『森の奥の鼓動1』




森のを進んでいくと、鼻先を掠めるのは甘い匂い。

「……お菓子の家?」
目の前に鎮座する甘い匂いを放つ物体。
基、建物。見上げて が疑問系で言った。

《あらあら、可愛いらしいわね》
建物の壁の匂いを嗅いでからソルレオンが感想を述べる。
麒麟は甘い匂いが苦手で、数歩後退した状態で待機。
建物の扉をノックしようとしたら、扉が中から勢い良く開いた。

「お姉さん!!」
に抱きつく白い服の女の子。

「マイちゃん! よかった……無事だったの?」
森には悪魔が徘徊していて、危険といえば危険。
マイの置かれた状況に今更ながらに気がついて は尋ねた。
マイは を見上げはにかんで笑う。

「はいです。クマちゃんが守ってくれるんです」
マイの背後には巨大クマヌイグルミ。
番人のように家を守っている。

姿形は愛くるしいクマなのに力はありそうだ。
は表情を強張らせつつも笑顔を形作る。

「えっと、森の奥に異物があるらしいの。何処までできるか分からないけど、わたしが行かなきゃ行けないのよね。森の奥にはどうやったら行けるの?」
マイの頭をそっと撫でて は続けて質問する。
の台詞にマイはうなずき、巨大クマヌイグルミへ顔を向けた。

見る間にクマのヌイグルミは小さくなり、初対面の時にマイが抱えていたヌイグルミサイズに戻る。

「こっちです」
の手を握って歩き出すマイ。
お菓子の家内部に入りながら、 はもう一つ。
マイに確かめなければ成らない問題があると考えた。

お菓子の家内部も矢張りお菓子製。
麒麟は早々に の裡へ退散。
大人しくしている。

ソルレオンは元来子供好きなので、マイがじゃれてくるのを嫌な顔もせず。
逆に楽しそうに相手をし始める。
チョコレートの匂いが立ち込める室内の床。
立っているのも疲れるので、 は遠慮せずに床に座った。

「ねえ、マイちゃん。ここはアキちゃんが神様みたいって。町の人から話を聞いたの。アキちゃんが悪魔を呼び出すところも見たの。……どうしてか、分かる?」
ソルレオンの上に乗ってはしゃぐマイを見上げ。
視線を逸らさずに はマイの瞳を見た。

笑顔だったマイが翳った表情に早変わり。
胸のコンパクトを握り締め黙り込む。

「あ、別に、マイちゃんを責めてるんじゃないの。わたしの知ってる人が、向こうからこの世界に来ていて。同じペルソナ使いだから心配なだけ」
麻生や稲葉。城戸にアヤセ。
ちょっとしか係わり合いになっていないけれど、でも同じ力を使う人達。

何より深く神取と係わっているであろう、セベクスキャンダルの影の当事者達。
は正直に自分の気持ちをマイへ告げた。

「お姉さん、お姉さんはなんで生きてるんですか? 生きてるって苦しくないですか?」
マイは、 の疑問に答えず。
自分自身の疑問を逆に へ突きつけた。

奥の深いマイの問いに は目を見張り。
深呼吸して焦る気持ちを落ち着かせる。

 わたし、とんでもない勘違いをしてるのかもしれない。

の胸に芽生える微かな確信。

 見たままを、訊いたままを。
 それが真実だって、不思議に思わないで勝手に決めてた。

 マイちゃんも。アキちゃんも。

 わたしに助けを求めてきた女の子だって。
 決め付けてた。違うかもしれない。

現に今のマイから感じるのは疲れた気持ち。
全てに疲れて休みたい、そんな気持ち。
寂しい気持ちに混じる疲労感。

「……わたしが生きてる、理由。マイちゃんに語るほどオーゲサな理由じゃない」
思い浮かぶのはポルターガイストに襲われて死に掛けた場面。

 あの時までは。
 自分なんか死んだって世界は変わらないし、誰も悲しまない。
 友達だって親友って呼べる存在が居たわけじゃないし。

 なんて、偉そうに思ってた。
 いつ死んでも変わらないんだって思ってた。

 違う。

 死ね、と言われて。はいそうですかって。
 首を縦に振る勇気、わたしには、無い。


「死にたくないからだよ」
自嘲気味に笑って はマイへ答えた。

「わたし一人が死んでも世界は変わらない。時間は流れ、いつもと同じ朝日が昇って、会社は始まって。学校だって始まる。
クラスで担任が説明して、クラスメイトがお義理で泣いてくれる位で。簡単に想像がつくよね」

自分にも言い聞かせて は喋り始める。

「わたし一人じゃ世界は変えらない。けれど、わたしは変われる。成長できる。死んじゃったらそこでお終い。あの世がどうなってるかなんて知らないけれど。
 わたしはまだ見ていない世界を見てみたい。だって将来どうなるかなんて誰にも分からないじゃない。苦しい事もあるけど、やっぱ楽しい事だってあるんだから。楽しいを体験しないで諦めるのはまだ早いよ」

 考えた事を遠慮なく言うの。
 ずっとしちゃいけないって思ってた。
 本音を出すのも必要な時ってきっとあるんだ。

 今、マイちゃんに伝えないと。

 わたしが後悔する。

 海外旅行だってしたことない。初恋はしたけど、本格的恋愛もしてない。
 結婚だってしてみたい。
 女子高校生になって夜遊んでみたい。
 大学に行ってサークル入ってバカ騒ぎしてみたい。
 お酒もちょっぴり興味あるし。
 OLになって働いてみたり? まだまだ色々未体験。

 何も知らずに死ねるのも幸せかもしれない。
 けど中途半端に知っちゃったわたしには不向き。

 だって知ってしまったから。
 自分がペルソナ使いだって。
 グライアスの卵だって。
 麻生さん達がセベクスキャンダルに係わってたって。

が言えば、マイは戸惑いの感情を顕に首を傾げる。

「お姉さんは自分の為に生きてるんですか?」
「そう受け止められても仕方ないけど。わたしがしっかりしてなきゃ、多分、楽しい事って味わえない。ほら、幸せは歩いてこないって歌もあるじゃん。古い歌だけど」
マイのツッコミに は微苦笑した。

 お祖母ちゃんが好きでカラオケで歌ってるんだよね。
 わたしに銃を届け、お小言を少しだけ言って。
 あっさり見送ってくれたお祖母ちゃん。
 認めてくれてるんだと信じたい。

「……」
大きな瞳を揺らしてマイは黙り込む。
もマイが考えを纏めるまで何も言わずに待つ。
「マイちゃんは、マイちゃんはアキちゃんを止められなかったです」
口調は幼いのにマイは酷く大人びた調子で に語り始めた。




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