其の十



 《お姉様、どういう魂胆ですの?》

希蝶は赤いアイラインの入った眼を見開いて、沈黙する胡蝶へ詰め寄る。

 《別にいいじゃん。胡蝶姉様は帰ってきたんだし》

手にしたペットボトルからジュースを飲む華蝶。
胡蝶の単独行動に腹を立てた様子はない華蝶に対し、希蝶は怒り心頭のようである。

 《よくありませんわ》

希蝶は真っ赤なマニキュアを塗った指先を胡蝶へ向けた。

 《ちょ、ちょっとぉ〜。胡蝶姉様だって気乗りしなかったんだよ。希蝶姉様?
 そんなに怒らなくたっていいじゃん〜》

華蝶は焦ったように二人の姉の間に割って入った。

着物姿の希蝶と華蝶に対し、胡蝶は普段着のジーンズとシャツ姿。
真夏の海央学園小等部校庭で対峙している。

「確かめたい事があるの。ねぇ? あの御方は、本当に『暁』様なのかしら?」

 《……お姉様?》

不審そうに姉を見て油断なく紅の扇を構える希蝶。

「だってそうでしょう? 暁様は影月が転生しても無関心だったわ。影月のしたいように任せて別々の道を歩むことを選ばれた筈よ」
暁は唯我独尊。
表現は悪いが他へ干渉せず己の目的のみを追求する気性の持ち主だ。
一族を裏切った影月 ― 実の弟にさえ関心を示さなかった王。
「誇り高き暁様が、今頃になって影月に興味を示すのは可笑しいわ」
胡蝶が重ねて言えば二人の妹達は困惑して沈黙。

 《転生して妖撃者になったからじゃないの?》

腕組みをした華蝶は考え込んだ後、意見を述べた。

「だったら! 影月が生まれた直後に行動を起こされてるはずよ」
呑気に十年も。他者の成長を待っている暁ではない。
胡蝶はすかさず反論した。

「影月の気持ちは理解できる。人の持つ温かさ……わたしも欲しいと思ってしまったから」

納得をしなくても良い。ただ人の温かさを理解して欲しいだけ。

慈愛の篭った姉の瞳。
希蝶と華蝶は喉まででかかった文句を口に収め、再度黙り込んでしまった。

三姉妹はそれぞれの考えを胸に黙して語らず。
お互いに誰かが発言するのを待つ。
分厚い瘴気の雲。
三人の頭上に広がり空から雪のように舞い降りる瘴気の雪。

「そーだよねぇ」
三竦みの状態の三人。
のんびりとした調子で割ってはいるのは、おっとりボンボン和也である。
海央の校門(小等部専用)から徒歩で進入し、テクテクマイペースに歩いている。
和也の後ろからはコマと少年がつき従っていた。

 《……そーだよねぇって! ちょっと! どうして影月がココにいるのよ〜》

唖然となる三姉妹で、いち早く我に返ったのは華蝶。
髪を逆立てる勢いで驚いた。

「ああ、影月じゃないから。影月の記憶も持ってる妖撃者、和也だよ? 今度間違えたら問答無用で……」
和也は笑いながら、首を手で横に斬る真似をした。

 《さり気に脅してるじゃない、和也》

呆れ顔で華蝶が呟く。

 《なぜですの?》

希蝶は混乱の極み。頭を左右に振り、力なく項垂れる。

「お互いの価値観の相違かな? 別に希蝶達を否定してるわけじゃないんだけど。妖としての生き方が嫌になったんだよ、影月は」
コマと少年を立ち止まらせ和也だけが希蝶に歩み寄る。
「普通に暮らして、時がきたら死ぬ。そういう質素な人生が送りたかったんだ。希蝶は凄く心配してくれたんだよね? 影月も申し訳なく思ってて。僕が代弁するのは卑怯な気もするけど、謝るよ。ごめん」
和也は真摯に頭を下げた。
希蝶は目を左右に泳がせ和也を直視しない。

 《ふーん。そんな人生もありかもね。あたしは嫌だけど》

華蝶は気の無い返事。
言葉の遣り取りに飽きたようで、華蝶は足元の小石を蹴りあげた。

「和也君……」
胸に手をあて胡蝶は安堵の息を吐く。

 影月としても大切だった。同じ同族として共に戦った仲間として。
 同等に。和也として大切なのだ。教え子として、彼の弟子として。
 和也という人格を持った一人の少年として。

 《ごめんで済むようなら。わざわざわたくし達が外へ出てくるまでもありませんわ》

希蝶は怒りの滲む口ぶりで和也を非難した。

「あはは〜。やっぱりそう思う?」
和也は笑いながら印を組む。
『和也様!?』
希蝶へ攻撃態勢をとる和也にコマが叫んだ。
「いいんだよ。僕は妖撃者で希蝶は妖なんだもん。争いが良いとは言えないけど、分かり合えないのなら何度でも喧嘩する。これって姉弟喧嘩だし」

 《覚悟は出来ているようですわね》

好戦的な種族・妖。希蝶の本能の奥の部分がざわめきだつ。

「でなきゃココに来たりなんかしないよ? 後は師匠と先生の仲を分断するってゆう、目的もあったりするけど」
扇を構えた希蝶と、印を組む和也。

 《後半部分の目的には賛成ですわ》

和也の周囲を包み込む青白い炎。
華蝶は扇を右に払いのけ炎を煽る。

「陰陽弾!」
無数に陰陽弾を繰り出す和也は左に飛び退った。
和也は地面に身体を横たえた姿勢のまま、更に新たな印を組む。
「合体術・激花香影+氷月斬!」
炎を蹴散らした陰陽弾の背後から、和也の新たな術……陰術の影花が凍りに包まれた状態で希蝶へ牙を剥く。

 《甘いですわ!》

希蝶が紅(べに)を引いた唇から吐息を吐き出せば、和也の氷の花は消失。
周囲の気温がニ三度ほど上昇する。
氷と炎が衝突し巻き上がる瘴気と爆風。誰もが一様に目を細め、腕で顔を庇う。

「翔鋭牙楽衝(しょうえいががくしょう)」
地面に指を立て和也が新たに繰り出す術。
大地が振動し、空気の振動と同調するかのように激しくうねる。
波打つ衝撃波は陰術のものだが、それに氷・炎・風・土・光の波動が加わる。
「無駄に師匠の弟子だったわけじゃないんだよね」
和也は全属性を駆使した状態で口角を持ち上げた。
六属性が響きあい共鳴反応を起こす。

 《くっ……》

 《ヒド〜イ!! 容赦無しじゃないぃ》

 「これが和也君の力……」

立っているのがやっとくらいの波状衝撃に胡蝶・希蝶・華蝶の三人は膝をつく。

『今も弟子です〜!』
場違いに突っ込んでいるコマの頭を少年がヨシヨシと撫でた。
爆風の中心地の和也は親指を立てて誇らしげに胸を張っている。砂と瘴気が舞う校庭。

合間に少年へ送るアイコンタクト。

「……」
和也の目配せに少年はうなずき刀を構えて目を閉じた。
「せぇーのっ」
大声で怒鳴る和也の声が爆風の合間に聞こえる。
少年は浄化の力を刀へ込めた。
コマは耳と尾尻をピンと立て、結界準備。

「「ドッカーン」」

瘴気を切り裂く浄化の刃。
切り取られた瘴気の源へ流れ込む六属性の波状。
瘴気の発生源と希蝶と華蝶。
それらを巻き込み内部へ集束したエネルギーは内に抱え込む質量を越え、爆発。
抱え込んだ浄化の力と六属性を大量に吐き出す。
「オマケはこちら!」
和也は瘴気と反作用を起こす光属性の結界を張る。

 《本気でやってんでしょうね!? 下手したら横浜が滅びるわよっ》

大技を連発する和也に華蝶が雷光を放つ。

『させません』
コマの結界が壁となり華蝶の雷光を弾き返した。
「さ、乗って」
師匠直伝の氷の竜。
頭に乗り込んだ和也が少年と胡蝶へ手を差し伸べる。
胡蝶は無言で竜へ飛び乗り、少年は和也の手につかまって竜へよじ登った。

 《お姉様!》

二人の妹が胡蝶を見上げ声を張り上げる。

「わたしはわたしの選ぶべき道を選択するわ。だから……」
胡蝶の髪が爆風に煽られ乱れる。
乱れる髪を押さえ胡蝶は懸命に大きな声で叫ぶ。
「だから。絶対に後悔なんてしない」

 《胡蝶姉様……》

半分泣き出しそうな顔で華蝶が微かに笑った。
希蝶は俯き悔しそうに唇を噛み締めている。

「コマ、任せたよ」
竜の頭からコマへ指示を出し、和也は爆発地に空いた穴へ突入。
和也と少年、胡蝶を乗せた竜は景色の歪むトンネルのような穴をひた進む。


「さてさて。こっからがラスボス戦だからね、気をつけて」
風に靡く髪を押さえ和也が二人を振り返る。
少年と胡蝶は表情を引き締めうなずいた。

「ここは道だから。竜から落ちると別次元だよ」
マーブル模様の不可思議空間。
指して和也は淡々と説明。
「道?」
胡蝶が首をかしげる。

「そう、道。僕達や先生達が『輪廻の輪』と呼んでいる場所へ通じる道。かつて僕が辿り、人へと転生を果たした場所であり、転生を重ねる魂が集う場所でもある」
内容の重さとは反比例する和也の喋り口。
「って、あっさり言ってくれるけどな? んな簡単に開ける道じゃねーだろ! 妖だろうと妖撃者だろうと、次元の壁を通るなんて芸当は出来ないはずだ」
少年が半ば呆れて言葉を挟む。

「確かに。ぶっちゃけ『あの世』の内部ともいえる『輪廻の輪』に、通常の方法で侵入するのは不可能だよ」
少年の反論を予想していた和也は落ち着いた態度で応じる。
「次元が異なる空間に位置する『輪廻の輪』。そこへ入る方法は只一つだけ」
きりりと表情を引き締め、和也は胡蝶と少年の顔を交互に眺める。
胡蝶と少年は固唾を飲み込み和也の言葉を待った。
「次元の壁をブチ破る」
和也は握り拳を正面に突き出し笑う。

「凄いわ和也君! 普通に通れないなら穴を開けて中へ入ればいいのよね」
妖的感覚からすれば、和也の発言は常識的なもののようだ。
胡蝶は非常に感心して和也の姿に見入る。

「いや、確かにそーかもしんないけどな?」
少年は手を左右に振り、否定の意を示す。
「一定の力を込めれば穴なんて簡単に開くから。僕の六属性・瘴気・切り裂く力の強い君の浄化の太刀。要素だけ盛り込めば可能なんだ」
懐疑的な少年に対し和也はのほほん姿勢。
少年のぼやきと文句をしっかり無視。
「影月が戦いのさなかに姿を消したのも、今と同じ原理を利用したからだよ。だから理由を説明する間もなく転生しちゃったと」

えへ。

照れ笑いを浮かべる和也に少年は額を押さえ呻いた。


前世でなにが起きて和也となったのか。ちょこっと解説。
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