『護衛獣への道(兄妹喧嘩編・後編)』



イスラは一種の感動さえ覚えていた。

見ず知らずの怪しい己にここまで激しい本音をぶつけた人間はいただろうか。
否、いなかった。
身分が、立場が、生い立ちが邪魔をして誰一人イスラというちっぽけな存在へは目を向けてくれなかった。

『カノン』
先ほどとは違った意味合い、ほんの少しの親愛の情を込めて彼の名をイスラは呼ぶ。

「喧嘩に関しては何時もの事だから諦めますけど。でも悔しくもあるんです。僕は家族としてあの二人とちゃんとやっているのかって。
こんな時ハラハラするしか僕には出来ない。結局あの二人だけで解決して……僕は役立たずだ」

悔しさを前面に押し出すカノンの告白。
カノンの激白にガゼルとクラレットが呆れた顔で小さく息を吐く。
過小評価もここまでくれば謙虚を通り越して嫌味だ。

「や、十二分すぎるぞ。カノンは役立ちすぎだっつーの」
「不本意ながらガゼルと同意見よ」
慌ててガゼルがカノンの肩を叩き力いっぱい力説して。
クラレットも大人びた微笑(ほほえみ)を湛えて棘のある台詞を吐き出す。

ついでに自然な動作でサプレスの召喚獣リプシーを呼び、カノンの手のひらの傷を癒しておく。
その間にガゼルが手早く砕けた陶器の欠片を地面の一箇所へ纏めていた。

「無自覚かよ! カノンも……」
ハヤテ直伝裏手ツッコミを披露しながらガゼルが続けて喋る。
ここでイスラに余計な口を挟まれては堪らないとばかりに。

「あのな? カノンが居てくれるからあの二人は喧嘩できるんだぞ。間に入って空気を和らげる人間がいなきゃ、気まずくなるだけだ。
は分ってるだろうからな。カノンが一緒に暮らしてなかったらバノッサとは喧嘩なんてしないぜ」

真顔に戻ってガゼルはカノンに断言してみせた。

「その点ではお兄様も同じです。カノン君が居るから安心して喧嘩できるんです。ああ見えてもお兄様がカノン君やわたし達弟妹に甘いのは知っているでしょう?」
クラレットも大真面目にカノンへ言い切る。
自信たっぷりに満ち溢れた顔で。

「見守る、なんてらしくねぇって分ってんだろ? だったら、行ってこいよ」
親指で窓中の居間を示しガゼルがニヤリと笑う。

「カノン君でなければ駄目ですから、あの二人。わたしは身内ではあるけれど、やっぱりお兄様は女のわたしに対しては見栄を張るみたいだし」
これに関してはクラレットも自覚がある。
カノンでなければ とバノッサの間には入れないのだ。
素直に己の力不足を認めカノンに行動を起すよう催促する。

「だろーな」
窓向こうからバノッサを覗き見したガゼルが大きく頷いた。

「クラレットさん、ガゼルさん……」
カノンは口篭り二人の名前を言うだけ。

想像もしていなかった。
バノッサと が安心して喧嘩を繰り返すのは、彼等の信頼関係の深さが現れているのだと考えていた。

自分なんて……本音を漏らせば僻んでいたのも事実だ。

バノッサと の間に横たわる信頼関係を羨ましくない、こう言ったら嘘になる。

居場所を失う怖さを知っているからこそ保守的になっていたのかもしれない。
バノッサと の邪魔をしない存在。
それに徹して自分を見失っていたかもしれない。

カノンはここまで思考を巡らせ呆然とした。

「日が暮れても仲直りできないと、ペルゴが泣くぞ」

遠まわしに。
不器用ながらカノンなら大丈夫。

含ませてガゼルが、 の仲間なら誰でも知ってる兄妹の仲直り恒例行事の、主役の名前を持ち出した。

バノッサと が喧嘩をした後は兄妹二人だけで告発の剣亭にディナーに行く。
その時通常の二倍比で腕を振るうのが『グルメなペルゴ』である。
彼は味の違いの分かる兄妹の味覚を信頼しており、この食事会を密かに楽しみにしていた。
原因が兄妹喧嘩であったとしても。

「恒例の食事会にかこつけた料理の品評会が出来ないから。ペルゴさん、はりきって準備してましたよ?」
クラレットは自分が目撃した光景を思い返し、口元に手を当て笑いを堪える。

不謹慎だとはクラレットも感じるものの。
必ずバノッサと が『仲直り』する事を前提としたペルゴの行動。
咎められる訳もなく、クラレットは黙ってその場を通り過ぎてきた。

「ありがとうございます」
カノンは顔を輝かせ立ち上がり勢いよくバノッサ邸へ戻っていき。
数分もすれば気まずい居間に凛々しい顔立ちで登場。
仁王立ちしながら とバノッサに渇を入れ始めた。

居間の空気が変わる。


「やれやれ……相変わらず真面目過ぎるのな、カノンのヤツ」
仁王立ちのカノンに無言ながら圧倒されるバノッサ。
身内には弱い孤高のセルボルト家長に哀れみの眼差しを送りガゼルが一息ついた。

「ガゼルも少しは見習った方が良いのでは?」

で怯えてバノッサの背に隠れる。
そんな へ笑顔で迫るカノンは怖いだろう。

こればかりは も悪い。
妹だからと盲目的に甘やかす時期は終わったのだ。

クラレットも怯える妹を見守りながらガゼルに鋭い一言をお見舞いする。

「……おいおい、真面目な俺なんか見て嬉しいか?」
ガゼルは頬を引き攣らせ間をおいてからクラレットに返す。
「ご、ごめんなさい……。嬉しくないかも」
心持ち青ざめたクラレットが弱々しく反応する。
一瞬だけ品行方正・真面目ガゼルを脳内に描いてしまったのだろう。

『ごめん、クラレット』
ガゼルとクラレットは呼吸するよりも自然に会話を交わす。
これがフラットの面々が出したある種の答えなのだ。

イスラは本能的に感じ取りながらまずはクラレットに謝罪する。

クラレットは自分に向かって怒っていたし、エルカとモナティー、ガウムを殺そうとしたのも自分だ。
この件に関してイスラはきちんと反省していた。

「分ってくれれば良いの。自分が何なのか、なんて答えは見つけるだけでも大変だもの。イスラが目を逸らさずじっくり向き合ってくれれば……。それで良いと思うわ」
クラレットは比較的すんなりイスラの謝罪を受け入れた。

居間ではカノンの剣幕に圧された がついに涙目になって。
バノッサも無表情ながら額に薄っすら汗を掻いている。
カノンは二人の反応など意に介さない。
自分が伝えたい言葉を険しい顔つきで二人へ突きつけていた。

なんか見習うなよ? アイツの精神構造は俺達とかなり違うからな。良い意味でかっ飛んだ考えしてるからよ」

ガゼルはトウヤとハヤト、二人の誓約者とは随分近い位置に居た。
即ちトウヤとハヤトなりの葛藤も間近で見てきた。
との考え方の違い、意識のギャップ。
同じ世界(名もなき世界)で生活してきたあの二人だって苦労して結論を出したのだ。
自分なりの との付き合い方を。
一朝一夕で成しえるものではない。
時間と忍耐(時折 が予想もしない暴挙に出る為)が必要だ。

ついつい余計なお節介でイスラへ忠告してしまうガゼルである。

『僕自身が無意識に避けていたのかもしれない。人には見せたくない、知られたくない醜い心を僕自身が直視したくなかったのかもしれない。だから』
「だーかーら、 を見習うな」
どよどよと沈み始めたイスラの額をガゼルが手の甲で叩(はた)く。

は強い子。そして脆い子。神だからこそ精神力はわたし達よりも遥かに強く、視点も違うの。常に自分の弱い心を直視していたら、イスラは倒れちゃうわ」

自分だって倒れてしまう。

若き日のオルドレイク……父の非道に少なからず衝撃を受けているクラレット。
昔の自分なら深い自己嫌悪の闇に沈み浮上できなかっただろう。
家族が居て仲間が居るから。
落ち込みながらも平静を保っていられるのだ。

「無理するなって。まずは自分がどんなヤツだったか、思い出すところから始めりゃいーだろ。いきなり禅問答なんか始めるなよ? カザミネじゃあるまいし」
面倒臭そうにガゼルが喋りイスラの反応を窺う。
神経が太い やハヤトとは違いどうやらこの少年の神経は細いようだと。
見当をつけながら。

『自分探し……か。出来れば良いけど』

イスラにしてみれば自信がない。
どれが自分だったのかなんてもう分らない。

誤魔化して誤魔化して。
偽り続けた自分の本心。
一体どれだけの仮面をかぶり自分は生活してきたのだろうか?
自分で自分の心さえ視れない。

頼り気ない空気を纏ってイスラは力なく呟く。

居間では何故かバノッサと が正座させられカノンに叱られている。

「させるわ。きっと出来るわ。どれだけ時間がかかっても。わたし達がお節介を焼くから」
気弱なイスラに追い討ちか。
クラレットが普段の黒い笑みを取り戻し、にっこり笑う。
流石はオルドレイクの娘。
内心だけでイスラが少し怯えたのは蛇足である。

「逃げても追いかけるからな」
ガゼルも不敵に笑って付け加えた。
『ありがとう』
浮上した気持ちのままイスラはまだぎこちない……。
やや強張った顔でクラレットとガゼルへお礼を言った。

自分は少しでも必要とされているらしい。
それが嬉しい。
レヴィノス家の跡取りの自分ではない。
紅の暴君の担い手でもない。
まして の護衛召喚獣としてでもない。

イスラとしてガゼルとクラレットは自分を見てくれている。

「お礼を言われるほど優しいお節介じゃないわ。覚悟してね、イスラ」

 ふふふふふ。

オルドレイク張りの笑みを口元に張り付かせたクラレットは、優しいけれど怖い存在だ。
結論付けたイスラは曖昧な表情でクラレットの微笑を見詰めるのだった。




Created by DreamEditor                        次へ
 それぞれ落ち着いてくると葛藤が出てくるものです。
 カノンは家族の在り方を考え悩み、クラレットはクラレットなりに父親の呪縛から解放されようと模索し。
 ガゼルは騒がしい面々に嫌味を零しつつも変わりゆく毎日を。
 イスラという存在が波紋を投げかけるのは当然の事。
 改めて自分は何を願っているのかを考えるきっかけを与えています。という部分を書きたかったのだけど……。
 微妙ですねぇ。ブラウザバックプリーズ