「千と千尋の神隠し」とは…。
湯婆婆と銭婆 「千と千尋の神隠し」を二度も観た。観たといっても、映画館ではなくて職場のDVD装置で観た。確かに良くできた映画で、今更に私がこの映画のおもしろさ、すばらしさを論評しても、どうということはない。 私は、そのストーリーの展開よりも、まず登場人物の設定のおもしろさに興味を引かれた。とりあえず登場人物を揚げてみよう。 千尋、ハク、湯婆婆、銭婆、父、母、青蛙、坊、リン、番台蛙、河の神、父役、兄役、釜爺というところだ。 特に湯婆婆と銭婆の関係は微妙でおもしろい。一方が派手で意地悪、もう一方が質素で優しい。一卵性双生児の場合、このように本来一人の人物にあるべき人柄の二面性が両極端に分離して現れるというケースに、私自身もつきあったことがある。別の例を挙げれば「二人のロッテ」は活動的と非活動的という二面に分かれて表現されている。 二人は、同じ台詞をいう。「千尋っていうのかい」という台詞だが、その後が二人の人柄を表している。湯婆場は「贅沢な名前だね」といい銭婆は「いい名前だねぇ」というのである。 銭婆は、「私たちは二人で一人前なのに気が合わなくってね」という。まさに対照的な二人の人格は、普通は一人の人物に相対して存在している人柄なのであろう。私がつきあったケースでは、成長にしたがって、人柄が入れ替わるということを経験している。 湯婆婆と銭婆も、いずれ人柄が入れ替わってしまうことも予想されるが、ありうるべきは、やはり二つの人柄が統合されて、一人一人が葛藤の上で折り合いをつけてゆくということが望まれるのだろう。 |