『砕けゆくもの1』




何時もと違う空気が流れている。
すっかり身体に馴染んだユクレス村の仮自宅のベッドから飛び起きウィルは目を擦った。
枕元で丸くなっているテコはまだ夢の中である。

「何か変な感じがするけど……何だろう」
ウィルはひとりごちベッドから出て身支度を整える。

嫌な予感がする時には大抵、誰かが無遠慮に部屋を訪ねてくるものだ。
この島に来てウィルが得た奇妙なジンクスの一つだ。

 コンコン。

控え目とは言い難いノックの音と同時に開かれる自室の扉。
やっぱり、等と内心でガックリ肩を落としウィルは侵入者を見る。

「よう」
髪を整え帽子を被ったウィルの前にやって来たのはヤッファだ。

一応ノックはしてくれているので、最低限の礼儀は弁えてくれたらしい。
洗っていない顔を気にしながらウィルは曖昧に笑う。

「お早う、ヤッファ。どうしたの?」
上着の皺を整えながらウィルが聞いたのと同じタイミングで、誰かが外で喚いている声が聞えてくる。
誰か、なんて他人行儀の台詞を吐こうものなら。
恐らく当人からは笑えない仕打ちが施されるだろうが。
とても嫌な予感がいよいよ本物になった。
腹裡だけで盛大に舌打ちしウィルはヤッファに用件を尋ねる。

「それは俺が聞きたいんだよ、ウィル」
ウィルの思惑とは別に、ヤッファが苦い顔で逆にウィルへ尋ね返してきた。
「大変ですよ〜!!! 先生が行方不明なんですって!! 委員長さんが来てますよ〜」
そこへマルルゥも飛び込んできて一気に賑やかになった部屋。
ウィルは額を押さえ丸くなって眠るテコを腕に抱くと渋々部屋から外へ出る。
居間用の部屋を通り抜け文字通り外へ、だ。

「ベルどうしたの?」
怒髪天を突く。
とはこの状態を指すのだろう。
頭が半分起ききっていないウィルの肩をベルフラウが掴み激しく前後に揺する。

「どうしたもこうしたのも無いわよ!! カイル達って本当に無神経なんだから」
頬を薔薇色に染め上げ、怒れるベルフラウ。
外見は美少女系を踏襲しているこの姉の気性は荒い。
ほどじゃないが、リィンバウムの人間で比較すれば紛れも無く気の荒い姉なのだ。

その割に姉は情が深かったりするのをウィルはこの島で知り、素直に姉とは呼べなくても。
少なくとも大切な家族としてベルフラウを受け止められるまでになっている。

「イスラが、無色が紅の暴君を手に入れたじゃない? の攻撃も弾いたイスラから判断すれば、やっぱり先生の碧の賢帝でしか……。イスラに対抗できないんじゃないかって。
こっそり話せば良いのに、カイルは声が大きいし。ヤードも馬鹿正直に返事するし。ソノラは止めようとしてくれたけど」

ベルフラウが頭から湯気を噴出さんばかりの勢いで憤慨する。
その隣、居心地が悪そうにオニビが丸くなっていた。

「先生はカイル達の話を聞いたんだね?」
これまでの島の生活を省みても分り易すぎる展開だ。

可笑しくって涙が出る位に、その気まずい光景が鮮やかに瞼裏へ浮かぶ。
ウィルは分りきった答をベルフラウに言った。

「それだけなら良いの。先生ったら『私も覚悟を決めます』とか言っちゃって!! だって先生一人の問題じゃないでしょう? 皆で解決してきたじゃない、今迄だって」
ベルフラウは拳を天へ振り上げた。

ヒートアップするベルフラウのテンションにマルルゥとヤッファが遠巻きにこちらを見詰めているのが窺える。

「………」
ウィルはその一言で完全に覚醒し、歳不相応に眉間に深い皺を刻んだ。

「酷い!! 先生ばかりが矢面に立たされるなんて、どうしてなの?」
手にした弓矢を真っ二つに折らん勢い。
ベルフラウが更に力を込めて力説する中、ウィルは一人冷静である。
いやベルフラウが熱い分、己が冷静にならざる得ないのだ。

「僕達だけで話していても解決しないよ。まずは先生を捜さないと。先生が何を考えているのか、どうして覚悟を決めるなんて言ったのか。本人に聞くべきだと思う」
ウィルは極力主観を排除して、至極尤もな意見を発した。

最近のアティは夜、ウィルと喋るたびに元気をなくしていく。
状況が許さないからだろうが。
何も出来ないウィルは自分の無力加減に歯痒さを通り越し、心底嫌気が差していた。

上っ面を滑る言葉を与えたいのではない。
知った口を利いて不安を誤魔化してあげたい訳でもない。
ただ苦しみの半分を引き受けたいだけなのだ。

彼女が理不尽に背負ってしまった苦しみの半分を。

「だからこうして先生を捜しついでに、ウィルにも声をかけに来たんじゃない」
ベルフラウは熱いかと思いきや案外平熱で。
ウィルの妥当な判断にあっさり切り返してきた。

『先にそう言って欲しかった』と口には出さなかったけれど、ウィルが考えたのも無理はない。

「まったく……無色の派閥が島に居るのに。危ないから当分は一人で島を歩かないよう、皆で約束しあったばかりだろう?」
シアリィの件もあり島での一人歩きが近頃は厳禁となっている。
ウィルが咎めるもベルフラウは涼しい顔だ。

「しょうがないでしょう、緊急事態だったんだから」
大人びた仕草で肩を竦めて見せたベルフラウ。
姉の吹っ切れたというか、開き直った姿に文句を言うだけの材料をウィルは持ち合わせていない。

「ごめん、ベル。先生を捜しに行こうか? 何処を捜した? ユクレス村には先生は来ていない筈だよ」
ベルフラウと話していてもアティが見つかるわけも無く。
妙案が浮かんでくる空気でもなく。
ウィルは考えることを早々に放棄して行動を起す。

視線だけでマルルゥに問いかければ。

「はいは〜い、先生さんは今日は来てないですよ〜」
漸く出番が回ってきたマルルゥが喜々として二人の会話に割って入る。
「「行ってきます」」
アイコンタクトを取ったマルティーニ姉弟。
声を揃えてヤッファに告げた。

「無理はするなよ? 危なくなったら合図を送れ」
ヤッファが小屋に置いてあったウィルの剣をウィル本人に投げ放ち、一連の会話の最後を締める。

ウィルとベルフラウはヤッファとマルルゥ、それから騒ぎを聞いて小屋から出て来ていた とバノッサに手を振り方向転換。



『駄目だと言っただろうが、諦めろ』
駆け出していくウィルとベルフラウを見送り、バノッサがゆっくりと口を開いた。
新生セルボルト家を一人背負ってきた四年間分だけ、バノッサの台詞に重みが増す。
具体的内容を一切口にしない簡潔な却下の言葉をバノッサは音に出した。

「しかし、あの儘ではアティが責任を感じイスラを討とうとするぞ? アティに人を傷つけられる訳が無い!! 誰よりも命の素晴らしさを知っておるアティに!!」
はイスラが紅の暴君を手にした瞬間から。
この問題を兄と何度も話し合ってきている。
アティとイスラの柔らかい心を護る為に。

『だが駄目だ。これはこの時間軸に存在するアティ自身と、その周囲の問題だ。異物である俺と手前ぇで干渉して良い事じゃねぇ』
冷静に切り返すバノッサの意見は正論である。

ハイネルに運命の是正を懇願され。
且つ、島にやって来た災厄がオルドレイク=セルボルトであったとしても。
バノッサと の兄妹が干渉して良い部分を越えていた。

「………」
反論する余地がない。
は悔しさに下唇をきつく噛み締める。

『睨んでも無駄だ。ああゆうのは自分で考え悩み結論を出すものだ。誰かの手助けで最初(はな)から得るものじゃない……今アティに助言するつもりなら俺が止めるぞ』
バノッサが重ねて注意すれば は力なく項垂れ鼻を鳴らす。
『本当に崩れそうになった時、誰がアティを助けるか。また、誰に助けられるかも歴史に関わってくるもんだと思うが? 違うか』
御転婆の手綱は扱いが難しい。
内心だけで嘆息しバノッサが珍しく付け加えた。
「違わぬ。メイメイにも、イオスにも程よく暴れよと釘を刺された」
兄の駄目押しというか、状況の現状説明に も不承不承納得する。
『だろうな』
完全に剥れてしまった が可笑しくて、喉奥で笑いながらバノッサが相槌を打った。


「あややや〜、喧嘩ですか? シマシマさんはどう思います??」
険悪な空気は漂っている。喧嘩と言われたらそうかもしれないけれど、違う気もする。
マルルゥは仲良し兄妹の異変に気付き首を捻った。
「いや、ちょっとばかり趣は違うみてーだがな」
ヤッファも遠巻きにバノッサと を観察しマルルゥの考えを否定する。


『それに口で言ってもアティも頑固だ。今の状況でそうは思わねぇだろうよ』
ヤッファとマルルゥの視線を背中に感じバノッサは話をこう切り上げた。
「分っておる。だが! 悔しいものは悔しい!! 悔しいのだ」
は親指の爪をガジガジ噛み、自分が相当苛立っていると兄に見せ付けてしまう。

『馬鹿だな、新生セルボルト兄妹が見込んだ剣の主だ。きちんと答えを見つけるだろう。必要なのは不用意な発言でアティを迷子にさせない事だ。そうだろう?』
すっかり萎れてしまった妹の肩をそっと己の方へ抱き寄せ。
バノッサは周囲を照らす眩しい太陽に目を細めるのだった。



Created by DreamEditor                       次へ
 主人公が頼まれたのは『正しい歴史の流れを取り戻す』であって。アティの世話を焼く、ではないのです。
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