『護衛獣への道(シルターン編)』



意識が霞み行く中、イスラは漠然と思った。

 溺死って苦しい死に方なんだな……と。
 付け加えるなら自分はなんて器用な事をしているんだろう。

とも考えていた。





時間は数刻ほど遡る。

真夜中に昇る月は薄雲に隠されて本来の輝きを損なっていた。
凍える空気と悴む手。
降り積もった雪が月明かりに照らされ淡く光る鬼神の谷。
風景だけは幻想的だ。
岩陰に隠れ蠢く複数の物騒な影さえなければ。

「今晩は さんもいるのでアカネさんも必死ですね」
シルターンのお酒や軽食を準備しながら、シルターンのエルゴの守護者・カイナが『甘酒』をイスラに勧める。

『あれが……訓……練? 訓練なのか?』

 いっそ虐待かなんかの一種なんじゃないか?

自分の目を疑う光景が展開されていて、イスラの視線は逃げ惑う(文字通り)アカネと思(おぼ)しき影に釘付けだ。

「そりゃぁ、最初だけ見れば疑うかもしれないけどさ。立派な訓練だって」
これまたノンビリ。
胡坐を掻いて地面に座り込んだ格闘家ジンガが腕組みして一人頷く。
雪の上なのに普通に座り込んでいるジンガはある意味、違った凄さを感じさせる。

「シオンさんとアカネさんはシルターン出身者なんです。シオンさんとしては不本意だったでしょうが……。
四年前の事件の時、ハヤトさんやトウヤさん、 さんにアカネさんが協力してくれていたんです」
サイジェントの歴史自体を知らないイスラに、カイナが手短に当時のアカネの立場を説明した。
顔は知っていても経緯は知らないイスラへのお節介、といったところだろう。
『無色の派閥の乱、の時だね?』
イスラが即座に反応を返す。
本来はレヴィノス家の跡取りとなるべく生まれてきたイスラだ。
頭の回転は悪くない。

「本来、シルターンの忍は己が忍であることを明かしません。なので、シオンさんも副業の薬屋を営みながらサイジェントで暮らしていたそうです」
暗にシオン達の事は公にしないで欲しい。
含ませたカイナの台詞にイスラは真顔で頷く。

「フツー、忍の経営する店だって分らないだろ。隠してるだろーし」
カイナの含みを気にしないタイプのジンガが当時を回想して小さく唸った。
雰囲気的に異国情緒溢れる怪しい薬屋だったが。
そこの主と目立つ服の店員が忍だなんて、きっと城の人間だって想像してなかったに違いないと確信して。

「ええ、でもなんだか不思議な感じがします。わたしはお役目の事しか頭になくて。
外がどうなっているだとか、どのような方が暮らしているのだとか。無頓着でしたから」
自分だって一歩間違えば『はぐれ』だった筈なのに。
自嘲気味に呟くカイナは珍しく気弱に微笑む。
常に凛とした空気を持つカイナらしくない。

『……カイナ、君は』
「昔は昔。今は今。そうでござろう? カイナ殿」
言いかけたイスラの言葉を遮り、無理矢理会話に割って入るのがカザミネ。
朴訥な優しさ、即ち武士道を掲げた彼はニィと笑って湯飲みをカイナへ差し出す。
カイナははにかみ笑って米の酒をカザミネの湯飲みへ注いだ。

「こうやって簡単な訓練位は見せてくれるし、修行ってヤツも簡単なのなら教えてくれるんだぜ。俺っちも少しやってみたっけ」
三年前・傀儡戦争の時のサイジェントを思い出しジンガは話題を戻す。

今晩の月見温泉ツアーの発案者はジンガだ。
比較的武術論を戦わせやすい面子を集めての。
カイナが同行したのは場所が鬼神の谷だったから。
カザミネが同行したのは、暴走癖があると知ったイスラを安心させる為。
遠出するのに責任者が であるのは不安材料が多いと判断したバノッサの一声で決定された。

『ジンガ、君も?』
に銃で狙い撃ちされて雪の上に倒れるアカネを横目に。
イスラは畏怖の混じった眼差しをジンガへ送る。

 若しかして彼も現在進行形で展開されている修行をしたのだろうか?

だとしたら、能天気格闘家だと決め付けていた己の観察眼が間違っている事となる。
驚愕に身を竦ませるイスラにジンガは首を横に振った。

「アレはアカネ専用だからな? 俺っちは格闘家だから動きの鍛錬にはなるだろ? 忍みたいに動きたいワケじゃないからな!
簡単な型と移動について教えてもらっただけさ」
「流石にあの動きは……。長期に渡り鍛錬を積まねば無理で御座るよ」
ジンガとカザミネはほぼ同時に戦場(いくさば)と成り果ててしまった谷を見渡す。


岩陰に隠れ気配を隠すアカネ。
アカネと間合いを詰めながら刀だけで攻撃するシオン。
飛び道具担当は銃を持つ


ハンデ戦と銘打たれているがアカネにとってのハンデでないのは明らかである。


「シオンさんらしい、行動です。お弟子であるアカネさんが不用意に傷つかないよう、無茶をしないよう。
常にああやって修行を行い釘を刺しているのですから。それより甘酒が冷えないうちにどうぞ」
カイナは聡明な眼(まなこ)でシオンを形作る影を一瞥し、まったく手の動いていないイスラへ食を勧める。

死人、魂だけになってしまった彼も元は生きていた。
カイナなりに彼の境遇を知り、仲間達の考えを聞き。
だったらいっそ、荒療治をするのも手だと。

世界の違いを知るには四界の違いを知る事から始めるのが一番だと考えたのだ。

メイトルパは無理があるけれど、シルターンなら自分達が。
ロレイラルなら、もう間もなくやって来るだろうエルジンとエスガルドが。
サプレスならゼラムに居るクレスメントの双子や聖女がイスラへ教えてくれるだろう。

考えてジンガのお月見温泉に便乗したカイナである。

『ふぅん……師匠の愛情……って奴なんだね。有難く頂くよ』
イスラは暗闇の中で静かに移動する三つの影を感覚的に追いながら。
ポツリと感想を零し、カイナに促され甘酒に口をつける。

仄かに甘い米の味が口の中に広がり、リィンバウムの人間が好む種類のお酒とは違った優しい風味が喉を通過して行く。



雪が盛り上がった小さな丘が点在する、その一つ。
闇夜の雪原を隠密行動し気配を只管押し隠し。
高鳴る心臓の音さえも聞こえてしまいそうに錯覚する静けさ。

アカネは匍匐全身の要領で雪の上這いずり視界の右斜め先を横切ったシオンを見送る。

 助かったか?

そう考えたアカネの真横。
ちょんちょん、とアカネの簪を突く黒髪の少女? の姿が。

「……???」
何度も瞬きをして真横へ顔を動かしたアカネの視野に入ったヒト? それは。
「残念だったな、アカネ」
アカネの簪を抜いてにっこり微笑む に。
「良い所まではいきましたが。アカネさんはまだまだ精進が必要なようですね」
腕組みしてアカネの背後に立つシオン。

アカネは震える唇を動かしながらヒィと叫んだ。

叫びそのものはか細く降り始めた雪が吸収してしまう程度のもの。
だがカイナ達の鋭い聴覚はきっちりアカネの悲鳴を拾上げていた。

「終わったみたいですね」

 夜食の用意しましょう。

常と変わらぬ穏やかな表情のカイナが、風呂敷に包んだお重から皿に中身を並べ始める。
アカネの身を案じる気配はない。

「ふぅ〜、アカネも日々進歩してるんだな〜。逃げ回れる時間が長引いてきたぜ。
でもこれでお終い、後は飯だ!! 簡単に食べたら温泉で暖まって帰ろうな」
カイナが重箱から取り出すシルターン料理にジンガは舌なめずりした。

僅かに目線を上げ月の位置を確かめ、アカネが今迄よりも上手く逃げ回っていた。
事象のみを口に出しジンガなりの褒め言葉を発する。
後半の温泉に関してはイスラへ振った話題だ。

『うん……』
命がけの修行だからこそ身になるのだ。
アカネがソレを望んでいない風に見えるのは。
今は気のせいだと片付けておこう。

イスラは無理矢理自分を納得させ相槌を打つ。

・アカネ・シオンは揃ってカイナ達の元へと戻ってきた。
特に とシオンは底知れない笑顔を浮かべている。

「こ、怖かったよぉ……」
顔面蒼白。
目尻には薄っすら涙が溜まる。
アカネは小さく鼻を鳴らしてカイナから甘酒入りの湯飲みを受け取った。
心の底からのアカネの本音だろう。

『シルターンの忍の訓練は変わってるんだね』
何から驚けば良いのか皆目見当も付かない。
イスラは一先ず妥当且つ無難だと思われる感想を訓練していた三人へ送った。

「シルターンの忍全員が行っているとは限らんぞ。キュウマはもっと異なった鍛錬を行っておったからな」
島でキュウマがスバルやミスミ相手に披露していた忍術を回想し、 はイスラに応じる。

腰に手を当てて空いた片手は口元に当て。
知識を吸収しようと頭を回転させるイスラ。

島での体験も『貴重』だったろうが。
サイジェントで見るもの触れるもの全てが『貴重(良い意味では異常)』だ。
異(こと)なる価値観と解決方法を異(い)にする面々が時折衝突しつつも折り合いをつけ共存するミステリーワールド。
利害や損得も絡みながら根底では深い『何か』で結ばれた彼等。
あの輪に入るつもりはないし、羨ましいとも今更死んだ身で思わないが。
イスラは彼等を知るべきだと感じ始めている。

「鬼忍と我々では多少動きが違いますけどね」
頭部につけているゴーグルを取り外し、シオンは地面に腰を落ち着けた。
「そ、そうだよぉ〜!!! 体力や魔力なんかが色々違うの!! これでもアタシは優秀なんだからねっ」
僅かに胸を逸らしてアカネが精一杯の威厳? らしきものを放つ。

にあれだけ追っかけられて逃げられるんだから、そーだろうなぁ。おれっちもうかうかしてらんないなぁ」
格闘家としてもう少し脚力をあげるべきだろうか。
ジンガの顔にはくっきり本音が浮かぶ。

見遣ってカイナとカザミネは顔を見合わせ笑い合う。
イスラの暴走事件以来ぎくしゃくしていた雰囲気が解け、日常の温かさと柔らかさが戻ってきた感触に包まれながら。

「見事な逃げ足だったぞ、アカネ。拙者もうかうかしておれんな」
ジンガに続きカザミネが顎に手を当て真顔で頷く。
真剣な顔の割にカザミネの口調は揶揄が混じっていた。

「に、逃げ足だけじゃないって」
頬を引き攣らせアカネは即座にジンガとカザミネの意見を否定した。



Created by DreamEditor                      次へ
 イスラにお節介を焼こう企画が始動したらしいです。
 果たしてイスラはどんな経験をする(させられる?)のでしょうか。ブラウザバックプリーズ