『彼女の横顔2』



と麻希は上杉が戻ってくるまで休憩しようと決めた。

爆発騒ぎやら自転車移動だとか。
か弱い(上杉談)女性には少々キツイ仕事をこなした後である。
休息は必要だ。

ロビー横に設置されている長椅子に遠慮なく腰掛け、近くの自動販売機から買ってきた紅茶で一息つく。

ほぼ同時に紅茶を一口飲み込み、二人して大きく息を吐き出す。

「うーん、凄く働いた気分」
椅子に座り、浮いた両足をブラブラ動かし行儀が悪い。
はそんな自分を自覚しつつも、疲れたこの時まで麻希が怒ってこないのも知っていたので。
ややだらけた態度で駆け抜けた数時間を顧みる。

「確かにね」
明日は筋肉痛か。
全力で漕いだ自転車の余波が己の脹脛(ふくらはぎ)を襲う。
両手で軽く太股を擦りながら麻希は少し苦い顔で に応じた。

「あれ……?」
の視線の遥か先。
数人のTV局スタッフらしき面々に囲まれ、和やかに談笑する目立つ女性がエレベータの手前を陣取っている。
長い黒髪で顔の半分を隠す特徴的な髪形と、若さを感じさせる凛としたオーラ。
それでいて何処となく底が知れない怪しげな空気を持った彼女は、 の知る誰かに似ていた。

「ああ、女優の黒須 純子だったっけ。わたしも言うほど詳しくないけど」
麻希は椅子から上半身を捻って背後を振り返り答える。

 黒須 純子。黒須?

心の中で女優の名前を繰り返す に流れ込む映像。
目の前が真っ白になって、やがてセピアに染まった風景が の眼前に広がった。



幼い顔立ちの淳が寂しそうに誰か女性の背中を見詰めている。
背後を振り返りもせずに去っていく女性の艶やかな長い黒髪。

 黒っち?

夕暮れ時の何処かの部屋。
居間らしい、その部屋で寂しくカップラーメンを食べる中学生くらいの淳。
ブラウン官の向こうから微笑みかけるのは、女優の黒須 純子。
ぼんやり画面を見詰める淳の唇が動く。

 お か あ さ ん

茜色に染まったフローリングの床。
伸びるのはテーブルと椅子と淳の影だけ。
寂しさが沢山詰まった風景に零れ落ちる淳の呟き。

 お母さん。

明確に淳の囁きを聞き取った瞬間、 の頭は沸騰した。
黒須淳(息子)=黒須純子(母親)の構図が頭の中で完成する。

 どうして!? どうしてなの?
 どうして黒っちばっかが。

は闇夜の海岸で寂しそうに笑った淳の横顔を思い返す。
目と鼻の先、談笑している女優とそっくりの笑みを口元に浮かべる彼の横顔を。
形の良い唇で笑みを形作り、紙を指で示し隣のスタッフに喋りかける黒須純子の横顔を半眼の状態で睨みつけながら。



《落ち着くんだ。何も彼だけがとびきり不幸という訳でもないだろう》
沸騰しかける頭に冷水が飛び込んでくる。
この状態で に棘のある言葉を振りまけるのは、 のダークサイドを預かるペルソナであるルーだけだ。

 そうだけど。

はルーの客観的な意見に言い淀む。

世の中捜せばキリがない。
不幸自慢なんざ、そこら中に転がっているのを は知っている。

特集番組などで見かける不幸を体験した人達は淳より遥かに不幸な境遇を体験していた。
親と暮らせなかった……或いは、親と折り合いが悪かった程度など可愛いものだろう。

《安い同情は却って相手の心を酷く抉るモノさ》

 ……。

ルーの決定打に は返すべき言葉を持っていなかった。

安い同情だ。
自分は両親と祖母と暮らしていて不自由はない。
自分の夜更かしで両親と小競り合いになる事はあったけれど。
深刻な悩みは抱えていない。
穏やかな日常を送っていた自分が淳を『カワイソウ』だと安直に決め付けてしまうのは、安い同情なのだろう。
自分は淳の境遇を認識しているだけで彼になった訳じゃない。
彼自身の辛さは最終的に彼自身にしか分らないのだから。

《他者より不幸な生い立ちを持っているからこそ、アイツに魅入られる。利用される。駒にされる。分っているだろう?
ルーに完膚なきまで遣り込められ、 はため息を持って彼の意見が正しいと認めた。
だがそれとこれとは別なのだ。

「サキ?」
ため息をつき、椅子から立ち上がった を麻希が見上げる。
「騒ぎばっかり起してごめんね? 麻希ちゃん」
迷惑を掛け続ける麻希へ謝り、それから は自分の頬を軽く叩いて気合を入れた。

 逃げ出したい。
 本当に彼女が黒っちの母親なら。
 こんなトコでノンビリなんかしてない。
 消えた黒っちを捜す……捜してるハズ。
 でも。

心臓が口から飛び出しそうだ。
激しく波打つ心臓の上に手を当てながら は一歩、一歩、打ち合わせをしている女優・純子へ近づく。

 分らないよ……黒っち。
 このヒトから仮面党の気配がするの。どうして?
 JOKERと繋がりある黒っちの傍に、このヒトは居るの?
 このヒトは何も知らないのに。

鉛のように重い足を叱咤して は純子の目の前に立った。

「あら、何かしら?」
サインでも強請りに来たのだろうか。
純子の顔にはそんな考えと、女優としての何かが綺麗に張り付いていた。
はその横面を張り倒してやりたいのを必死に我慢する。

「黒須 淳という名前の男の子を捜しているんです」
乾いた口が水分と精神の安定を求め、舌の動きを鈍らせる。
はつっかえそうになりつつも、言いたい部分だけはしっかり発音して彼女へ告げた。
彼の名前を知っているのと、自分が彼を捜しているという事実だけは。

「あら、そうなの」
純子は顔色一つ変えず爪先のゴミを吐息で落した。

が語った内容に動揺した素振りは欠片もない。
単なる条件反射のような相槌が に返される。

「心当たり、ありますよね」
怒りに震える声で は怯まずに問いかける。もう一度。
「さあ、知らないわ」
純子は優美に微笑み表に貼り付けた『仮面』を外そうともしない。
は双眸を細め怒りに震える気持ちを堪える事が出来なかった。

「どうして!? どうして『分ろうと』しないのっ!!」
声を張り上げた を純子は眉を顰め見遣り、純子の近くに待機していたマネージャーが慌ててその場から去っていく。

「アンタがそうやって自分の事ばっかり考えるから!! だから黒っちは消え」
叫ぶ の口を麻希が掌で押さえられ。
の意志とは裏腹に、純子へ襲いかかろうとしていたその腕は、背後から飛んできた上杉によって拘束される。

「用がないなら良いかしら? 打ち合わせの途中なのよ」
チェシャ猫を連想させる孤を描く純子の瞳。
そこに浮かぶのは侮蔑と嫌悪。
純子の静かながら怒りを孕んだ問いかけに麻希と上杉は黙って首を縦に振った。



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