『護衛獣への道(幕間4)』



スウォンの奏でるハルモニウムの演奏を耳に、イスラは早々に樹上に避難していた。

食事を取る必要のないイスラは 達が収穫してきた森の恵みには一切の興味を示さず。

疲れたとばかりに木の上で一人、傾いでいく太陽をぼんやり眺めている。

下のスウォンの小屋の前では。
スウォンが起した焚き火を囲み、キノコを焼き、森の果物を食べながらの団欒が行われている。
イスラはそれに混ざるつもりはなかった。

「ふむ、我の考も足りなかったようだ。すまなかったな、エルジン・ラミ」
エルジンから一通りの説明を受けた がしおらしく頭を下げる。

ガレフの森はここ数週間、気が抜けるくらい平和で。
野盗が侵入していたなんて誰も考えなかったのだ。
は自らの非を認め潔く謝罪する。

「僕からも謝ります。自分の住む森なのに状況を把握できていなかったなんて」
森の管理と見回りも行っているスウォンが申し訳なさそうな顔で謝る。
スウォンがハルモニウムを手に持った事で、バックミュージックが一時的に途絶えた。
パチパチと木が爆ぜる素朴な音だけが周囲に広がる。

「やだな。 もスウォンも気にしないでよ。油断大敵っていう良い教訓にはなったんじゃないかな。僕だって油断してたんだし」
キノコを刺した木の枝を手にエルジンが慌てて首を横に振る。

誰も怪我をしなかったので、最初は誤魔化そうかとも考えたが。
イスラが紅の暴君を呼んでしまったし。
小屋の扉は狼の爪で傷がついていたし。
エルジン・ラミ・イスラの三人だけでは如何ともしがたかった。
というのが実情で、渋々事情を話す羽目になったのである。

「ううん。イスラお兄ちゃんが護ってくれたの。凄く強かったよ」
焼いたキノコを口一杯に頬張っていたラミも。
口のキノコを飲み込み、慌ててイスラとエルジンのフォローに回った。
誰が悪いわけじゃない。
タイミングが悪かっただけだとラミも考えている。

「ありがとう、イスラ!! 妹を助けてくれて」
「助かったぜ、イスラ」
二日酔いのイスラを見てからぐっと親近感が湧いたらしい、フラットの子供達。
アルバとフィズは太い木の枝の上に寝そべるイスラへ手を振った。

だらりと下がったイスラの足が二人の声に応じるように少し揺れる。

イスラが別段怒っていない事を悟ったスウォンは胸を撫で下ろし、ラミにせがまれ再度ハルモニウムの演奏を開始した。

少し下は騒がしかったけれどイスラは会話に混ざる事無く、一人、樹上を過ぎる風と足下の声に耳を傾けながらまどろんでいた。




「いすら。えるじんヲ助ケテクレタ事、深ク感謝スル」
木の枝で下の騒ぎを傍観するイスラの近くに、エスガルドが現れた。
ロレイラルの最新型機械兵士でありながら、エルゴの守護者であるエスガルド。
器用なことに木を自力で登ったらしい。
イスラと向かい合う位置の枝に立ち、木の枝に寝そべるイスラを見下ろす。

『保護者としての感謝なら分ってるから、気にしないで欲しいな』
陽光を浴びて光るエスガルドの赤い装甲。
真紅と表現するに相応しい彼の外見にイスラは目を細める。

無骨な外観を持つ機械兵士ながら中身は繊細で精密だ。

「いすらニハ詳シク事情ヲ話シテイナカッタガ、誰カカラ聞イタダロウカ? えるじんノ事ヲ」
何処となく非常に人間らしい側面を持つロレイラルのエルゴの守護者。

エスガルドの発言はまるでエルジンの父親のようだ。
エルジンを気遣いながらイスラに探りを入れてくる。

『カイナから教えてもらったよ。父親を亡くしたエルジンを、君が引き取って育てたっていうのはね』
イスラは己が知る情報全てをエスガルドに曝した。

ロレイラルのエルゴの守護者コンビは中々どうして興味深い。
カイナから話を聞いていたイスラは、エルジン・エスガルドと対面して益々興味をそそられた。

機械兵士でありながらエルジンを保護し育てたエスガルド。

召喚師の家系に生まれながら、父親と共にロレイラルの遺跡を探索し、父亡き後はエスガルドと保護者としたエルジン。

種族は違えど奇妙に家族として成り立っている不思議な二人。
とバノッサ達の家族を事前に知りえたから、イスラは別段、この二人を特別には思っていない。

「意外ニ思ウダロウカ? えるじんヲ助ケタ機械兵士ヲ」
エスガルドはイスラに意見を求めた。
自分の指で自分の分厚い、機械兵士としての装甲を指し示しながら。

『機械兵士が人間の子供を引き取った点は意外には思うけど。エスガルド、君は子育ての名人だと僕は深く感動しているよ』

バノッサとは違った意味で。
というより、子育てにおいて彼より右に出る者は居るのだろうか?

イスラは率直な感想をエスガルドに伝えた。

「? 何故ダ」
些かの戸惑いを伴ってエスガルドはイスラへその本心を尋ねる。

戦いの為だけに生み出された機械兵士が人間の子供を育てた。
やハヤト・トウヤ達は驚きはしたものの、案外あっさりと事実を受け入れた。
彼等の響きとは異なるが、イスラもまたエスガルドが取った行動を否定しない。
寧ろ感心している風だ。

『家族を失って一人になったエルジンが、あそこまで普通な子供に育った。それは一重に君の教育の賜物だろう?
元々エルジンは好奇心が旺盛そうだから、君が保護者になって逆に喜んでただろうけどさ』
イスラはエスガルドの戸惑いに笑いを噛み殺し、澄ました表情で指摘する。

保護者と被保護者。
バノッサと
アティとベルフラウ。
カイルとその一家。
オルドレイクとツェリーヌと、あの女暗殺者。

形は様々だがどれも少々歪(いびつ)で個性的だった。

それに引き換えエスガルドとエルジンの関係のなんと穏やかな事か。
少し考え方が面白いエルジンではあるが、召喚師にしては珍しい素直で利発的な少年に成長している。
また、イスラが見聞きした二人の関係を考慮すればエスガルドが偉大だった、という答えが導き出せるだろう。

「……」
エスガルドは答えなかったが、エスガルドが笑った気がした。
表情の分らない機械兵士の哲学的な考えにイスラは口元を緩める。

『エルジンにとって君はかけがえのない家族だ。それは素人目にも分るよ』
樹の下、焚き火を囲んではしゃぐエルジンやアルバ、フィズ、ラミの声がイスラの耳に飛び込む。

スウォンが演奏するハルモニウムに乗って運ばれる無邪気な子供達の声に、平和を噛み締めながらイスラはこう付け加えた。

「感謝スル」
『別に の発言を真似ているつもりはないんだけど……。調子が狂うな』
エスガルドの喜びが混ざり合った感謝の単語に、イスラは渋い表情で額に手を当てる。

彼女の思考回路に汚染されるつもりはこれっぽっちもない。
ましてや思考が同列だとみなされるのも厭だ。

「いすらハ、ソノ儘デ居レバ良イ。考エ、動キ、自身ノ思想ニ基ヅキ行動スルノハ悪デハナイ。
全テノ生物ニトッテハ当タリ前ノ欲求デアリ、至極自然ナ行イダ」
エスガルドは普段から余り抑揚のない喋り方をするが、喋り口は意外と柔らかだ。

諭すようなエスガルドの台詞にイスラは目を見張る。
短時間でイスラを観察し推察し、事件を通してイスラの何かを垣間見たエスガルドの発言は想像以上に的確で重い。

『誰もが自分の正義を抱えてる……か』
イスラはエスガルドに言うとはなしに小さく口の中で呟く。

が常々言っている、人の数だけの正義。
客観的に見て正しくなかろうとも、それを信じる人間が存在する限り正義となる。
蒼の派閥も正義であるし、金の派閥も正義である。
……無色の派閥も。

個性の強い の仲間と家族と過ごし、彼等の多様性を改めて実感させられているイスラである。

「心トハ奥ガ深イ。願イトハ底ガ知レナイ」
エスガルドは重々しい調子で頷き真摯な態度で生物の性(さが)について語った。
『欲望と願いは紙一重だからね。流石は博識なロレイラルのエルゴの守護者だ』
イスラは自分の言葉でエスガルドを褒めた。

傍から聞けばただの嫌味だろうが、エスガルドには通じるだろう。

イスラの考えが通じたのかエスガルドは無言で会釈だけをし木の枝をまた下へ降りて行った。


焚き火を囲む面々からは、エスガルドが一人で木登りをしたと文句がエスガルドへ浴びせられる。
どの観点からエスガルドに文句を言いたいのか、イスラには理解できなかったが。
エスガルドという倫理的・論理的・哲学的な機械兵士との会話は楽しいと思った。

機知に富む相手との会話は純粋に心踊り楽しい。

騒がしさを増す子供達と落ち着いた対応を返すエスガルドの声。
明瞭には聞えないそれをバックミュージックにイスラは瞳を閉じる。

身体を抜ける空気と茜色に染まる太陽。
地平線へ吸い込まれる太陽と、逆側から登る月。
独り占め状態の天体ショーを堪能しながらぼんやり過ごす。
そうやってイスラが一人を愉しんでいると、今度はスウォンが慣れた調子で樹を登ってきた。

イスラが再度一人になるのを計っていたらしい。

「イスラは強いですね」
スウォンはイスラが寝転がる太い枝に腰を下ろし、夕日を見詰めながら言った。
スウォンの緑を基調とした簡素な服が茜色に染まる。

『単に に影響されて図太くなっただけさ』
薄目を開き相手がスウォンだと知ったイスラは小さな声で応じる。

に影響されなくたって、イスラは強いと思いますよ」
スウォンはイスラの反応を謙虚さと自分流に解釈し、スウォンから見たイスラ像を喋った。
言われた本人のイスラは瞼を閉じたまま眉を軽く顰める。

『褒め言葉として受け止めておくよ。それよりこの森は見ていて飽きないね。……僕の知っている森はもう少し野性味が溢れていたから』

人の手入れが入っている森と野放図の森は違う。
ガレフの森は前者だ。

森の奥は未開だそうだが、木々が適度に間引きされていて光の差込具合が優しい。

森の恵みも全てを根こそぎ取っていく真似はしない。
だから毎年キノコや果物、木の実がたわわに実るのだ。
上流階級で育ったイスラには森の違いが理解できたし、何より島での体験は鮮烈に脳裏へ焼きついている。

野性味、という単語でぼかしておいたのは『はぐれ』である彼等へのイスラなりの配慮だ。

本音で言うなら無秩序の森、と言っていただろう。

「狩人達が手入れをしている森ですから。人と動物達が互いに住み分けをして、互いに森の恵みを受けて生活しています」
ガレフの森が話題にあがり俄然スウォンも多弁になる。
少し熱が篭った口調で森の説明を始めた。

謂わば貴族出身であり、都会育ちでもあるこの少年が森に興味を示すとは思えなかったので、スウォンとしては嬉しい気持ちも混じる。

『へぇ』
イスラは今度こそ瞼を持ち上げ、瞳をスウォンの横顔へ向け相槌を打った。
きちんとスウォンの話を聞いていると態度で表す。

「境界線、みたいなものがあって。狩人はそれ以上森の奥へは足を踏み入れない。
また動物達も森の外れには滅多に姿を見せない。暗黙のルールがあって始めてこの森は成り立っているんです」
スウォンは自分の職業と森について、軽い興奮に頬を染めながら続きを喋る。

森の存在を軽んじる人間は多い。
サイジェントの街の住民だって時折森を荒らすような振る舞いをする。
領主の了解を得たキールの教育で、騎士団や上流階級の人間達への教育は施されていた。
しかしながら全ての人間がお金持ちで豊かなではない。
生きる為に狩人の掟を無視し森を汚す人間も居るのが現実だ。

だから余計に喜ばしい。

仲間である の護衛召喚獣がガレフの森に興味を抱いてくれた事実が。

『だからこんなに緑が多くて豊かなんだね?』
己の推論が正しかったことが証明された。
イスラは確認の意味合いが濃い問いかけを発する。

「ええ。動物によって命を落とす狩人も居ます、逆に狩人に命を奪われる動物も居ます。綺麗事ばかりではありません。
ですが……昔からこうやってガレフの森は豊かさを保ち、僕達狩人と動物達は折り合いをつけていたんだと。僕は考えています」
スウォンはイスラの理解の早さに喜びながら、次に自分が主張したい部分を口にした。
幾分険しい顔つきを作り上げて。

命の大切さを知るから森に留まったスウォン。
復讐を安直に考えていた四年前よりは、冷静に動物と人間野の関係を捉えられていると思う。

『うん』
表情を引き締めたスウォンに釣られイスラも神妙な面持ちになった。

「だから、どんな命であっても尊いものだと僕は感じます。これは狩人独特の思考回路かもしれませんが。
僕らは動物の命を奪って己の命を保っています。だから命を繋ぐ事は、生きる事はとても尊いと思えるんです」
イスラの生い立ち云々を踏まえた発言ではない。
これまで狩人として森に関わり、生活してきたスウォン個人の見解と意見だ。

スウォンの気持ちはしっかりイスラに伝わっているようで、イスラの瞳にはスウォンの意見に対する深い理解の光が灯っている。
怒りの感情は見えない。

「あ、すっ、すみません。僕が至らなかった部分のお礼を言いたかっただけなんです。妙に理屈っぽくなっちゃいましたね」
『そんな事はない、十分に興味深かったよ』
急に我に返ったスウォンが照れて後頭部に手を当てる。

思わず勢いで力説してしまった自分を恥じるように顔を紅くした。
イスラとしては自分を褒めちぎられるのを回避できたので、しれっとした態度で無難な言葉で話を締め括る。

の様に明確な意図を持って取った行動じゃない。
ましてや彼女と似た方法しか取れなかった自分を褒められるのはご免だ。
一人照れるスウォンと訪れた沈黙を愉しむイスラの頭上に星が瞬き始める。


「何時までそこで寛いでおるのだイスラ!! 降りてきて手伝わぬか」
まったりするイスラの時間を砕くのが主である だ。

樹の下から大声を張り上げてイスラとスウォンを睨みつけている。
幼い姿の神様の命令に、スウォンとイスラは互いに目だけで笑い合うのだった。



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 こうしてイスラは自分や他者について理解を深めていきます。ブラウザバックプリーズ