其の八



修羅場(?)を終えた氷は、腹をさする。

『初代様?』
「さーて、細工は流々。早くしないと乗り遅れる」
訝しるコマを尻目に何処か苦い表情だ。
コマは犬型から人型へ姿をとる。氷が大人の姿なので目線が合わせにくいのだ。
「教えていただけますよね?」
嵐のような胡蝶が去り静けさを取り戻した居間。
コマもだいぶ落ち着いて、氷に状況の説明を求め出す。
「ああ。コマだって当事者だからな……さ、移動しながら説明するか」
氷が印を組み術を行使した移動を開始。

二人は妖の屍散らばる怪しげな暗闇に出る。
前方では蒼い光と、銀色の光がピカピカ点滅していた。
「ここ……は?」
体中に突き刺さる妖の気配に身震い。
コマは鳥肌のたった二の腕を擦り、周囲を見渡す。
「敵の本拠地。和也の誘拐された先」
氷は屍と化した地球上生物を顎先で示す。
「んで、この先で和也を取り戻そうと胡蝶と……謎の帽子小僧が妖と戦闘中」
「ちょ、ちょっ……」
氷の説明にコマは驚愕した。
「まずは俺と胡蝶の関係だな」
氷はコマの驚きを無視。語り始める。
「俺が『覚醒』するかどうかの見張り役。それが『三妖姫』の胡蝶に課せられた使命」
己の頭を人差し指で突き、氷は真顔のまま言った。
「妖撃者の息子。俺がそういう認識を持つ前から胡蝶は家のお隣さん。一緒に幼稚園とか通ってたりして……普通に生活してたっけな」

懐かしい、そして二度と戻りえない日々。

氷は無意識に表情を綻ばせる。
「普通? 水流家の方も気がつかなかったのですか? 『三妖姫』の気配を」
コマが首をひねる。
「胡蝶は妖としての力を殆ど封印していた。完全に人間の子供に近い状態で俺を監視していたんだ、俺を刺激しないように」
前方で光る蒼。その都度消える妖の気配。
氷は少し眼を細めた。
「それが却って仇となる。胡蝶は本来『幸福』を感じることが出来ない妖とされている。そんな胡蝶が『幸福』を覚え、笑顔を身に付けた」

瞬きすら忘れ。
呼吸さえ無意識に密やかに。

コマは見知らぬ人間を見るように氷を凝視した。

「妖が感情を覚えるなんてありえない。コマがそう思いたいのも分かる。……笑っちまうよな、俺は本気で『幼馴染の胡蝶』が好きだったんだ。嫁に貰うって決めてたんだぜ」
今迄で一番柔らかい顔つきの氷に、コマは戸惑うだけ。
どう言葉を返せばよいものか皆目見当もつかない。
「胡蝶の中でも感情の変化があったんだろう。俺が妖撃者の訓練を始めると同時に胡蝶は姿を消した」
今度は銀色の光が周囲をなぎ払う。
力強い浄化の波動が満ちる。
「本来なら、俺を抹殺するように命が下っていた筈なのにな。胡蝶は俺を想い姿を消した。当時の俺はただの見習いだったし、胡蝶の想いを感じ取れるほど大人でもなかった」
ゆっくり。
語りながら氷は歩き出した。
コマは動揺を隠せないまま、半歩下がった状態で氷の後をついて歩く。
「そして『大開』の日が訪れ俺は『覚醒』する。そこでやっと気がついた。胡蝶と俺。それからキヨイと『アイツ』の持つ『因果』を」
「……」
下唇を噛み締め、コマは衝動に耐えた。

まるで。
 これじゃ氷は誰のために動き、誰を第一に考えているのか分からない。
 いや、自分自身が分かりたくないだけだ。
 氷は『妖』の一人へ入れ込んだ挙句、主の未来を潰そうとしている?

胸の中にモヤモヤした疑念が湧き上がる。

「あー、勘違いするなよ? 胡蝶と和也を天秤にかけて、胡蝶を取ったって事じゃない。ただ、胡蝶には俺を殺す権利があるだけで。それが和也を傷つけていい理由にはならないからな?」
ドス黒い、この場所の暗闇以上に暗い暗黒オーラを噴出するコマ。
そんなコマの姿に慌てて氷がフォローの言葉を入れる。

「それなら結構です」
主が酷い目にあわない。氷は師匠として主を護る。それは絶対的な約束であり誓い。
理解したコマは、氷へにっこり微笑み返した。

 つーかさ。俺の立場はどうでも良いんだな、こいつ。

大変分かりやすいコマの対応に氷は内心で引きつった笑いを浮かべる。

「和也の師匠役を引き受けた時に考えた。妖達が和也を取り戻しに来るとしたら、表立って動くのは絶対に『三妖姫』だと」
「何故です?」
「俺が前世の記憶を持っているのに由来する。『三妖姫』は××××の最後に立ち会った唯一の妖だ。戦いにおいても行動を共にしていたからな。俺達で言う『弟』のような存在だったんだろう」
通路のあちらこちらに散らばる妖の残骸。

それらを器用に避け、氷とコマは通路をゆっくり歩いていく。
切迫した状況においてもマイペースを貫く氷は大物だ。
彼が焦っていないということは、冷静さを失っていないということである。
氷につられるようにしてコマの精神状態も安定していた。

「身内を盗られた。っつー気分みたいだぜ? 『アイツ』の意志とは別に」
かろじて息のある妖が鋭い爪を氷へ伸ばす。
氷は無造作に指先で妖を浄化。妖は氷(こおり)に包まれその身を霧散させた。
「昔を引っ張り出して和也様を苦しめて良い理由になりません」
鼻を膨らませてコマは憤慨する。
「まあ、まあ。熱くならずに最後まで聞けって」
氷がコマの肩をポンポン叩いた。
「彼女達の意図は取り戻したい。だけどな? 他の妖が『和也の力を奪いたい』と。こう考えると結構見えてくる」
氷は薄く笑う。
「大体可笑しいと思わないか? 妖の中でも十指にはいる実力を持つ『三妖姫』が、誰かの指示で動いている。指示を出してるのは言わずもがな『アイツ』だ」
枝分かれした通路の物陰。潜んでいた妖が束になって氷へ襲い掛かる。

氷の身体へ伸びる無数の腕、腕。
しかしながら腕は氷へ到達する前に見えない力に弾かれ、消えた。
氷の張り巡らせる結界の威力が強すぎた為に、そのまま消滅させられたのだ。
やや退屈した感じの氷はおどけて両腕を持ち上げる。

問答無用の実力。

片鱗しか見ていなかった己の洞察力に、コマは背筋を引き伸ばす。
伊達に『前世が初代妖撃者の長』等ともて囃されているわけではない。
強力な力と鋭い洞察力に裏打ちされた能力を持つ策士。

能ある鷹は爪を隠す。というが、初代の場合は隠しすぎだ。コマはしみじみ思った。

「だが『大開』は十八年前に起きたきり。『アイツ』は門を潜れない。にもかかわらず現に『三妖姫』に指示を出して和也を誘拐した」
氷は判断材料を客観的に判断し考えを述べる。
「門の向こうから指示を出しているのでは?」
唇に人差し指をあてコマは思案顔。
「無理だな。門を通して連絡すると時間と手間が掛かる。その都度門を開き『アイツ』を門の近くに呼び出さなくてはならない。つまり、こちら側に『アイツ』がいて指示を出していると考えるのが妥当だ」
「? ……矛盾してますよ? 『彼』は門を潜れない。なのにこちら側で『三妖姫』を使い和也様を連れ去った?」
頭一杯に? マークを詰め込み、コマは眉根を寄せた。
「相手の目的は和也。これがこの矛盾を解く鍵となる。そして和也自身も。自己の矛盾から自分を見つけ出す時となるだろう」
確信に満ちた氷の台詞。
「和也様が……」
曇るコマの顔。
「だーかーらー。和也はコマが思っているほど子供じゃないって。自分の過去にケリをつける丁度いい機会じゃないか? この騒動は」
心配性の保護者。
コマの肩を再度ポンポン叩き氷は嘆息する。

護り慈しむ。コマが母親代わりとなって和也に注いだ慈愛。
彼女が和也に与えた無償の愛情は、和也のおっとりとした気質に大きく影響をおよぼしていた。
親へのコンプレックスはあるが、和也の情緒は安定傾向にある。
全てはコマが育んだもの。

だが今は愛情だけで賄えるほど簡単な問題ではないのだ。

「時には突き放して現実教えるのも必要だろ。和也のような立場の子供には、な?」
乱暴ともとれる氷の意見だが、コマにだって理解できる。
「和也がずっと『猫』を被っているのはコマの反応が怖いからさ。コマが気にして落ち込むことは無い。全ては和也自身の『心』の問題だから」

 ふい。

和也が立ち止まる。

真っ暗闇の中。光を放ち、正面から真っ向勝負を挑む奇妙な二人組みの姿が。
胡蝶と帽子少年が互いに力を振るい妖を屠っていた。

「おーおー、やってるな」
呑気なもので、氷は壁に背を預ける。
「このままで宜しいのですか?」
コマは声を潜めて氷へ問い質す。
「俺達が出る幕じゃないだろう。和也を助け、ここから逃げ出すのが俺達の目的だ。俺が好意を持つ女性を助けることじゃない」
氷は片眉を器用に持ち上げ答えた。
「公私混同されないのは結構ですが……」
言い淀むコマ。

 目の前の彼女の姿を見て。
 傷つきながらも想い人の『弟子』を助けようと奮闘する彼女をどうして静観できるのか?
 しかも彼女は同胞を殺め、現在も同族と戦っているというのに。

「俺の立場は、胡蝶の傷ついた姿くらいで簡単に投げ出せるほど軽いもんじゃない。例え胡蝶がここで息絶えようと、今の俺は胡蝶を助けない。俺が妖撃者だからだ」
淡々と言葉を紡ぐ氷の態度は妖撃者そのもの。
頭で分かっていても、コマとしては喉に小骨が詰まる思いがする。

 気まずいような、そうではないような。

沈黙が氷とコマの間を流れる。
その間も戦闘は続き、胡蝶と帽子少年は健闘していた。

「……初代様は覚悟されてたんですね。和也様のお師匠役をかって出た時から」
完全に『仕事モード』に入った氷の横顔。
表情を崩すことの無いその面を眺め、コマは胸がつまる。
「二兎を追っても無駄だと分かっているだけだ」
氷は完全に気配を消した状態でコマに言葉を返した。


大人って打算的で嫌ですよね〜。(私も十二分に大人ですけど・笑)
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