ある電信兵の記録
 我が青春10年の軍隊史  

角田利信


其の一 徴兵検査
昭和13年3月葉山村役場より徴兵検査の通知を受ける。同年5月、草津郡役所にて受検。私は眼が悪かったのか、何回も暗室に出入りして、よろしい甲種合格と、近畿聯隊区司令官の大きい角印を押され検査は終了した。12月6日、甲種合格電信現役兵と通知あり。14年3月3日、満州国新京電信第3聯隊に入営すべしとの令書を受ける。14年2月5日出発。小学生や、愛国婦人会の人々の見送りを受けて広島に向かう。広島衛守令部にて身体検査実施。厳しい検査で暗室に2回ほど入り無事通過。広島市千田町新見旅館にて一泊、検査の終わった者は其の場で軍服をもらって階級章も星一つの二等兵となる。
 
翌日ハシケに分乗して、宇品港より愛国婦人会の打ち振る小旗に送られて港に停泊しているアルゼンチン丸7千屯の貨物船に乗り込む。私達新兵は一番船艙に枡枠を組んだ、アンペラの敷かれた箇所に30名に分かれて乗り込んだ。愈々玄海灘の荒海を2日後に通過する事となる。飯し上げの号令がかかる。昨日から玄海灘の荒波に揉まれ、ゴロゴロと船艙を転げて誰も立てない。船酔いは苦しい。腹に何も入っていないのに思わずウエッとなる。食管をさげて炊事場まで行くのがやっとこさ。それでも私をふくめて元気なものが3名炊事場へ行って麦飯、沢庵、味噌汁の入った入れ物を貰ってきて順々についで行く。誰も手を出そうとしない。船酔いは大変苦しい。船酔いに責められながら、4日間の航海を終わり大連に上陸。ダブダブの外套と軍服、袖が20糎ほど長い外套を身に着けて、愈々満州国大連に上陸の第一歩を踏み出す。

大連の港には大きな船が着いている。あれは大豆粕だろう。背中に一個背負って満人が舟の桟橋を渡っている。一個8貫目ぐらいあるだろう、真中に四角の穴があいている。我々初年兵は其れを横目で見ながら大連駅まで行軍。満鉄大連駅では軍用貨物列車が到着して我々を待っている。貨物車は黒く塗られ、下にはアンペラが敷かれ、30人が入るのがやっとで分かれて乗り込んだ。列車は大連駅を出て赤土の曠野をひた走りに走り出した。
駅に着くと機関車の前に大きな鐘が取り付けてあり、それに紐を付けて引っ張るとカランコロンと鳴る。紐をゆっくり引きながら列車は駅に入る。赤土の曠野には羊のむれがひと塊り、又ひと塊りと草を食んでいるのを見ながら列車はまた新京を目指してひた走る。乗り込んで5日目の夕方、南満州鉄道新京駅に到着、軍用列車より降り立った我々は電信隊差しまわしの貨物車に乗りかえ新京南嶺の電信第三聯隊に向かう。
薄暗くなった新京の街から真っ直ぐに延びた大同大街(ダイドウダイガイ)の道を南嶺の兵舎に急ぐ。

   
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