賢者の石に話が戻る。哲学者であれ賢者であれ、このようなアイテムを求めてやまないのは、どのような分野でも同じなのである。そのような象徴的な意味での賢者の石というのは、存在するのだろうか。商売人にとっての究極のスーパーアイテム、つまり賢者の石とはどのようなものなのだろうか。政治家にとって、はたまた軍人にとって、スポーツ選手や芸術家にとって等と考えてみると錬金術師の鉛を金に変えるための「賢者の石」などはたあいのないことのように思える。 16世紀頃のヨーロッパの貴族が錬金術師と名乗る詐欺師に資本を投下したのは、決して科学的興味として賢者の石を求めたのではなく賢者の石を触媒として得られる金、そしてその金によって得られる経済力、関連する軍事力なのである。先に強突張りの会社経営者とした湯屋の湯婆婆の前に「賢者の石」があれば、直ちに手に入れようとするのであろう。こういう私は、目の前になくても「賢者の石」が欲しいと心から思う。 一口にいえば「賢者の石」を手に入れることは、金持ちになるということなのだ。世の中にはお金で解決できることがたくさんある。ほとんどのことは解決してしまうのだ。ところが同じくらいお金だけでは解決できないこともある。スポーツ選手や芸術家などがそうである。確かにこのような分野では、お金だけで解決できない課題というのがある。しかし、別の側面から考えれば、個別の問題としてはお金だけで解決してしまうというケースもありそうだ。つまり、資金さえあればスポーツ選手として芸術家として力量を発揮して、世界最高になることが可能ということもありそうだということなのだ。必ずしも才能のある選手や芸術家のすべてがチャンスを得ているとは思えない。「賢者の石」はそれを使う人によって意味が変わってくるというのはこういうことなのかもしれない。 私の職業の分野である児童福祉であっても、「賢者の石」は極めて有用である。福祉の多くの分野は潤沢な資金が確保されれば、いま抱えている多くの課題を解決することが可能となる。 |