『護衛獣への道(幕間1)』
イスラが納まっているサモナイト石の硬質な表面を指でなぞり。
は深々と嘆息した。
「矢張り駄目だったか」
泡を食った姉(カシス)と兄(トウヤ)が迎えに来た時の顔色。
あれだけで全てを悟った はモナティーとエルカ・ガウムを見舞い。
加えてバノッサにしこたま叱られ。
散々な目にあって少々落ち込み気味である。
気晴らしを兼ねスタウトと繁華街外れの路地で語っていた。
粗末な木箱に蝋燭の明かりだけが灯る質素なだべり場だ。
「当たり前よ。早々主義主張ってのは変えられねぇもんだぜ?
よ」
己の剥げ頭を撫でてスタウトが自分のグラスの酒を飲み干す。
「そうかもしれんな」
珍しく の元へやって来たエドスも難しい顔で腕組みをする。
エドスは最初、 が居るだろうバノッサ宅へ足を運んだのだ。
しかし は不在。
カノンに苦笑いされ。仏頂面で台所を陣取るバノッサを目撃して。
益々 を放って置けなくなり彼女を捜していたらスタウトと喋っている を発見し。
ちゃっかり会話に混ざっているエドスである。
「俺みたいな駄目な大人は状況に流される。自分で考えなくて良い分楽だ。流された事によって自分がどうなるか。ある程度の見極めも付く。良くも悪くも物分りが良い」
自己調達の酒瓶からグラスへ新たな酒を注ぎスタウトが言う。
「だがなぁ……。こーゆう若いの……。コイツやラムダの旦那や『まっとう』な奴等にゃ、ちいとキツイ。
自分が信じてきたもの。自分に与えられてきた環境。全てが違う場所に来たからといって過去を過去に出来るほど。図太くはねぇのさ」
スタウトはグラスに入った酒を揺らし哂う。
「イスラがスタウトのようなら良かったのだが。仕方あるまい」
「……それもどうかと思うぞ、
」
気を利かせてペルゴが差し入れてくれたチーズを喉に詰まらせ。
エドスは一頻り咽た後にしゃがれた声で主張した。
「済まぬ、エドス。申してみたかったのだ」
ここで漸く
がエドスにぎこちない笑顔を向ける。
「無理して笑うな。わしには難しいことは分らんが、そうまでして一人で溜め込む事でもないだろう。
バノッサ辺りに『手前ぇの我侭で連れてきたんだから、しっかりしろ』なんて怒られたのは想像つくがな」
バノッサの声の真似ながら。
エドスが
の頭へ手を置きあやすように何度も撫でた。
「はぁーあ……。本当、
とバノッサは相変わらずだな」
エドスの物真似の奇妙さに耐え切れず、今度はスタウトが酒を気管に詰まらせる。
ゼイゼイと荒い呼吸を繰り返したスタウトが何度目かの深呼吸の後。
ニヤニヤしながら口角を持ち上げた。
「まぁ、なんだ。エドスの言う通りだぜ。イスラの事情を察してやる事は出来てもな。俺達はイスラじゃねぇ。イスラの苦しみを理解できる訳ねぇしな。
だからって
が一人でイスラをなんとかしよう、ってのも無理な話なんだ。ちったぁ周りを頼れ」
表面上は穏やかに過ぎていた日々。
けれど物語の幸せの終焉のように。
大人しく事態が収束しないのも分りすぎていた。
スタウトは状況を打開しようとして自ら地雷を踏み、激しく落ち込む
の額を指で弾く。
「 さんの優しさは深すぎますからね。イスラさんも
さんなら何とかしてくれるだろう。このような甘えがあったのではないでしょうか?」
ペルゴは店じまいを終え、追加のデザート皿諸々を片手に卒なく会話に入り込む。
エドスと が古びた椅子をずらし、スタウトがその辺りに転がっているボロ椅子を木箱の前に据えた。
ペルゴは全員に軽く会釈してから椅子に腰掛ける。
「過去を乗り越える決意が必要です。ラムダ様だってそうでしたから」
用にお茶を入れたティーポットを木箱に置き。
ペルゴが自分で切り分けたチーズを一切れ摘み上げる。
「領民を救う。そう願って起した反乱で領民を傷つけてしまったのは事実です。それなのに無色の派閥の乱の功績が認められて……再び騎士への道が開けた。皮肉な話です」
ペルゴは喋りきってからチーズを口へ運んだ。
「まぁな、旦那は悩んでたな。そんな簡単に騎士へ戻って良いのかって……な」
スタウトは木箱に片肘を付き指先でグラスの水滴を拭う。
「そうか。あのラムダが」
四年前の事件が過ぎ間もなくサイジェントの軍事顧問に返り咲いたラムダ。
ラムダが経緯を深く語る人物ではなかったので、ラムダが何を考えていたか分らない。
だがラムダでさえ迷ったと知ったとなれば。
人として過去の過ちを乗り越えるのはとても大変な事なのだろう。
勇気もいるのだろう。
エドスはそこまで考えて俯いた の横顔を盗み見る。
豪胆ながら繊細な心を持つ優しいこの子供(本当は神だが)がこれ以上、悲しまないようにと。
願ってやまないエドスだ。
「イスラは己の過去を後ろめたく感じておる。現在居場所を与えられたが、その状況を心の底から喜べないのだ。恐らく」
は背筋を伸ばして口火を切った。
黙って溜め込んで悩んでも仕方ない。
神だから万能なんてそんなの嘘だ。
現に はイスラを持て余しているではないか。
兄であるバノッサに手痛く指摘され、グゥの根も出なかった。
我も島で生活し開放的になり過ぎたやもしれんな。
所詮我とヒトでは精神構造が違う。
失念しておった……イスラが魂だけの存在に成ろうと。
イスラはヒトなのだ。
恐らくこれからもずっと。
紅の暴君を振るう自虐的なイメージしかなかったけれど。
イスラも一皮むけば只の子供。
無色の派閥によって人生を狂わされた一人の子供なのだ。
トウヤとハヤトを無事に救うことが出来、
は舞い上がっていてその事実を失念していた。
「イスラに対して普通すぎる我等に馴染めない。これさえもイスラにとっては苦痛なのだろう。
自分がどのような気質を持っていたのか。イスラ自身が長い闘病生活の中で忘れてしまったのかもしれん」
は隠しておいても無駄なので考えたことを音に出す。
必死に表面を取り繕うイスラ。
まるであの時のアティやウィルのようで。
本当に不器用だとは思う反面。
自分(イスラ)がどのような性格をしていたのか。
こればかりは自身でみつけるしかないモノなので、 としても手助けできないのが現状。
手の施しようがない。
「ははははは。肝が据わりすぎてるからな、俺達は」
の真面目な台詞にスタウトが腹を抱えて笑い始める。
四年前と三年前。
過去に二回起きた大事件を経験し、神様という非常識な生物まで生活するサイジェントで暮らし。
すっかり肝は据わってしまった。
そんな自分達に戸惑う亡霊というのも、考えようによっては笑えるものがある。
「違いない」
スタウトと共にエドスも大口を開けて豪快に笑う。
に釣られて落ち込むのは簡単だ。
しかしエドスは大人である。
どうすれば が立ち直れるのかちゃんと知っている。
が普段豪語する『家族であり仲間』の一人なのだ。だから笑う。
「汝等の様なささやかな時間を知らぬ、イスラ。もう戦いは終わったのだと告げてやるのは容易いが。イスラが芯から納得できなければ何度でも過ちは起きる」
は杞憂として胸裡に留めておいた不安を明かした。
きっとイスラが一番憎んでいるのはイスラ自身。
何も出来なかった自分に苛立ち、何も見出せない現在の自分に苛立っている。
終わった事だと言うのは簡単だ。
だがそれでは何の解決にもならない。
イスラが納得していないのだから。
全ては終わった過去(むかし)だと。
「ええ。かつてのアキュートが繰り返し起こした、反乱の扇動と同じで」
ペルゴも心持ち暗い顔つきで
の台詞に応じる。
「難しいことは抜きだ、抜き。捜してやれば良いのさ」
気難しい顔をして語り始める
とペルゴの声をエドスは遮った。
「本当のバノッサを見つけ出した
になら出来るだろう? 当然わし等も協力するさ。本当のイスラを捜してやれば良い。イスラ自身が忘れてしまったイスラを」
エドスは言いながらペルゴの持ってきた果物を口へ放り入れた。
「例えそれでイスラが『物分りの良い』子供じゃなかったとしてもだ。乱暴な子供だったとしても、だ。見捨てたりはせんよ、わし等は」
甘い果物にエドスは少し表情を緩めながらも。
に伝えるべきところはきちんと伝える。
「却って面白そうだよなぁ」
剥げ頭を一撫でし、スタウトは片手でグラスを取り上げ酒を飲み干す。
「わたしの作り出す味の違いが分る方なら、性格は別として歓迎しますよ」
ハヤトがグルメという単語を教えて以来。
ペルゴはより一層料理の腕に磨きをかけた。
自分が作る料理で誰かが笑ってくれるのが嬉しいからだ。
味の分る客なら大歓迎だと言外に含ませる。
「ありがとう」
三人がかりで慰められて。
自分が一番年上なのに。
なんてやっぱり落ち込むけれど。
仲間の家族の自分を想う気持ちが伝わってきて心温まる。
はやっと普段の
の笑顔を浮かべて三人へお礼を言えた。
「後はバノッサときちんと仲直りするんだぞ」
が元気を取り戻したのを確かめエドスが満足げに目を細め。
こう付け加えた。
「……」
の瞳が左へ動き、右へ動き、足元へ落ちた。
口先はむぅとしていて尖っている。
明らかに『拗ねた』
にエドスとペルゴは苦笑いを浮かべるが。
「あははははははは」
一生自分は飽きない珍妙な時間を過ごせる。
この神様がサイジェントを愛している限りは。
奇妙な確信を持ってスタウトは再び大爆笑。
こうして自分が楽しい酒を窘める現実に深く深く感謝しながら。
「わ、笑うなっ!! スタウト!!」
両頬を膨らませ剥れる神様にスタウトは笑い止めず。
エドスとペルゴは二人のじゃれ合いを傍観しながら、自分達もスタウトの調達してきた酒に舌鼓を打つのだった。
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