『話題休閑・断罪の剣5後2』



立ち上る湯気と眼前に広がる漆黒の海。
月明かりに照らされて薄っすら光る温泉の水面と周囲に立ち込める草花の香り。

胸いっぱいに吸い込みバノッサと温泉を堪能する と、複雑顔のスカーレル。
イマイチ状況を飲み込めていないヤード。
温泉に浸かりながら舟を漕ぎかけるマルルゥ。
最早いうべきことは何もない、俺は何も見ていない。
を貫き、先程の戦闘で拵えた怪我を温泉で癒すヤッファ。

それから何故か。

どうしてこうなったのか やバノッサ以外には誰にも分かっていない。
敵である、無色の派閥の暗殺者集団を率いるヘイゼルまでもが温泉に浸かっていた。

「ふむ。メイメイからくすねてきた酒もある、どうだ?」
「いらないわ」
が温泉で適度に暖めた日本酒に近い味を持った酒瓶を温水から取り出す。
ヘイゼルは の誘いを一刀両断した。

一人集落の警備を確かめるために外出していたヘイゼル。
無色での任務失敗は即、死を意味する。
自分の命を繋ごうと動くヘイゼルをどこで察知したのか。
森の小道に突如 が姿を見せ圧倒的威圧でヘイゼルを拉致。
挙句、何故か海岸線沿いの不思議な温水に浸けられて現在に至る。

ヘイゼルとしてはこの不可思議すぎる存在への対処を探しあぐねていた。

『安易に毒なんか盛りやしねぇ。小物は小物らしく大人しく受け取っておけ』
ヘイゼルの困惑を更に盛り上げるのがこの男。
蒼い髪の鬼(ヘイゼルにはそう見える)の血の繋がらない兄だという。
妹がこの態度なら兄はその上。
人とは思えない畏怖堂々とした空気を放出する隙のない男である。
の兄、バノッサに一括されてヘイゼルは から陶器の杯を受け取り酒を口に含んだ。

「………」
美味しい、そう思う。
けれどなんだか感想を口にしたら、この兄妹に負けた気がするのでヘイゼルは沈黙を貫き通す。

「くれ」
ヤッファが自棄になって濡れた手を へ伸ばした。

この際どうして がヘイゼルを途中で拾ったかなんて、聞くだけ愚かである。
兄妹揃って答える気などない。
だったら酔いどれ店主の秘蔵の酒を心行くまで味わうだけ。
ヤッファは早々に腹を括った。

「アタシも味見したいわ。折角だからヤードもどう?」
ヤッファを見習ってスカーレルも に近づく。

何時採寸したのか、果てしない疑問であるが。
は何故か全員分(ヘイゼル含む)の『水着』を作っていて、温泉に入る前着用させていた。
スカーレルも珍しく水着姿である。

「お米のお酒ですか……興味深いですね」
ヤードも、現実逃避から我に返り、ヘイゼルを警戒しながらも当たり障りないコメントを返す。


この怪しい夜の温泉ツアー?
の一言から始まった。

イスラが紅の暴君の主となった。
衝撃的事実を受け止めながら、各々の集落へ帰っていく仲間達。
全員を見送ってアティは小さくため息をつく。
気遣わしげにアティを眺める だったが今晩のお題は『無茶をしたスカーレルとヤードの心を解す』である。

「スカーレル、ヤード。骨休めには最適の場所を知っておる。ついて参れ」
水着のセットを布袋に収め、袋を持った がスカーレルとヤードを誘う。
誘うというより脅しに近い。
「あ、あそこだったら俺も」
の荷物からみてイスアドラ温泉(温海)だと察したカイルが、誘われたスカーレルとヤードより先に名乗りをあげた。
「カイルは却下だ。船でアティ達を護ってやれ」
はカイルの願いを棄却する。

幾らアティが留守番するからといって、残りはソノラとベルフラウ。
無色の派閥が上陸中の島で女性だけとは無用心だ。
この場合は船長であるカイルが船に待機するのが妥当である。

「ケチだな、姫さん」
口ほどには落胆せず。カイルは残念そうに返した。

「マルルゥも行きたいです!!! シマシマさんが保護者だから一緒です」
「はぁ!? マルルゥ、俺は帰って寝……」
そこへ帰る場所が同じユクレスだからと、 と行動を共にしていたマルルゥが騒ぎ出す。
ヤッファの耳を掴みさり気にヤッファに逃げられないよう行動を抑制している。

「じゃぁ気をつけて、ヤッファ、マルルゥ」
そこを逃げていくのがウィル。
非常にウィルらしくない爽やかな笑みを顔に貼り付けヤッファとマルルゥに手を振る。

「ウィル!! 俺を見捨てるつもりか!!」
ヤッファは揉め事の気配を本能で感じ取り、恥も外聞もなくウィルに噛み付いた。

アルディラ・キュウマ達との和解後、護人の仕事は増加の一途を辿っている。
半ば意図して閉ざしていた各集落の交流に加え、敵対していた帝国への対処。
敵が帝国から無色の派閥に切り替わってからは、帝国兵の受け入れ準備の補助とジャキーニ達との連携打ち合わせ。
及びユクレス村の巡回と、目まぐるしい毎日を送っているヤッファである。

戦いが終わったなら寄り道しないで家へ戻り寝床へ……。
と願うのも無理はない。

「良い子は寝る時間なんだよね。それじゃぁ、オヤスミナサイ」
対するウィルは涼しい顔。
ヤッファの苦労はきちんと理解していても、きっと がヤッファの同行を望んでいる。
カイルは即座に拒否したのにヤッファに対しては「帰れ」と言わなかったからだ。

「………」
ヤッファの訴えを退けたウィルは心持ち嬉しそうにユクレス村へと帰っていく。
ウィル一人帰る危険性は誰も唱えない。

そしてアティ達は船へ戻り、 に誘われたスカーレルとヤード、付いていくと言ったマルルゥとヤッファが残される。
「ヤッファ、何故我を睨むのだ??」
ジト目で を睨むヤッファに は疑わしい視線を送り返し短く問う。

「まぁ、まぁ。折角の のお誘いを無駄にしちゃいけないしね。行きましょう」
スカーレルは気を利かせ、 の背中を軽く押して移動を促す。
ヤードもヤッファに諦めろと首を横に振れば漸くヤッファも観念する。
「行きましょう〜!!」
場の空気を読んでいないマルルゥが一際楽しそうに宣言したのだった。


こうして 達はイスアドラの温海温泉に浸かっている訳なのだが。
『月が杯に映るのか……アイツ(この場合はハヤト)らしい入れ知恵だな』
周到に用意した、シルターン製の一口サイズのお猪口。
お猪口に注がれた酒の上に映るリィンバウムの月を傾けバノッサが へ話を振る。
「ふふふふ、でも綺麗であろう? 兄上は気に入ってくれると思ったのだ」
自身は特に酒を嗜んだりはしない。
はバノッサの隣でタオルを頭に置き、蕩ける兄専用の笑みを浮かべる。
『悪くないな』
褒めてと擦り寄ってくる の頬を軽く突き、バノッサはお猪口の酒を一気に煽った。
月明かりの温泉は表面上は穏やかに進み、ヘイゼルもお猪口五杯分の酒を口に含みほろ酔い加減。
ほんのり頬を紅く染め温泉に沈んでいたが月の位置を確かめ、湯から上がる。

「帰るわ」
「うむ、湯冷めせぬようきちんと身体を拭くのだぞ? 気をつけてな」
背を向けたヘイゼルへ真新しいタオルを投げつけ、 が余裕のお見送り。
タオルを後ろ手で受け止めたヘイゼルは自分の衣服を片手に夜の闇へ溶けて消えた。

「良かったの? 気になってるんでしょう?」
黙って観察してきたスカーレルがポーカーフェイスを保つバノッサへ耳打ちする。
『様子見だ、今はどうこうするつもりはねぇよ』
バノッサはスカーレルの探りをさらりと交わしニヤリと笑う。
特に答を求めていなかったスカーレルは諦めた風に息をつき、 にお猪口を差し出した。

「スカーレル、ヤード? 疲れは癒えたか? シルターン風の風習であるが『温泉』とは楽しいものだろう」
はスカーレルのお猪口に酒を注ぎながら上気した顔で笑う。
こうしていると が外見年齢に即した雰囲気になるから、温泉効果とは不思議なものである。

「裸の付き合いって訳ね。確かに距離が近づく感じがするわ♪」
スカーレルは の湯煙笑顔にご満悦。
つられてニッコリ笑って常のスカーレルへ早戻り。
変わり身の速さも温泉効果で戻ってきているらしい。

「重かった身体が軽くなりました。温泉の効能というものでしょうか」
右腕を回してヤードが真剣に応じる。
気苦労が耐えない体質であろう、ヤードの肩凝りは多少解消されたようだ。

「はぁ……ったく、俺まで巻き込んで何をするかと思えば」
ヤッファは愚痴交じりにぼやきお猪口の酒を口に含む。
マルルゥは既にダウン。
湯船で溺死する寸前を に救出されている。
その後タオルで身体を拭き温泉近くの暖まった岩場の上で就寝中である。

「僻むな。もう一杯呑むか? ヤッファ」
空になったヤッファのお猪口を見て が声をかけた。
「当然だ」
ヤッファは即答する。
温泉の中で が移動していると、砕けた空気を払ってバノッサがスカーレルとヤードに向き直った。

『届かないと考える月なら何時でも手に入る。こうすればな? だがか弱い手前ぇ等の命は二度と戻ってこない。二度と、だ。
を悲しませる真似をするようなら、悪いが今度は俺も容赦しねぇぜ』
お猪口の上に浮かぶ月を見下ろしバノッサが無表情に二人を脅す。
忠告ではない、明確な考えを持ったバノッサの脅しだ。

「肝に銘じておくわ。誓って を悲しませたりしない」
スカーレルは即座に表情を引き締めバノッサに答える。
「……」
即答したスカーレルとは対照的、ヤードは浮かない顔で温泉に映る月へ目線を下げた。

「ヤード、無色におった汝はもう死んだ。今はスカーレルの幼馴染で、カイル一家の客人のヤードなのだ。そう己を許す事は出来まいか?」
ヤッファに酒を注ぎながら が横槍を入れる。

『どいつもこいつも。後ろめたい気持ちは戦いが終わってから一人で堪能しろ。手前ぇの懺悔なんざ受け付けないぜ、俺も もな』
バノッサは脳裏にネガティブ思考の王道を行く弟を浮かべ、バッサリ斬り捨てた。
どうしてこう無色は生真面目な者ばかりを毒牙にかけるのだろうか?
疑問に感じながら。

「すみません」
顔を上げヤードは暗い影を背負いつつも、何かを吹っ切った様子で謝った。



Created by DreamEditor                       次へ
 特別ゲストヘイゼルを招いての温泉ツアー、夜バージョン。
 さり気にヘイゼルの主人公に対する認識が好きです。鬼、ですよねぇ、主人公(笑)ブラウザバックプリーズ