『はかなき平穏1』
一体コレの何処が修行になるんだ。
リューグ一人、赤い色彩鮮やかなシルターン風店内で途方に暮れる。
「にゃはははは♪ 精神修行よ、せ い し ん 修行!」
酒瓶を抱えた酔っ払い女がリューグの背をドつき、リューグのバランスを乱す。
「俺は格闘家じゃねぇんだぞ!!」
長い棒の両脇に吊り下げられた水瓶。
当然中には水が入っている。
その棒が釣り合う様に肩に担いで、リューグは立ち尽くす。
冗談のような本当の『精神修行』
場所を貸してくれている女占い師、メイメイの妨害を交わしながらリューグは瓶の中の水を守る。
「あらぁ〜、戦闘ではバランスも大切よ〜。バランスも」
声を荒げたリューグを恐れる事無く、メイメイはニヤリと笑って瓶を突く。
「……どうして俺だけ留守番なんだ!」
誰かからの連絡の手紙を貰って出掛けた 達。
リューグも同行しようとしたら、メイメイの店に連れてこられ。
この珍妙は修行を課せられた。
「経験の差でしょう〜? 瓶を守れたら訓練連れてってもらえるわよ、多分」
グビグビ。酒瓶の酒を煽ってメイメイは慰めにもなってない、フォローを入れる。
「若人、無理せず焦らず頑張りなさいな♪にゃはっ、にゃはははは〜」
リューグの眉間に出来た皺を突きメイメイは言葉を締め括った。
「……精神修行にはなるかもな」
つかみ所の無い女占い師・メイメイ。
リューグの周囲の大人の女性は、ミモザといい。
一癖も二癖もある食わせ者ばかりだ。
村を襲った悪夢から一変した己の生活。
省みてリューグはひとりごちる。
「ん〜? 何か言った?」
片眉を持ち上げてメイメイがリューグに尋ねる。
「いや」
リューグはきっぱりと否定。
ギブソン・ミモザ邸を離れて早一週間。
リューグはこんな感じで未知の世界と遭遇しっぱなしであった。
場所は変わって、フロト湿原。紫色の渋い装束を身に纏った柔和な男性を加えた 達。
ノンビリ湿原を見物している。
「ミモザも考えたのだな、あれで」
地球では見かけない珍しい植物。
目を遣りながら
は背後に控える男へ声をかけた。
「後輩ですから、矢張り心配なのでしょう」
穏やかな空気を纏いながら、動作に隙が無い。
同じくまったり会話を楽しんでいるようで、周囲もきっちり観察していて。
抜かりもない。
「でも驚きました。シオンさんの姿が見えないと思っていたら、ゼラムに来ていたなんて。けれどどうしてお蕎麦屋さんなんですか? 薬屋じゃなくて」
男をシオンと呼んでカノンは疑問をぶつけた。
サイジェントの薬屋の店主・シオン。
シルターンから召喚された忍で、隠密行動を得意とする暗殺者でもある。
だが現在のシオンの肩書きはお蕎麦屋の大将だ。
「キュキュー!!」
カノンの質問に同意。
ガウムは
の頭の上で身体を伸ばす。
「怪しまれないからです。薬は高価なので、マグナさん達が利用してくれるとは限りません。その点値段を抑えた蕎麦ならそれなりに接点を持てるかと」
ニコリ。
本心を窺わせない笑顔を浮かべてシオンが答える。
ミモザとギブソンの頼みを受け、シオンは影ながらトリス達をフォローする役割を引き受けていた。
「……そうだな。食べ物の匂いでマグナとトリスを釣り、挙句悩み事まで聞き出したのだ。流石は忍と褒めるべきか?
まぁ、本格的に困らない限りは我等は今回は裏方であろう。互いに怪しまれぬよう気をつけなければな」
湿原の奥深く。
緑のクッションの感触を楽しみながら、
が飛び跳ねる。
「そうですね」
カノンも新緑の空気を胸いっぱいに吸い込み、深呼吸してから答えた。
目に鮮やかな緑と身体に優しい空気。
穏やかな時を刻む長閑な癒しスポット。
密談には持って来い、なんて陳腐な理由ではなく。
達が密かに見守っているマグナ達がピクニックにやって来るとの情報をシオンから受け取り。
控えめ行動が出来なそうなリューグを留守番。
達は一足先にフロト湿原へ到着していた。
次第である。
「一つだけお伺いしたい事があります。よろしいですか?」
トリス達の気配はまだ感じない。
時間があるうちにシオンは己の疑問を解決する事にした。
へ問いかければ目線で申せと返される。
「何故ミモザさん達の後輩を見守ろうと? ミモザさんとギブソンさんに任せておけば大丈夫だとも思えますが」
あからさまな言葉は使わない。
シオンの最初の質問に
は微苦笑を湛えた。
「確かに。サイジェントとは訳が違う。トウヤ兄上とハヤト兄上は我が護るべき対象であったからな。それ故に我は積極的に関わっておった。
だが今回は異界の者が対象で、我が彼等を守護しなければならぬ理由はない」
の気配に誘われて小鳥や兎が次々に集まってくる。
カノンがやって来た一匹の兎を撫でて感嘆の声を上げた。
「だが、知ってしまった者を見捨てられるほど、我の精神は大人になってはいないらしい。あの者達の心は疲弊し乱れておる。
これ迄の境遇を考えれば当然なのかも知れぬが、孤児だったマグナとトリスが持つ魔力の高さが気になる。
ネスティの何かを抱えた態度も気になる。
アメルの……ヒトとは毛色の違う音も気になる。
黒い集団の本来の目的も気になる。……気になる尽くしを残し、尾尻を捲いてサイジェントへは戻れまい?」
唇の端を持ち上げ
が挑発的に笑ってみせる。
我の立場を考慮すれば、大人しくサイジェントへ帰り。
平和な日常を満喫するのが妥当だと思われても仕方あるまい。
異界(リィンバウム)の神でない我が、マグナ達を助ける理由が無いからな。
だが見くびってもらっては困る。
そこまで我は狭義ではない。
「災難に巻き込んでくれと、謂わんばかりの彼等を。偶然とはいえ召喚された我が見捨てるとでも? 生憎、お節介と余計なお世話はセルボルト家の気質のようでな」
一年前の事件の大本。
は、さて置いても。
バノッサを筆頭として案外お節介焼きが揃うセルボルト家。
口では悪態つきつつ、結局は方々を助けて回る辺りが器用貧乏である。
周囲から愚かだと言われようが、
はセルボルトの兄姉をとても誇らしく思っていた。
「我は異界で多くの家族を、友を、仲間を得た。恩を忘れるほど愚鈍ではない」
は地球の神だから、本来マグナ達を助ける義理は無い。
含ませて質問してきたシオンに対する明確な嫌味。
己の色眼鏡で相手を助けたり・見捨てたり。
そこまで神は傲慢でもないし、偉大でもない。
見守るくらいしか出来ないが最悪の選択をしないよう助ける事は出来るのだ、バノッサのように。
毒ある台詞を放ち
は返答を終える。
「愚問でした、申し訳ありません」
シオンは素直に へ頭を下げた。
の正体を知り、弟子を通じて親しくなって早一年。
未だ己はこの存在の本質に近づけていなかったようだ。
未熟さを恥じる反面、意外な展開からより親密に話し合える立場へ立てた己の幸運を噛み締める。
「そんな事は無い。我の行動の意図を分らぬまま我を美化されても、その反対をされても困る。我は我だ。以上も以下も無い。
互いの考えを理解するには、ある程度の言葉の遣り取りは必要であろう?」
シオンの質問には腹が立つが、シオンの行動は然るべき物だ。
は気分を害した風もなくシオンへ言った。
「………そうですね」
瞠目してからシオンは相槌を返す。
喋り口は尊大で、 が神だという印象を強く受けるが。
こうして言葉を交わすと違った意味で
を神だと痛感させられる。
いえ、正確には女神(おんながみ)と表現するべきでしょうか。
の背後でじゃれつく兎。
周囲で囀り合う小鳥達の満ち足りた様。
たった一人を中心として振りまかれる優しい空気。
改めて周囲を一巡しシオンは考えた。
己に厳しく、己に正直で、尚且つ周囲の意見も受け入れ柔軟。
神であるのに人間じみた行動を取る幼さと、直向に相手を案じる寛容性。
矛盾点を抱えた
さんを、妹扱いにしたセルボルト家の皆さんの心境、漸く分りました。
が妹だと聞いた当初はセルボルト家の決定に呆れていたが。
やっと納得したシオンである。
同時に非常に良い機会だとも思った。
弟子の修行を見るのに明け暮れていたが、鈍ってしまった己の力量を取り戻す良い機会だ、と。
思考に耽っていたシオンは貫く視線を受けて目線を下げる。
目線の先には感情を殺したカノンの鋭い眼光が向けられていた。
参りましたね……。こうも警戒されてしまうとは。
足音を消し、気配を殺してカノンに近づく。
に惹かれて集まった動物たちを刺激しないよう移動し、シオンはカノンの傍らに立った。
「誤解されないで下さい。わたしは忍です。仕えるに十分な要素を持つ方を自然と捜してしまうのが癖ですから。カノンさんが不安に思う行動は起こさないつもりです」
困った気持ちをきちんと表に出し、本音も偽らずに口に出す。
シオンの告白にカノンは一瞬だけ剣呑な感情を瞳にともしたが。
直ぐに何時もの柔和な笑顔を顔へ浮かべる。
「そう仰っていただけるなら信用しますが。
さんの信頼を裏切ったらどうなるか、お分かりですよね?」
クラレット直伝黒い笑み炸裂。
カノンの笑顔に怯えて動物達はたちまち消えていなくなる。
シオンは内心の動揺を押し隠し黙って頷くのだった。
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