我が青春10年の軍隊史  

角田利信


其の二十七 豪州軍の使役
平素は豪州軍への使役として各集団より兵を差し出し、日本軍の弾薬の投棄、椰子の木の根っこ堀りなど大変だ。豪州兵が小銃を構えて、仕事ぶりが遅いとハイラップハイラップと喚く。熱射の南方での重作業は汗だくとなり、汗が引くと体は塩気でザラザラで、水分を取らないと目が霞んでくる。といっても水は水筒一つである。豪州軍の使役はワッシャワッシャボーイ等いろいろあるが、私は本部に居て使役に出ていないので久野参謀にお願いしておいたところ、角田曹長、豪州軍の靴磨きと浴場の清掃があるが行くか、と言われたので是非行かせて下さいと翌朝8時に豪州軍宿舎に行く。看護婦といっても少佐殿である。4棟の宿舎を2人で受け持ち、手早く靴を磨き、浴場を洗って午前11時ごろ終わった。責任者に報告すると帰りには全員豪州軍の缶入り煙草を2個づつ貰った。いつもは茄子の葉を細かく刻んで紙に巻いて吸うのだが、これが辛くて吸えたものじゃない。使用する紙は英和コンサイスの紙が割合に旨い。とりわけ給料の十円札がよい。一円札も貰うが、日本の札は使用できないので、これを或る時煙草の巻紙に使った。一円札も中々乙な味であるが十円札が最高に旨かった。豪州軍から貰った缶入りの煙草は最高だ。戦友たちと分け合って吸った。あの味は忘れられないほど旨かった。戦友も旨い旨いと喜んでくれた。豪州軍の看護婦少佐殿は、又来てくれと手真似で話していたが、其の機会がなくてそのままとなった。


其の二十八 復員船
昭和21年に入ると復員の話が愈々現実となってきた。

さらばラバウルよ また来るまでは
しばし別れの 涙をかくす
恋し懐かし あの島みれば 
椰子の葉陰に十字星

唄の文句じゃないけれど、いよいよ復員だ!国を出てから9年6ケ月、音信不通の状態で支那戦線に出ている兄は元気か、父母弟妹達は元気だろうか?昭和21年6月20日、自分で作ったリュックサックを肩に赤根岬より出港して約1週間後名古屋港に着く。甲板上より見る名古屋港、白衣の看護婦さんが5、6人迎えに見える。なんと美しい日本の婦人。この何年も真っ黒いカナカ族のメリーさん、ボーイさんばかり見てきた我々にとっては、日本の白衣の天使はとても美しい。


其の二十九 祖国
昭和21年6月26日名古屋港到着。さぁ上陸だ!
名古屋援護局で一泊する。その間、持ち物や体をDDTの散布で真っ白になりながら消毒を受ける。復員手当て三百円也を受ける。軍票以外には見ることの少ない十円紙幣「イノシシ」。復員名簿を引揚げ援護局に提出して故郷に帰る事となる。
これだけあったら相当なものが買えそうだ!物価指数はピンとこない(酒1升五十銭、誉20本入り六銭が頭にある)。街へ出ると店頭に巻寿司が並んでいた。1本いくらかと尋ねると十円。びっくりしたが銀めしの巻寿司は10年ぶりだ。銀めしに負けて購入する。アー、1本十円の巻寿司!目をパチクリして頬張った。

あヽ 国破れて山河あり。なんの山河ぞ、夢にまで見た祖国日本。帰ってみれば国民はその日の食物もなく、列車で遠くまで芋の買出しに行く有様である。列車の窓ガラスは破れ全部板張りになっている。其の板に墨痕も鮮やかに落書きがしてあった。

   板張りに誰がしたのか見えぬ富士