月に影四つ・透明な影二つ


不意にナルトを襲う衝撃一つ。
(ナル、やっと見つけた)
右頬を屋根に強く押し付けられた格好で横向きの顔をズラせずに。
ナルトは身じろぎする事すら儘ならず、唇だけで語りかけてくる保護者に目を見開いた。
(紅先生!?)
咄嗟に同じ唇だけで応じてナルトは自分の上に跨る保護者に冷や汗を流す。

流石にそこまで深く眠っていなかったと思うし、油断もしていなかった筈なのに。
どうして紅は容易く己を捕獲したのだろうか?
ナルトの疑問は果てしなく広がる。

(お姉様と呼びなさい)
習慣で零した名称に紅は満面の笑みを湛え訂正の単語を返してくる。

(お姉様どうしたの!? 任務だっただろ!!)
なんとなく勢いで紅の台詞を復唱してナルトは紅に突っ込んだ。

紅も猫の手を借りたい綱手姫の方針によってAランク任務を片っ端から片付けていた……筈なのに。
里に居る事自体がナルトにとっては驚きである。

(わたしの胸騒ぎって良く当たるんだよ。女の第六感って奴だね。ナルが何かやらかしたんだろう?
矢鱈と凹んでたからねぇ、自来也様。自来也様が綱手様の一言で難しい顔をするタイプじゃないからだよ)
腹這いに寝転がっているナルトの首根っこを押さえたまま、紅は誇らしげに応じる。
とか何とか言っているが。

里に帰還したナルトからの話も聞くには聞いたが、顛末を聞くべき人物は他にも居た。
ナルトの心情はナルトが話したい時に聞けば良いとして、綱手を連れ帰った手腕がどうだったのか?
保護者としてはその『評価』が気になるところである。

そこで紅は差し入れのカレーを持って自来也・綱手・シズネの元を訪れていた。
自来也は真っ青な顔をしてカレーの入ったタッパを盗見しつつ一部始終のあらましを語ってくれた。
無論綱手もシズネも。
快く紅の願いに応じてくれたのだけれど。
タッパを開けた瞬間に顔色が悪くなったのは何故だろう?
なんて首を傾げている紅だったりする。

(ナルがコソコソ動いてるなら保護者として……違うね。家族としてナルがどうするのか。確認しておこうと思って)
顔を近づけて紅の乗った唇を持ち上げる紅は綺麗だけど怖い。
不思議と成仏したアレが放っていた空気と紅の雰囲気が重なるから不思議だ。

 恐るべし!!
 女の第六感!!

自分も女なのに思わず身震いして恐怖してしまったナルトである。

(コソコソなんて動いてないよ)
昇り始めた丸い月が思考の海に沈むサスケの顔を照らし出す。
それを遠目にナルトは口先を尖らせた。
自来也とだって個人として喋ったし、サクラとだって『デート』した。
疚しい部分など一つもない。

(そうみたいだね。悪かったよ、変な言い方して)
ここで紅はナルトを開放して自分は屋根の影の濃い方へ立った。
木の枝に座り込み暗い顔をするサスケと紅が察知した四つの気配。
奇妙な緊張感に満たされたこの場に居るナル。
全てが出来すぎているというか。
妹がお膳立てしたというか。
紅としてはツッコミ所万歳過ぎて、何からどう切り込めば良いのか。
少し量りかねていたのだ。

(何かを待ってどうするつもりなの? ナル)
(遠巻きの脅しは小賢しいよ)
一先ず探りを入れてきた紅の言葉をナルトは皮肉で切り返す。
数時間前に漸く彼等四人を秘密裏に捕まえて、大蛇丸やカブトに施したように記憶を封じたのだ。
今後起こりうる事態を想定して何もかもを在るがままに運ぶ為に。

(だって心配じゃない。まだシノとか奈良なら良いけど……よりによってあの子だなんて。ああああ、本当にナルは)
将来の相手としてアレだけは勘弁してもらいたい。
紅は男として? というか、一応はサスケをサスケとして認識し出したナルトに危機感を抱いている。
これ迄他者とは一線を画していたナルトが誰彼構わず笑顔を向ければ……。
保護者としては考えたくもない不快な光景、が展開されるのは特筆するまでもない。

(? 話が見えないんだけど……)
悶え始めた紅が何を言いたいのか分らない。
困惑したナルトが応じたその時。

丸い月に四つの影が浮かび上がりサスケを取り囲むよう落下してきた。
咄嗟に身構えたのは紅とサスケ。
ナルトは首筋を擦りながら愉快そうな顔つきで四人をまじまじと見詰める。

「何者だ……お前ら!?」
無防備なサスケの問いに対して一気に険しい顔になる紅。
対照的な二人の顔を眺めながらナルトは彼等が名乗るのを待つ。

この場で戦うにしても戦わないにしても。
音の里の情報が少ない段階で彼等が馬鹿正直に『名乗り』をあげてくれるのは有り難い。

 第二幕・悪役への勧誘が始まる。
 音へ流れるか、木の葉に留まるか。
 好きな方を選ぶんだぞ、サスケ。

ナルトは警戒心ゼロでサスケを取り囲んだ四人を見下ろす。
紅も薄々ナルトの行動に目星がついたようで構えを解いた。

「音の四人衆・東門の鬼童丸」
蜘蛛腕の男が鬼童丸と名乗る。
「同じく。南門の次郎坊」
次に巨漢の男が次郎坊と。
「同じく。西門の左近」
三番目に首を二つ持つ男が左近と。
「同じく。北門の多由也」
最後に口が汚いので次郎坊に窘められていた唯一の紅一点・多由也が名乗る。

名乗った途端に多由也がサスケに拳を打ち込みかわされ、左近へは蹴りを入れ。
多由也・左近の順に木の幹へ飛ばされる。
次に鬼童丸の背を台にしていたサスケに腕を振り上げた次郎坊の動きを警戒しつつ。
鬼童丸の腰に据えられた縄に腕を通して次郎坊諸共投げ飛ばす。
一連の動きは流石は下忍ルーキー。
卒のない動作に紅は目を細めた。

(ナル。サスケの成長物語を見に来るナルじゃないのは。わたしが一番分ってるつもりよ。
四人を泳がせてどうするつもりなの? このままじゃあの子は)
下忍としては通用するレベルでも相手の方が上。
サスケ一人では手に負えない相手がいるのにナルトは微動だにしない。
サスケを助けるつもりは無さそうで思わず紅はこう問いかけた。

(殺されはしないよ。呪印をつけてまで欲した『写輪眼』を手放す大蛇丸じゃないからね。揺れるサスケに最後の一押しをしに寄越したんだよ。あの四人を)
この混乱を逃しては木の葉へ侵入する事は難しくなる。
それに体を蝕む三代目の置き土産の具合も相当酷いのだろう。
総合してナルトがあっさり彼等の目的を紅へ教える。

(……ナルは)
見捨てるのだろうか?
最後まで言いきれずに紅はナルトの名前だけを呼ぶ。

(名家の子に選択の自由がないのは何故だろう? 里の絆さえあれば乗り越えられると大人が楽観するのは何故だろう?)
少し遠い場所へ目をやってナルトは徐に言った。
(!?)
 紅はナルトの表現に息を呑む。
里の非常時に一つになった里。
三代目が願った通りに友愛と博愛に満ちる里の雰囲気は悪くない。

けれどナルトが言ったように名家の忍達は里の為に死に、里の繁栄の為に存在する。
里へ誓った互いの忠誠心だけを頼りにして。
その忠誠心は絆にも置き換えられる。

(木の葉の為にある事が当然だと。里で飼い殺されていかなければならないなんて。誰もがソレを当然だと考えているのは何故だろう?
俺とサスケとサクラちゃんがどうして、エロ仙人達の尻拭いをさせられなきゃいけないんだろう)
ナルトが淡々と続ける中、四人衆を投げ飛ばして得意げなサスケの顔が歪む。
手応えはあったのにサスケの攻撃は一つも彼等には届いておらず。
人衆は変わり身の術を使ってサスケの背後に回りこんでいた。

(三忍が曖昧に互いの道を歩み、里を捨て、勝手に自分の道だけに生きた。結果がこれだ。
何故うちはの末裔と俺と無関係の女の子が巻き込まれなきゃいけない? どうして上忍を筆頭とする大人達は俺達が仲間だから大丈夫だと決め付ける!)
背後の気配に気付いたサスケが振り返り、殺気混じりの視線を四人へ送る。

「俺は今機嫌が悪いんだ。これ以上やるなら手加減はしねーぜ」
(サスケは選択の余地もなく里に縛り付けられなければならないのか? 答えは否だ。大人達の不始末で歪んだ土台を無理に支える義理なんて、サスケにはない)
唸るように告げたサスケの声とナルトの唇が紡ぎ出す断罪の言葉が。
紅の耳と目に焼きつく。

大人の傲慢で子供を、将来有望な下忍を疎かにしている意識はある。
実力と能力ばかりに目を向けてその子供が抱える背景を無視してきた。
だからヒナタは劣等感に苦しんでいたし、キバは力に対する楽観視が抜けないし。
シノは。
シノは相変わらず己の器を小さいと決め付け飛躍の糸口を探し続けている。
里の最大の犠牲者、ナルトに至っては自己否定を起していた位だ。

冷静に子供達の状況へ思考を走らせると背筋が凍る。
比較的平和な時代の忍とはいえ……これではナルトに『コドモは三忍及び周囲の大人の不始末の尻拭い役』と断罪されても笑えない。

(ドベの俺を。うずまきとしての俺を。認めライバルとして認識していた仲間に対する最大限の俺の感謝だ。
仲間を取るか復讐の力を取るかサスケに選択の自由を)
「てめェー、弱えーくせにピーコラ言ってんじゃねーぞ」
ナルトの考えの一端が明かされて、数秒の間の後。
向こうでは左近がサスケに毒のある言葉を吐き出し不敵に笑う。

「ホラ、来いよ。アバラ、ボッキボキでドレミファソラシド奏でてやっから!」
(それであの子が音に行こうが、死のうが……それも自由だという事ね。あの子が選んだのならそれを許容すると)
続けて左近が人差し指を自分へ向け動かしサスケを挑発する。
光景を見守り紅は自来也よりも早くナルトの意見を悟った。

ナルトを構成するにあたって必要だった仲間に。
里の枠に囚われない自由を。
自来也が釘を刺そうとして失敗したのは、彼が大蛇丸の暴走を止められなかった負い目があるからだろう。
暴走を止めようとはせず暴走したいならさせる。
ナルトらしい発想に紅は場違いに苦笑いを浮かべた。

(最悪の敵に成ったのなら俺が責任を持って殺す)
左近の挑発にサスケが木から四人衆が待ち構える屋根へ飛ぶ。
(……まったく)
数メートル先で繰り広げられるサスケと音の接触。
今後の木の葉の運命を分るといっても過言ではない。
見遣り紅はナルトの決意にどうしたものかと考える。

「俺がやる」
他の三人を制して左近もサスケを迎え撃つべく姿勢を低く保ち身構えた。

(わたし達の思惑なんて一つも考えない、考えるつもりもない。潔すぎるよ、ナル)
サスケを手放すリスクを正確に理解できているのはナルトだけだ。
常に近くでサスケを見てきたナルトだけ。
そのナルトが敢えてサスケを開放しろと云う。
里から、友愛で縛り付ける里の遣り方から。
もしサスケが厄介な敵に成り果てたとしたら責任を取って自らの手で殺すとも云う。

(今ならまだサスケを音から助ける事は可能だよ、どうする?)
左近の蹴りを手で受け止め指に絡ませた鋼糸を手繰るサスケの動きは良い。
下忍にしては、だが。

あの過信と自尊心が邪魔をして成長できないと気付けないサスケと。
それを指摘しない里は在る意味お目出度いのかも知れない。
ナルトは紅に尋ねながら戦いには興味を示さず傍観者に徹する。

紅は形を整えてある眉を盛大に顰めた。

左近の足を鋼糸で屋根板に縫いつけてニヤリ笑いを浮かべるサスケ。
次の瞬間には左近へ足蹴りを入れ左近の腕に防御されるサスケを眺めた。
足をつかまれたサスケは拳を繰り出し、それも防がれると残りの手を主柱代わりに残りの足を使って踵落としを左近へ繰り出す。

 駄目だね、あれだけで勝ちを確信するなんて。

踵落としをサスケの手首と足首を掴み交差した腕で防ぐ左近。
左近に焦りの色がないのを見取って紅は首を緩慢に左右に振った。

奥の手があるからこそ余裕なのだ。
おそらくヒントは彼の頭部が二つ在る事。
冷静さを持つサスケならもう少し慎重に行動するかもしれない。
それとも千鳥を与えたが為の慢心なのか。
関わりの薄い紅には判断しかねるもサスケが内包する危うさだけはしっかり理解した。

(忍として失格か。どうやらわたしの比重はナル、妹にあるみたいだ。助けはしないけどもう少し傍観させて貰うよ。あの四人がどうあの子を誘うのか興味がある)
上忍としては失格でも、ナルトの姉として合格なら良い。

里に尻尾を振る時代は終わった。
紅は恨みがましい目線を己に向けてくるだろう五代目と自来也へ、胸の裡だけで両手を合わせて謝罪しておく。

「いい音奏でろよ」
頭をずらしてサスケの踵落としを避けた左近が口角を持ち上げた。

(せ……お姉様)
紅先生、と呼びかけそうになってナルトは慌てて訂正する。

「ド! レ!」
(仕方ないねぇ。一緒に綱手様に怒られてあげるよ)
左近が掛け声をかけサスケが吹き飛ばされる音をバックミュージックに、紅はナルトの頭を撫でながらこう宣言したのだった。



                                 後編へ続く

どうしてもこれは入れたかった紅サンメインのエピソード。
紅さんはナルトか里かと問われれば、ナルトを選ぶでしょう(笑)
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