『護衛獣への道(幕間5)』




随分見慣れてしまったサイジェントの夜空。

バノッサ宅の屋上から星空を見上げ、イスラは過ぎ行く夜風に目を細める。

蒼の派閥総帥の来訪は無事に終了。
総帥達は翌朝、朝一番で出立するという。
イスラが想像していたよりも総帥は大人で切れ者で。
油断ならない存在だとは実感させられたが、敵でもないとも感じた。

『やれやれ。慣れない事はするもんじゃないな』
イスラは、己のハッタリはどの程度見破られていたのだろうと考える。

嘘はついていないし、ましてや召喚師の派閥を相手に偽りを並べつるもりもない。

ただ事件の全てを語らなかっただけ。

多少の牽制も込めた。
相手への威嚇になったかは分らないけれど。兎も角、最善は尽くしたのでバノッサに睨まれる事も無いだろう。
謀略を得意と自負する自分が矢面に立つのは不要な気苦労を背負い込む。

本当に今日の自分は自分らしくない。

苦く笑いながら瞼に掛かる前髪をイスラは左右へ払いのけた。
足元の家、バノッサ宅では、 を囲んで夜のティータイムが行われている筈だ。
面倒事を嫌う自分としては早々に脱出して大正解だと満足を覚えながら。

『この家を警護してくれるのは有り難いけど、僕は の護衛召喚獣。バノッサと無用な争いを起すつもりも無いんだ。
理解してくれると嬉しいな、パッフェル』
時間にすれば数十分。
まったりと夜風を愉しんでいればイスラの神経を刺激する一つの気配。
否、余りにも周囲と綺麗に同化しすぎていて、逆に違和感を覚える気配が一つ。
やり過ごすのも一つの手だが、イスラとしては独りになりたかったので声をかけた。

「ありゃりゃ、バレちゃってましたか? イスラさん」
『自然に気配を消しすぎてるから、逆に気になったのかもしれない』
イスラは『サイジェントに於いて自然に気配を消しすぎる人物達』を脳裏に浮かべて、物陰の彼女へ注意した。

暴走女神の
の家族であり手綱を握るバノッサ。
主に闇に動くのを主体とするシオンやアカネ。
または生粋のリィンバウムの夜を知るスタウトやローカス。
他諸々。

幽体である限りイスラに物理的なダメージを与える事は出来ないが、精神的疲労なら負わせることは出来る。
性質の悪い親愛の表現を厭という程味わったイスラは、自然に消された気配には人一倍敏感になっていた。

「はぁ、そんなもんですか」
すっかり気の抜けた調子でぼやくパッフェル。
彼女は向かいの家の屋根の煙突の影から姿を見せる。
パッフェルは の仲間、サイジェントのアクの濃い面々を知らない。

 知ったからって、上手に対処できるわけでもないんだけどね。
 パッフェルには分らないだろうな。

内心だけで失笑しイスラは夜空に視線を戻した。
「認められないんですけど……」
『認めなくていいよ。パッフェルが僕の現状を心底納得する必要は無い。
寧ろずっと疑って警戒していてくれたほうが有り難いのかもしれない。僕としては』
本心では疑っているのだろう。
とてもじゃないが信じられないのだろう。
パッフェルが無理矢理口へ運ぶ単語を途中でイスラは遮る。

 無理して僕を受け入れる必要は無い。
 無理をして僕が善だと信じる必要も無い。
 僕は僕に戻っただけ。
 考え方なんてこれからは幾らでも変わる。
 変化を恐れるつもりも無いけど。
 僕の変化をありのまま受け入れるなんて酔狂な真似はしなくてもいい。

複雑な顔つきながら口を噤むパッフェルにイスラは薄っすら笑った。
当時を髣髴とさせる薄い笑みを。

 僕等は人間だ。
 神にはなれない。
 神の視点にたって在るが儘を受け入れる。
 なんて高尚な真似は出来ないだろう?
 僕も君も。

人を喰ったような笑みをイスラはわざと浮かべた。
パッフェルと不用意に馴れ合わない為に。
馴れ合うだけが全てじゃない。
理解しあうだけが成長じゃない。

理解しあえない。
互いの考えの溝の深さを認識しあう事だって大切だと考えるイスラである。

「……」
イスラの薄い笑みを見詰めてパッフェルは黙り込む。

昔の自分が見てきたイスラと、夜空の下に佇む今のイスラ。
今と昔のイスラの差がどこにあるのだろう。
大差なく彼は軽薄で底知れない闇を抱えているようにも感じられる。
逆に何かが彼から消えてしまったようにも感じる。
少なくとも瞳からは滾る何かは消えていたのだから。

『僕が起こしてしまった過去を、紅の暴君のせいにするつもりはない。ましてやオルドレイクのせいにするつもりもない。
僕自身が選んで望んだんだ、少なくともあの時は。
あのお人好し集団の筆頭、彼女が自分で答を出したようにね』

パッフェルの心裡の揺らぎを正しく把握しつつ。
イスラは言葉を頭で吟味してから声に出す。

馴れ合いたくはないが無用な誤解も遠慮したい。
誤解が産む喜劇の馬鹿さ加減は既にサイジェントで体験済みのイスラである。

『責任が取れるなんて大層な事は考えてないさ。
寧ろ事件の規模が大きすぎてどうしたら良いか分らない。というのが僕の本音だからね。元から償えるなんて思ってないよ』
イスラは努めて軽い口調で自分の本音をパッフェルへ漏らした。
真剣に受け止められすぎても困る。
イスラなりに自分の立場の保身というのは考えているのだ。

『僕が遺跡を暴走させたのは事実。
遺跡の封印を解いたのも事実。
彼女の剣を折ったのも事実さ。
それから自分の意思で に着いて行ったのも』
「……そうですか」
複雑そうな表情を瞳に浮かべパッフェルが応える。

イスラを理解しようとして理解しきれず少し困惑気味のパッフェル。
少しだけ過去を引き摺る自分と、妙に吹っ切れすぎたイスラと。
互いの違いでも考えているのだろうか。

パッフェルの鼻の頭に少しだけ皺が寄っているのを発見してイスラは笑いの衝動を喉奥へ飲み込んだ。

に着いて行ったからといって、全部が赦されたとは考えていない。僕は限りなく黒に近い灰色。
白の傍に居たからといって僕自身が白くなるわけじゃない。
僕は灰色のままだ。彼等がそう判断を下す限りはずっと、変わらずに』
イスラは視線を空へ戻し言葉を紡ぐ。

客観的事実に照らし合わせ己を評価するならば、確実に自分は黒に近い灰色。
という女神の護衛召喚獣となったからといって。
全てが洗い流せるほど世の中は甘くないと誰よりもイスラは理解している。
下手をすれば よりもバノッサよりも。
事態の流れを冷静に把握しているのかもしれない。

「灰色」
卑下している風でもない。
謙(へりくだ)っても居ない。
だからといって尊大になっている訳でもない。
事実を事実として淡々と受け入れるイスラの態度は と対極にある様にすら感じられる。
パッフェルは反射的にイスラの言った台詞を口内で呟いた。

『客観的に僕を判断するなら、パッフェル。君だって僕を灰色だと思うだろう?』
世間話を続ける口調でイスラはパッフェルへ問いかける。
「まぁ、強く否定は出来ませんけど」
営業スマイルを浮かべたパッフェルは卒のない相槌を返した。

パッフェル自身イスラに付け入る隙を与える積もりは無いらしい。
喰えない人の良さそうな笑みを浮かべイスラへ言葉を返すあたり流石は密偵という処か。

『それで良いんだよ。誰かの評価を白くする為に僕はここに立っているんじゃない。僕自身の為にここに立っているんだ』
久しぶりに長く喋ったな。
等と場違いに自分の喋りの多さに感心して。
イスラはそろそろ話を切り上げようと考えた。

パッフェルとここで精神論を語っても互いに満足のいく結果は得られない。
根本の解決にもならない。

『貴重な時間を僕と言う存在で無駄にすることはない。久しぶりに会うんだろう?  には。色々なことをちゃんと話しておいでよ』
遠巻きにパッフェルを追払いに掛かるイスラ。
自分の考えをグダグダと誰かに語るのは好きじゃない。

病魔の呪いに冒され静かな幼少期を過ごしたイスラは静けさを好む傾向が強い。
パッフェルとてそこまで鈍くも無いのだろう。
イスラの態度を警戒しつつも営業スマイルは崩さずに屋根の上から姿を消した。



数分してから屋根の下。
部屋の中から の拗ねた声が響いてくる。

大方、パッフェルが何も言わずに姿を消したことを咎めているのだろう。

もう少しだけ夜空に浸ったら暇つぶしに『告発の剣亭』にでも寄って時間を潰そう。
今の時期ならローカスが街へ戻ってきていて、珍しい話を聞けそうだ。

ここまで考えてイスラは己の僅かな現実逃避に顔を顰めた。

受け入れると決めていても、いざ現実がやって来ると及び腰になるのは元が人間だった時の名残だろうか。
死しても尚、精神は子供のままだと言うのだろうか。

『……そろそろ、頃合なんだろうな』
自分の過去と向き合う時が来た。
がパッフェルを自分に引き合わせたと言う事は、そいういう事なのだろう。
自分の手を握り締めイスラは大きく息を吐き出す。

『会って直ぐに殴られなきゃいいけどね』
イスラは一人ごち夜空を一瞥し、屋根から姿を消したのだった。





Created by DreamEditor                  次へ
ドリームなのに主人公の影が薄いのはこのミニシリーズのみです。
番外編が始まったらまた主人公を核とします。
いやー、イスラは当初考えていたよりも落ち着いてしまいました。
書いている当人もビックリです(苦笑)
ブラウザバックプリーズ