U 第 4 楽 章

   
   序奏部を伴うソナタ形式

序奏部 ハ短調 2分の2拍子 アレグロ・モデラート (中庸で、快速に)
主  部 イ短調 4分の4拍子 アレグロ・エネルジコ (快速に、力強く)

1.基本的な構成の把握

 第4楽章はマーラーらしい極めて特徴ある音楽といえる。

 (1) 構造図 A

序 奏 部 提 示 部 展 開 部 再 現 部 終 結 部
  小導入 ↓第1主題 (序奏部の展開)   小導入 ↓終結楽想 A
↓序奏楽想 A ↓確保的推移   小導入 ↓序奏楽想Aの再現 ↓終結楽想 B
↓経過句 ↓経過句 ↓序奏楽想Aの展開 ↓経過句   終結
↓序奏楽想 B ↓第2主題 ↓経過句の展開 ↓楽想 C
  小終結 A ↓確保的推移 ↓序奏楽想Bの展開 ↓小終結 A
  小終結 B (提示部の展開) ↓第1主題の再現
↓展開楽想 A ↓経過句
↓第2主題の展開 ↓第2主題の変化再現
↓第1主題の展開 1 ↓経過句
↓第1主題の展開 2   小終結 B
↓導入句の展開
(序奏部の展開)
↓序奏楽想Aの展開
(総合的な展開)
↓展開楽想 A
  第1主題の展開 3

 (2) 構造図 A の補足

  @ 序奏部

小導入は、わずか2小節ではあるが、チェレスタとハープによって蝶が舞い上がるように演奏され、序奏楽想Aを導く。
序奏楽想Aは、極めて高い緊張感を保ちつつ、曲全体に大きな影響を与える。「悲劇の主題」と呼ばれることがあるが、ここではこの解釈は採用しない。あえて名づけるなら「悲劇を越えていく主題」である。
経過句に入って4分の4拍子となり、速度も遅くなる。第1主題の暗示を行う。低音の複数の鐘が、あたかも贖罪を告げるかのように静かに鳴り響く。
序奏楽想Bは、コラール風にゆったりと静かに演奏される。第2主題の暗示を行う。
小終結は、序奏楽想Aの影響下で第1・第2主題の暗示を行う。

  A 導入句

導入句に入って、速度は元のアレグロ・モデラートに戻る。付点音符を中心に、後半わずかに速度をはやめながら第1主題を導く。

  B 提示部

小導入は、わずか2小節ではあるが、チェレスタとハープによって蝶が舞い上がるように演奏され、序奏楽想Aを導く。
第1主題はアレグロ・エネルジコ(快速に、力強く)で奏される。序奏部で暗示されたものが、はっきりとその姿を現すこととなる。
確保的推移とは、第1主題を確認しつつ、順次変化していく楽句をいう。
第2主題は第1主題と似通った力性を持つ。しかしリズムや音の進行は明らかに異なる。第1・第2主題は、古典的な対照関係にはない。第1楽章のような対立関係にもない。似て非なるもの、非にして似た関係にある。このような第1・第2主題の在り方を、ここでは「相(そう)」という。このことについては、後で述べる。

  C 展開部・その1

ここでは、序奏部の楽句が展開される。
序奏楽想Bの展開で、音楽的に高まり、打ち切るように1回目のハンマーが打たれる。ハンマーは、当初3回打たれることになっていたが、最終的に2回となった。

  D 展開部・その2

ここでは、序奏部と導入句と提示部が展開される。ただし順序が逆向きである。(第2主題の展開→第1主題の展開→導入句の展開→序奏楽想Aの展開)
展開楽想Aは、第2主題の展開と考えられるが、厳密には異質である。似て非なるもの、非にして似た関係にある。こうした2つの楽句の在り方を、ここでは「相」という。後で述べる。
第1主題の展開1では、伴奏の打楽器としてムチが打たれる。ムチが虐待の象徴であることは、いうまでもない。
序奏楽想Aの展開で、音楽的に高まり、打ち切るように2回目のハンマーが打たれる。

  E 展開部・その3

その3は比較的短い。展開楽想Aが一層の高まりを見せ、あたかも目の前を惑星が軌道を描くかのようである。
第1主題の展開3の後、ドラが巨大な音を鳴らして展開部全体をしめくくる。

  F 再現部・その1

ここでは序奏部の再現が行われる。
注目すべきは楽想Cである。これは序奏楽想Aの影響を受けているものの、ほぼ新しい楽想と把握できる。驚くべきは楽想Cが交響曲第7番・第4楽章を暗示していることである。

  G 再現部・その2

ここでは提示部の再現が行われる。
第1主題は変化して再現されるものの、原形を確認しうる範囲内である。
第2主題の再現は変化の度合いが大きく、ほとんど原形を確認できない。

  H 終結部

終結楽想Aは、第1主題に基づいている。
終結楽想Bは、序奏楽想Aに基づいている。
終結では、大編成のオーケストラの全力をもって打音し、なおも余韻を残しながら曲全体を閉じる。

2.拡張されたソナタ形式による構成の把握(二重ソナタ形式)

 (1) 三つめの拡張例

   さて、拡張されたソナタ形式については、前に二つの例を示した。

  @ 再現部をなくして、第1・第2提示部と第1・第2展開部 から成るソナタ形式 

     これについては第1楽章を分析した際、詳しくふれた。

  A 展開部→提示部→展開部 という、倒置形をしたソナタ形式

     これについては、シベリウスの交響曲第2番第1楽章を例にとって、かんたんにふれた。

  B 次に三つめの例を示す。ここではそれを ……

     「二重ソナタ形式」 …… と呼ぶ。

     ただし私は、この名前を過去に一度も聞いたことがないし、今初めて使っている。それは ……

     2つのソナタ形式を、1曲の中に重複して内包するソナタ形式 …… のことである。 

 (2) 「二重」という概念

    この概念の意味するところについては、具体例にそって説明する。

×(該当せず) 複合三部形式 これは大きな三部形式の中に、小さな三部形式がある形式で、ごく基本的なものである。たとえばA→B→Aにおいて、Aが(aba)となる。 これは「二重」の構成の概念に該当しない。

×(該当せず) 二重協奏曲 これは独奏楽器が二種類ある協奏曲をいう。ブラームスの、バイオリンとチェロのための二重協奏曲が有名である。これもここでいう「二重」の構成の概念に該当しない。

○(該当する) 二重フーガ これは異なる二つの主題によるフーガをいう。バッハのパッサカーリアとフーガや、モーツァルトのレクィエムのキリエのフーガが有名である。これは「二重」の構成の概念に該当する。

◎(該当する) 二重変奏曲 これは異なる二つの主題による変奏曲をいう。ベートーベンのピアノ・ソナタ第32番・第2楽章が有名である。これは「二重」の構成の概念に一層該当する。記号で示せば……A・B⇒a1・b1→a2・b2→a3・b3……となる。

   
要するに、主題等の本質的な構成体が重複し、かつ有機的に発展していくことが、ここでいう「二重」の意味である。

 (3) 二重ソナタ形式

    これも具体例にそって説明する。

 マーラーの交響曲第6番・第4楽章は、序奏部を伴うソナタ形式で構成されているが、主部に比べ序奏部が余りにも長大であるために、序奏部が独立した構成体のように振る舞うのである。もしこの見解に従うとすると、1曲の中に2つのソナタ形式が重複して存在することになる。

ソナタ形式@ 序奏部(別の提示部) 序奏部の展開部 序奏部の再現部 序奏部の終結部
ソナタ形式A 提  示  部 展  開  部 再  現  部 終  結  部

 驚くばかりである。ただし、マーラーだからできた技である。常人の及ぶところではない。伝統的な音組織(音階や和声)に基づいて、新たに交響曲(オーケストラのためのソナタ)を創造しようとすれば、本質的にはソナタ形式を拡張する以外に道はない。しかし、この方法もここに至って限界を越える感がある。それは人間の耳の能力の限界でもある。更に新しい創造に挑むとなれば、もはや音組織を改めるしかないであろう。しかし耳の限界という問題は、更に膨らむに違いない。

 (4) 二重ソナタ形式の概念図

    第4楽章における二重ソナタ形式の詳細図は、次のようになる。 

       提示部 @(旧序奏部)
小導入→第1主題(旧序奏楽想A)→経過句
→第2主題(旧序奏楽想B)→小終結A
       提示部 A
導入句→第1主題→確保的推移→経過句
→第2主題→確保的推移→小終結B
展     開    部
その1 提示部@の展開 ↓小導入
↓第1主題の展開
↓経過句の展開
↓第2主題の展開
その2 提示部Aの展開 ↓展開楽想A
↓第2主題の展開
↓第1主題の展開1
ソナタ形式 @ ↓第1主題の展開2 ソナタ形式 A
↓導入句の展開
提示部@の展開 ↓第1主題の展開
その3 提示部Aの展開 ↓展開楽想A
↓第1主題の展開3
提 示 部 @の 再現 部
小導入→第1主題の再現→経過句
→楽想C→小終結A
提 示 部 Aの 再現 部
第1主題の再現→経過句
→第2主題の変化再現→経過句→小終結B
終     結    部
提示部Aの終結 ↓終結楽想A
提示部@の終結 ↓終結楽想B
  終 結


 (5) ソナタ形式の拡張の限界

 この第4楽章をテープに録音して、切りはりしてじょうずに編集すれば、約15分ずつの2曲のソナタ形式の音楽ができるかもしれない。私見であるが、ソナタ形式@に私はユダヤ教的(ヘブライ的)な文化を 感じる。ソナタ形式Aにキリスト教的(ドイツ的)な文化を感じる。

 主題の複合性については既に述べたが、複合性も楽章全体に及び、極まった感がある。映画で場面が頻繁に切り替りストーリーが二元的に発展する例はある。しかし音楽である。ここに至って、ソナタ形式の拡張はもはや限界を越える。そこから、「相」という概念の把握が導かれる。次に、このことについて述べる。

3.「相」の概念による構成の把握

  まず断っておかなければならないことは、ここでいう「相」いう考え方は、音楽に適用するという意味では新しいもので、世に広く認められたものではなく、いわば仮説である。

 (1) 「相」の定義

 たとえば、氷、雪、霜、水、雲、蒸気等は、水の本体が現す「相」と考えることができる。(分子の状態が異なるのである。)このように個々の事象を、本質的な変化としてではなく、その本体がとった「状態」として捉えるとき、個々の「状態」を本体に対して「相」と呼ぶ。

 (2) 音楽における具体例

 この考え方を音楽に適用すると、その構成を把握しやすくなる楽曲がある。分かりやすい例として、ラベル作曲「ボレロ」をあげることができる。オーケストラで演奏されるこの曲は、主題がとめどなく繰り返されるが、本質的には何も変化しないという、めずらしい音楽である。音楽大学の作曲科の学生がこのようなものを作れば、まちがいなく落第であろう。しかしラベルはオーケストレーションの達人である。繰り返されるたびに楽器を変えて演奏するよう、周到に用意されている。つまり葉が色づくように、音色が変化するのである。音の波形の状態が、絶妙に異なるのである。即ちこの曲は、音色の変化を利用して、本体である主題の「相」をさまざまに表現した音楽、という見方ができる。

 (3) マーラーの音楽に対する適用

 第6番・第4楽章に、この考え方を適用してみる。その理由の一つは再現部における楽想Cの不可解な登場である。楽想Cは、交響曲第7番・第4楽章を暗示しているが、なぜこのような新しい楽想が、それも大曲の最終場面で現われなければならないのか、形式論理学的には理解しがたいのである。まるで、ひとつの世界に穴が開いて、別の世界につながっているかのようである。

 この音楽には、序奏楽想A・Bをはじめ第1・第2主題等、さまざまな楽想・楽句が登場する。(なにしろ2曲分である。)しかしよく聞くと、第1楽章と違って第4楽章では、それぞれの楽想・楽句の区別が極めて曖昧なのである。特に展開部においては、どこに区分があり、どの部分が何の展開を行っているのか、判断に苦しむものがある。マーラーが、展開部でハンマーを2回使った本当の理由がここにある。このとんでもない打楽器を2回打音することで、展開部を3つに区分したのである。そうでもしなければ、自分の現在位置を確認できなかったのであろう。おそらくマーラーは、湧き出る楽想を五線紙に書き留めることで必死だったに違いない。

 それぞれの楽想・楽句の関係は、対照的でもなく、対立的でもなく、似て非なるもの、非にして似たものである。要するにこれらは、姿、形こそ異なっているものの、ひとつところから湧き出た楽想・楽句なのである。その源は、おそらくマーラーの才能の泉であろう。しかし、これでは「フィーリングによる即興」といっているようなもので、話にならない。

 実は、そのヒントが暗示的に示されている。どこからともなく小導入及び序奏楽想Aが湧き出た後、それがどこから来たのかを暗示するように、低音の鐘の音が静かに打ち鳴らされる。マーラーはこの鐘に細かい注文をつけている。「音程(音の高低)の定まらない、響きの異なる2つか、それ以上の低音の鐘を使用すること。」この鐘の音が、(鐘ではなく、鐘の音が)、序奏楽想Aがどこから湧き出たかを暗示している。しかし「暗示」では分かりにくい。鐘の音の響きを河の水音にたとえれば、その向こう側の「彼岸」である。(ヘブライとは、河の向こう側という意味である。)なおさら分かりにくい。やむなくここでは、鐘の音が「相」の本体であるとしておく。                

 多様な高低成分を含んだ鐘の音が、ある状態(音程)をとったとき、鐘の音の「相」として、さまざまな楽想・楽句が湧き出ることとなる。その際、最初に生まれた序奏楽想Aが、後から生まれて来る楽想・楽句に、リズム上の影響を与えている。これは、序奏楽想Aが変奏・展開されることとは全く違う。それにしても、小さな鐘の音から巨大な第4楽章が生まれるものであろうか。よく分からないが、無限の宇宙が微小な一点から生まれた、とするのが最新の宇宙論だそうである。それが事実なら、これも不可能とはいえない。

 ただし、たまたまある「状態」をとって私たちの耳に聞こえるようになったが、鐘の音は本来分けられるものではない。これを言葉で説明することは、極めてむずかしい。なぜなら、言葉とは本来ひとつであるものを分離して、概念化し認識を形成するからである。本来、光も闇もない、ひとつのものである。そこに「光」という言葉を使えば、「闇」が分離され、認識される。鐘の音について言葉で説明しようとすれば、本来分けられない鐘の音が複合性を内包していると、いわざるをえない。複合性を形成するそれぞれの音楽的性質や主張が、個々の楽想・楽句となって現われる、としかいいようがない。しかし、鐘の音は本来分けられるものではない。 

 マーラーの第6番・第4楽章におけるこの構成法は、その後の彼の交響曲に大きな影響を与えることとなる。顕著な例は第9番である。第9番・第4楽章は、変奏曲などではなく、まさに「相」の概念によって構成される音楽である。とめどなく繰り返される楽想は、全て主題の「相」である。この音楽は、けっして一部にいわれるような死の音楽ではない。生と死を複合し、同時に表現した音楽である。これが言葉の限界である。言葉は生と死を分離する。しかし第9番・第4楽章は、それが本来ひとつであることを、我々に教えてやまない。

 マーラーの音楽を交響的宇宙と形容することがある。音楽が長大であったり、オーケストラが大編成であったりすることにもよる。対立から止揚に向かうことにもよる。しかしその本当の理由は、「相」の概念により音楽を構成したからである。それは形式を越えていく音楽に他ならない。即ち自由である。ひるがえって、マーラーの現実は、いばらのごとき不自由に囲まれていた。しかしその音楽は、自由の翼を羽ばたかせたのである。湧き出る楽想の希有の才能がそれを可能にした。モーツァルトにしかできないといわれていたことを、マーラーも実現したのである。

 ギリシャ神話では、ミューズという神が音楽を司ったそうである。音楽にもし神がいるなら、マーラーはその「相」であろう。

                       (終)