成長してきた和也をずっと見守ってきた。


これから和也が享受する、明るい未来を『大人』の都合で潰すわけにはいかない。
こんな所で敵に渡すわけにはいかないのだ。


 それがコマ自身のエゴから来る愛情だとしても。


「生まれながらに『影月』の影を背負ってしまったら。和也様は自我を成長させられず、一族を裏切った『影月のコピー』として一生を送る破目になってしまいます」

コマの口から語られる己の秘密。
何度も瞬きをして和也はコマの後姿を見た。

「子供が苦しむのを分かっていながら、口を咥えて黙ってみているでしょうか?長様は身を切られる想いで和也様を・・・自身の大切なお子様をわたしに託されたのです」


《詭弁ですね、見苦しい》


妖は見えない衝撃波でコマを襲う。
咄嗟にコマは結界を張り、和也を衝撃波から護る。


「僕は・・・」

 

 そう。

 本当は、薄々分かっていた。影月の記憶に蓋をしたのは自分自身で。
 全てから逃げ出そうとしていたのも自分自身で。


 情緒不安定な自分を『ただの子供』にする為に。母親が自分を手放したことも。


 受け入れられない辛さを知っているから。


 疎外される悲しみを味わったから。


 お互いに傷つけずにはいられない、復讐の連鎖を見てしまったから。


 何も知らない子供のまま、黙って逃げ出そうとしていたのだ。

 


飛び散る火花。揺らぐ空気。

「くっ・・・」

コマが呻いた。二度、三度。絶え間なく繰り出される衝撃波。
コマは文字通り身体を張って和也を護り続ける。

「馬鹿だな〜、和也は」


ゴチン。


声がして和也は容赦なく氷に拳骨を喰らった。

「自分がどうしたいか、なんてなぁ?結論はとっくに出してたんだろ?」

山下公園全体に結界を張り続ける氷。
強い瘴気が充満する横浜に於いては随分力を消耗するだろうに、疲労の色は見えない。

 

 目を閉じてみる。

 瞼に浮かぶ、今の自分と影月の顔。


 −そう。思い出したね?僕達は。


 酷く大人びた表情で今の和也は微笑んだ。


 −過去の清算は必要ない。必要なのは『これから』をどうしていくか。


 影月が励ます。


 −だから、ボクは消えよう。君達にボクの影は必要ない。


 真摯な影月の態度。でも、これは過去の残像。影月は、もう、いない。


 −ごめん。おにいさんをエスケープゴートにして、自分を偽って。


 今の和也が正直に謝罪した。


 −人は美しい。醜い心も、儚い感情も、負の空気も。全てを内包しそれでも足掻く姿が美しく切ない。ボクは星鏡 和也を信じよう。信じるからこそ、消えよう。


 影月が 消えた。


 −・・・自分で作った幻影は消えた。いいや、消した。


 今の和也の真剣な声音。


 −今こそ自分の足で歩き出そう。大丈夫。コマも師匠も。僕を信じてくれる。


肌を刺す妖気。


きっとこの場にいる誰もが感じ焦っているのに。
和也の気持ちの整理を優先し、留まってくれている。


 −だから、がんばろう。僕は妖撃者なんだから。


和也の心に巣食う霧が晴れる。これからが始まりの一歩。


「僕の答え、知りたいよね?」


 にこーり。


 海央の王子とあだ名されるに相応しい、和也の柔和な微笑み。
氷は心持ち和也から距離をとって離れ、少年は怪しいものを見るように和也を遠巻きに眺めた。


《無論。胡蝶様のように我が王の下へ戻られるか。それとも人間として浅ましく一生を過ごすか。お答えいただきたい》


仮面の妖が律儀に返事を返す。


「じゃ、こういうことでv」

辻褄合わせに奔走した結果こんな展開。早く終われって感じなんでしょうが・汗
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