胡蝶は小さく舌打ちした。
「こんな小物、相手にしている場合じゃないのに」
「同感ですね」
銀の軌跡を描き消える浄化の力。
太刀を操る少年も辟易した調子で相槌を打つ。
「和也君の力が悪用されてしまったら。記憶が戻ってしまったら……この横浜が滅びてしまう。いいえ、滅ぼされてしまう」

雑魚ほど群れを成すというが。

低級や中級の妖は通路一杯にひしめき合い、胡蝶と少年へ牙を剥く。
格下相手に後れを取る二人ではないが、一向に減らない敵の数に苛立ちを隠せないでいた。

「もう少しで『あの御方』がいる部屋なの。あと少しなのに」
胡蝶の眉間に皺がよる。
「俺としては懐疑的に感じてますよ? その部屋に居るのが『彼』なら、こんな風に雑魚を俺達にけしかけたりはしない。希蝶や華蝶を差し向けるでしょう?」
人型の妖を躊躇い無く刀で貫き、少年が胡蝶を見る。
「本気でわたし達を殺したいのなら。でも大丈夫、二人は居ないの。あの計画を実行する為に外に居るから」
胡蝶の振り上げた扇から冷気が漏れ周囲の妖を氷結させる。

道をより早く切り開く為にとった胡蝶の選択。
胡蝶の考えを呼んだ少年は胡蝶へ攻撃をけしかける妖だけを始末。

即席のコンビだがお互いの呼吸はぴったりだ。

「例の『無理矢理、大開の日を作ろう』ってアレ? 案外真剣に計画練ってたんだ」
先ほど負った頬のかすり傷。
染み出る微量の血を乱暴に拭い、少年は頬を痙攣させる。

胡蝶の冷気は通路を侵食。
見る間に氷点下の世界が構築され、カチカチに凍るオブジェが無数に転がった。
「妖撃者が思っているほど馬鹿じゃないのよ、わたし達は」

 ヒラリ。

凍った同族の頭に飛び乗り胡蝶は尖った口調で言い放つ。
正直に感想を漏らしすぎた少年は、ギクリと少しだけ肩を揺らした。
「行きましょう」
少年の所作には目をつぶり、胡蝶は少年に行動を促す。
少年は帽子を目深に被りなおし、飛翔。胡蝶の立つ数メートル先。
やはりオブジェと化した妖の頭上に着地。

二人は互いにうなずきあい、唯一つの場所目指し迅速な移動を開始した。





何も無い。

意識はハッキリしているが、身体に力が入らない。

パジャマ姿の和也は立派な洋風の椅子に座り込み、閉じたままの頑丈な扉を眺めていた。
漆黒の闇が支配するこの場所で、和也が視角として認知できるのが扉一つ。
どんなに目を凝らそうとも他の物は認識できない。

「……ゥ」

僅かに上下する己の胸板。
弱々しく酸素を吸い込む肺が少し痛い。
空間に充満する瘴気に当てられて、疲労してしまったのだろう。
乾いた唇がヒリヒリするが指一本動かせないのでどうにもならない。

《……》

気配を感じる。
和也は気合で眼球を動かす。

《久方ぶりだな》

見知らぬ人物が一人。
秀麗な顔立ちに、暁を連想させる朝色の髪と瞳。
身体の線は若干細めだが、明らかに男性的な特徴を備えた人物である。

「……ぅ?」
だ れ ?

和也の唇が問いかけの言葉を吐き出した。青年は小さく鼻で笑う。

《我が分からぬか。無理もない》

青年は一歩分だけ和也に近づいた。

「……」
懐かしい。この青年が発する空気は馴染み深く和也を安堵させる。
同時に、和也の気持ちを酷く不安定にさせる。
頭が、痛い。

《記憶が無くとも役立ってもらう。我の欲するアレの為に》

「!?」
前触れも無く身体が震える。カクカク小刻みに痙攣する身体。
仰け反る上半身。全身の力という力を抜き取られる感触。
額に脂汗が浮かび、視界がぼやけた。

《ククク……》

瞼でさえ開けていられず、和也の視界が闇に沈む。

《思い出さぬのか? 影月》

か…げ……つ……き……?

《妖の王の弟であった、そなた本来の姿を》

お…と……う……と。ぼくが……お……と…うと?

《いや。お前は逃げ出したのだな。他者の生を奪い命ながらえる一族の宿命から》

にげ…た……?

《クク……。そうお前は裏切り者。王の弟でありながら人に焦がれ、輪廻の輪を潜り人へと転生した『裏切り者』》

……うらぎり。

《転生しても尚、我らが一族の『陰』の力を振るうとはな。つくづく器用だということか》

いん……のちから。あやか……しのもつ、いんのちから。

《だからこそ。憎き妖撃者の長は、お前を隔離したのであろう? お前が持つ前世の力を危惧して》

いやだ。

《聞きたくないのか? だがこれが真実。お前は人間でありながら人間ではない。人の皮を被った化物》

いやだ。

《ククク。絶望するが良い。己の選んだ修羅の道を》

イヤダ!

《妖は人になどなれぬ。例え姿形は同じになろうとも、妖撃者はお前を排除する》

イ ヤ ダ !!!

脳髄を鷲摑まれたが如く痛みを訴える全神経。

蹴破られたと思しき扉の軋む音。と、同時に「「ちょっと待った!」」
空間全体に響くどこか聞き覚えのある二重奏。

《無粋だな》

「それはこっちの台詞。ってーかねぇ? アンタ、誰?」
声からしてこの言葉を言ったのは何時ぞや助けられた帽子少年。
和也は理解する。
「ご丁寧に『彼』の真似までしちゃってさ。何を企む?」
帽子少年は尚も言葉を続ける。
和也の足先に触れる浄化の気。仄かに温まる足先が自由になった。

《……》

「ダンマリ? ま、いーけどね」
素っ気無く何処か投げやりな少年の声。
浄化の空気は和也を包み冷え切った体の心を温める。
薄く開いたままの唇から胸へ、酸素を大量に取り込んでから和也は再度目を開いた。

「和也君、大丈夫? 怪我は無い? 具合は?」
ドアップで映るのは心配そうな顔の胡蝶。
少し疲れた様子で和也の顔を覗きこむ。
「胡 蝶 せん せい……?」
困惑気味の和也。和也の視界の端には帽子の少年。
先ほどの青年に詰め寄っていた。
「俺って男には容赦ないから。さっさと白状しないとぶっ潰す」
目が全く笑っていない笑顔のまま青年を睨む少年。

《……》

青年は無言のまま姿を消した。

「に、逃げるか!? 普通!!」
少年はあっけなく逃走した青年の態度に愕然。奇声を発して盛大に驚く。
「逃げるさ、普通は」
音もなく登場するは最凶師匠。
気配すら感じさせないその入場に、少年は腰を抜かした。
ヘナヘナとその場に崩れ落ちる。
「あ、あんた怖すぎなんだよっ!」
どもりつつ、少年は氷を指差し非難した。
「そりゃ失礼」
全く思っていないだろうに、氷は口先だけの謝罪を口にする。
そんないつもの師匠の態度を和也はぼんやり眺めた。
「ご無事ですか? 和也様」
スッと差し伸べられた腕。
コマが難しい顔つきで和也の身体を抱き起こし、そのままお姫様抱っこ。
「和也の回収終了! そこの二人も、ちょっとばかり付き合ってもらえるか?」
コマが和也の身柄を確保した様子を確かめ、氷は疑問系の口調で胡蝶と帽子少年を見る。
柔らかい物言いと態度とは裏腹に、有無を言わせない威圧感を漂わせ。
「初代様……。二人を泳がせて尾行した挙句に脅すのですか?」
ある意味命知らずなコマは、この二人の心情を的確に代弁する。
「仕方ないだろ。いろんな意味で緊急事態だからな」
虚ろな瞳で宙を見つめる和也。
痛々しい弟子の姿に眉間の皺を深くした氷は、それでも心静かにコマに告げた。
「敵さんの細工も流々、みたいだしな」
氷が嘆息すれば空間に居た全員が別の場所に放り出される。

「……まさか!? 全然感じが違うけれど、横浜?」
見慣れた場所の大きな変貌。
胡蝶は大きな瞳を見開いて呆然と呟いた。





天から舞い降りる瘴気の綿帽子。
真っ黒な瘴気は横浜に舞い落ち、色彩豊かな横浜を白と黒に染め上げる。
完全なモノクロームの世界。
音も喧騒も掻き消え静寂が支配する。

一行が投げ出された先は山下公園。

海を望む柵の前。右斜め前方には氷川丸の姿が確認できた。





「強大な和也の力を媒体に瘴気を呼び、横浜に生きる全ての『生』を吸い尽くす。その際発生する門の歪みが奴等を呼ぶ」
真顔で氷が屯(たむろ)する妖達へ目線を向ける。

「どーすんだよ!! 周りは敵ばっかじゃねーか」
予想以上の出来事に少年が氷へ怒鳴った。

三百六十度、何処を見ても瘴気&妖。人々は『生』を吸われ意識を失い、ありとあらゆる場所で倒れている。

「和也の手当てもしたいしな。応急処置で……」
氷は右手だけで印を組む。

刹那。

視覚で確認できる範囲全ての妖が消滅・封印。
瘴気さえも浄化され、清浄な空気が充満する。

「やっぱ、アンタ怖すぎなんだよ」
底知れぬ氷の力。
知らず知らずに身震いし、少年はため息をついた。


そしていよいよ和也の出自にまつわるエトセトラが。ってバレバレでしたよね〜?
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