『護衛獣への道(シルターン編・後編)』




ゆったりと朧月夜に照らされた鬼神の谷で軽い夜食を取って、始まるのはメインイベント。
雪見温泉ツアーだ。

「提灯っていうんだよ」
アカネがランプとは違う形の灯りを手に谷の奥まった部分へ歩き始める。

先頭はアカネ、次にイスラとカイナと
三人の後ろをジンガ。
最後尾がシオンとカザミネの順で一行は温泉地を目指す。

シルターン大人組であるシオンがカザミネと肩を並べ、温泉に入りながら一杯やる算段を語り合う。
はカイナやアカネと温泉についてニコニコ顔で喋っている。
イスラははしゃぐシルターン組+ジンガを眺めある一言を思い出した。

無色の派閥の女暗殺者がぼやいていた気がする。
何故あの小娘は温泉などに自分を誘ったのかと。

「温泉は名もなき世界にもあってな? 我はハヤト兄上とよく入浴しに行くぞ」
一人仲間と外れて歩くイスラ。
彼の歩く歩調に合わせて後退し は自分の温泉体験について語った。
『あのほややん誓約者と?』
イスラは遠慮も容赦もなくトウヤとハヤトを『ほややん』と形容し、切って捨てた。
確かにイメージ的にはあの二人と温泉は合うかもしれない。こう考えながら。

「楽しいぞ、温泉は」
は温泉スパでハヤトと遊んだ夏休みを思い出し、ニコニコ笑ってこう返す。

『体験してみてから考えるよ』
イスラは嫌味ではなく純粋に気持ちの問題として答えた。

経験した事がないモノに対して楽しいも楽しくないもない。
育ちは良いのにイスラはリアリストだったりする。

「良い傾向だ」
不敵に微笑む の自分を子供扱いする態度が気に入らない。

イスラは唇を真一文字に引き結びつつ視界に入ってきた温泉小屋に愕然とした。
露天風呂の概念はジンガとシオンから聞いた。
島にも屋外温泉はあった。

だが衝立一つ挟んで単純に女湯・男湯としか区切られていないとは……安直過ぎないか?

難しい顔をして黙り込むイスラの苦い胸中を察してジンガが「気にするな」と背中を叩き。
少しの押し問答が繰り広げられるも。
彼と話し合っても時間の無駄だ。
早々に判断を下してイスラは仮初の肉体で温泉を楽しむことにした。

ジンガと喋っている間にシオンとカザミネは身体を清め温泉に既に浸かっていたりする。
侮りがたし、シルターン組。
女性陣は念の為水着を着て入浴しているらしい。
男性陣はハヤトが差し入れたフェイスタオルなる布で下半身を隠しての入浴である。

「あれから四年かぁ……。皆、それぞれバラバラだよな」
湯煙漂う温泉に、ジンガは言いながら何度も瞬きを繰り返し睫に張り付き蒸気を払った。

「俺っちは四年前のアノ時に思ったんだ。強さって本当は何なんだろうって」
ジンガは真顔になる。

「最初はな? トウヤやハヤトのアニキみたいに心の強さが必要だと学んだ。
時には みたいに物理的な強さを得る事も必要で。結局どっちも必要だと考えたんだ」
ジンガは、自分の掌を滑り落ちる温泉の滴が落下してくのを見守った。

サイジェント滞在を通じてジンガは考えた。
世界は広く計り知れないと。
だからこそ世を知りたいとも。

の助言もあり、時折他の地方へ出かけていっては猛者と手合わせをしているジンガである。

格闘の師とも再会し近々免許皆伝も近いらしい、とは情報通のスタウトの弁。

「でもそれだけじゃ足りない、足りないって俺っちは感じた」
自分の握り拳を握って開いて。
次にじっと手のひらへ目線を落としジンガはひとりごちる。
誰かというより己に言い聞かせる台詞に衝立を挟んで は笑みを深くした。

 ふむ。
 心の強さと拳の強さ。
 確かに二つを合わせれば最強だ、戦士としてはな。

 だがそれだけを貫いてもバノッサ兄上のようになるやもしれん。
 またはアキュート時代のラムダのようになるやもしれん。
 ジンガも成長しておるのだな。

の表情や知る者にだけ柔らかく崩れると、隣のカイナが声を殺して笑った気配がして。
それから の頭を何度も撫でる。

「強さの基準ってヤツが人によって違うって分かったからかな。
ほら、シオンとカザミネで云うなら、忍と侍の強さの基準は暗殺力みたいなモンだろ」
ジンガがのんびり事実を指摘した。

違いを受け入れる器はトウヤ・ハヤト・ から学んだ。
落ち着き払うジンガとは対照的にイスラは驚いてシオンとカザミネを凝視する。

「イスラが知る鬼忍とは少々主旨が異なるが。拙者達、侍の能力の在り方も似たようなものでござるよ」
カザミネが唇の端を持ち上げた。
笑っているような、それでいて少し渋い顔だった。

「忍も侍も。この方と決めた君主に遣え、修羅の道に身を投じますからね。軍を知るイスラとは価値観が大きく異なるでしょう」
シオンは穏やかに語るだけ。
手中に収めた小さな杯の中身を一気に飲み干す。

衝撃的な内容を喋っているのにそう聞えないのは。
このシオンの表情と温泉独特の空気が錯覚を起させているのだ。

イスラは『忍』または『暗殺者』としてのシオンの一面を垣間見た気がした。
穏やかに人と語らいながら顔色一つ変えず対象を屠る。
無色とは違った意味で侮れない存在だと。

「種族の数だけ価値観があり、願いの数だけ命の重さが異なるのだ。一概にどれが正しくて間違っておるかは言えまい」
は頭の上にタオルを乗せたハヤト式温泉スタイルを貫きつつ、要所要所で会話に参加する。
イスラに考える行為を促す為に。

『だから僕がどう考え、どう行動するか。これに関しては自由だと』
イスラは の発言を受け素早く意図を察し応えた。

「無論。汝の行動が倫理道徳上不適切、だと判断すれば我は止める」
「拙者は理由を聞きたいでござるな」
「わたしは一先ず静観します。本当に危険ならば止めるでしょうけれど」
「俺っちは付いていく! 一緒に行動すればイスラが何考えてるか分るだろ?」
→カザミネ→カイナ→ジンガ。
順繰りに告げられる彼等の台詞に、イスラは価値観の違いについて思案の渦へと落ちていく。
彼等の考える存在の重さ。価値。

「……なんで人を殺す事が悪い事なんだろう? アタシは少し不思議だった」
衝立の向こうから、妙に落ち着き張ったアカネがイスラ達の会話に割って入る。

『アカネ?』
これがアカネの持つくの一としての冷静な面なのだろう。
イスラは理解しながらアカネの名を呼ぶ。

「や、ほら、アタシ達は忍じゃない? さっきお師匠が言ったけど君主に仕える影でしょう?
だからいざとなったらやっぱり向かってくる敵は葬らなきゃいけないでしょ?
人を殺す事がいけない事なら、アタシ達がしてるのって只のヒトゴロシだよねぇ、って」

語尾が段々尻すぼみになりながら。
アカネは自分の考えを温泉に浸かる全員に伝える。

「見る方から見ればそうなりますね」
弟子の一言にシオンが柔和な表情を崩さず応じた。

衝立のせいで顔までは見えないものの、師匠の言いたい事は分るのだろう。
アカネが小さく笑った気配がする。

「……難しい問題で御座るな。拙者も主に仕えておったならば、主の為にこの刀を振るっただろう。躊躇いは御座らん」
少しの間をあけてカザミネも侍としての在り方を自身の言葉で語った。

「侍も忍も。己が認めた主の為なら、鬼神の如き働きをみせますから。わたし達道を守る者とは考え方が多少異なりますね」
更にカイナまでもが会話に加わってくる。

イスラはシルターンメンバーの職業と、職業の差から来る『命』の捉え方の違いを興味深く聞く。
合間に何故か済ました顔のシオンに酒を勧められ、ちびちびと舐めるようにお米の酒を味わう。

「うん。だからカイナや他の皆と知り合って、不思議に思ってた。どっちかってゆーと、アタシ達は上下関係が多いじゃない?
師匠とアタシとか。主と部下とか。
なのに、皆は横一列。優劣なんて関係なくって平等で……。変な感じがしたなぁ」

今だから明かせる違和感。
自分から正直に白状してアカネはこう締め括る。

「あー、なら俺っちもアカネ達を笑えないか。俺っちは修行の」
言いかけたジンガが傍らのイスラの異変に気付き口を噤む。

死んでいる筈なのに何故か顔を真っ赤にして湯船の中へ沈んでいくイスラ。
意識があるのかさえ危うい。
口から漏れる空気の泡が温泉にゴボゴボという音を立てる。

「おやおや、これは」
慌ててイスラの腕を掴んでみるが、シオンの手はイスラの腕を素通りした。
意識を保てなくなったイスラの魔力が弱まったせいで、魔力によって創り上げていた体が消えてしまったのだろう。

「どうかしましたか?」
衝立の向こうから問いかけるカイナの声がするも、男性陣はそれどころじゃない。

「しっかりするで御座るよ!! イスラ!」
バシャバシャと慌てて温泉を掻き分けるカザミネに。
「わ、わわわわっ。ど、どーすりゃいいんだよ〜!!  ッ!!」
途方に暮れ切ったジンガの悲鳴。
「どうしたのだ? 一体」
が激しい水音に眉根を寄せつつ、向こうを覗く無礼を働かないよう注意を払って声だけをかける。

「「イスラが溺れた!!」」
カザミネとジンガの声が綺麗にハモった。

「それとものぼせましたかね?」
そんな中、結構冷静だったりするのがシオンで、一人沈むイスラを眺めている。

アカネが目を丸くする横で がイスラを送還し無色のサモナイト石へ戻した。
残りのメンバーはしっかり身体を温めてから温泉を出る。


「イスラが酒に弱いと言うのが良く分かったな、うむ」
イスラが納まったサモナイト石を指先でなぞり は呑気にこう言った。
「……そういう問題かぁ? 俺っちは忠告したかっただけだけどさぁ。
まぁ、自分のペースを守らないと痛い目を見るってのは、学習してくれたよな」
ジンガが首からタオルを提げた格好で頭の後ろに自分の腕を回す。
気を抜いた格好で雪道を歩いても滑らないのはジンガが格闘家だからだ。

「うんうん。イスラって頭が良いから今頃そう思ってるんじゃない?」
首に捲いた布を口元に引き上げアカネも弾んだ声でジンガに応じる。

「「……」」
結局イスラは遊ばれ損か。
バノッサにお目付け役を任されたカイナとカザミネがほぼ同じ事を考える。

喰えない笑みで微笑むシオンだけがそれを知っているのだが、溺死体験をして目を回しているイスラには関わりの無い事だろう。



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 結局現段階のイスラでは遊ばれて終わるらしいです(苦笑)ブラウザバックプリーズ