情交の後の気だるい惰眠から目覚めたとき、隣にいるはずの女の姿はなかった。シーツに残されたぬくもりを確かめ、部屋を見回す。薄闇の中にその姿を見つけたとき、それを待っていたかのように、女――ミルウーダが声をかけてきた。
「ようやくお目覚め?」
からかうようにそう言った彼女は、一糸まとわぬ姿で窓辺にたたずんでいる。
「君こそ、そんな格好で何をしてるんだ?」
寝台に身を横たえたまま、ゴラグロスはそう返した。
「雨を見てたの」
そう言って彼女は悲しく笑う。今にも消えてしまいそうな、そんな儚い笑みだった。
「あのときのこと、まだ気にしてるのか?」
ミルウーダは首を横に振ってそれを否定する。けれど、それが嘘だということに、ゴラグロスは気付いていた。
彼らを匿っていた小さな村が、北天騎士団の襲撃に遭ったのは数か月前。あれから彼女は少し無口になって、雨が降るたびに何か思い詰めた表情で遠くを見つめている。
彼らを巻き込んでしまったことを、後悔しているのだろうか。
昨夜も雨が降った。それは、今も降り続いている。叩き付けるような雨音は、彼女の心を責め苛み、孤独にする。
再び窓の外に目を向けてしまった彼女の背中に、ゴラグロスは拒絶を感じた。それはまるで、何ものも寄せ付けない強固な壁のようで……。
彼女は心を閉ざしている。
己が心の内だけを見て、すべてを拒んでいる。
昨夜この腕に抱いたときでさえ、ミルウーダはゴラグロスを見ていなかった。求めてきたのは、彼女の方だったというのに。
ミルウーダの背中を見つめながら、ゴラグロスはぼんやりと考えた。『彼女は何を望んでいるのか』と。
確かなものは判らない。ただ漠然と、自分には与えられないものなのではないかと思った。
それでも、彼女は求めてくる。
ゴラグロスが彼女に与えられるものは、ぬくもりだけだった。彼には、抱いてやることしかできない。
それでいいのだと思った。そうすることで、彼女が少しでも安らげるのなら。
取り留めのない思考を、ゴラグロスはそうして締めくくった。そして、未だ窓の外を見つめるミルウーダを呼び寄せる。
「いつまでもそんなところにいると、風邪ひくぞ」
そう言って、毛布代わりに使っていた外套を羽織らせた。触れた肩は、冷え切って冷たい。
「今日は優しいのね」
「いつも優しいだろ」
ゴラグロスの言葉にミルウーダはくすくすと笑い出した。もっとも、それはすぐに酷く思い詰めた表情に変わってしまったのだけれど。
「ねえ、ゴラグロス」
羽織った外套の胸元を握り締めて、ミルウーダが言葉を紡ぐ。
「もし、私が死んでも、あなたは生きて」
はじめはその言葉の意味がゴラグロスにはわからなかった。危険な任務に赴くのは、彼の方だというのに、彼女は自分が先に死ぬのだと言ったのだ。
「私の分までとはいわない。だけど、精一杯、生きて欲しいの」
そうして彼女は寂しげに微笑った。それは、彼女があの日から時折見せる、悲しい笑みだった。
「なに馬鹿なこと……」
そう言って、ゴラグロスは取り合わなかった。そんなことはありえないし、考えたくもなかった。
「馬鹿なことじゃないわ。この先、どうなるかなんてわからないじゃないッ」
微笑が崩れた。堪えきれずに、涙が彼女の頬を伝う。外套を握り締めていた手を放し、ゴラグロスに抱きついた。
「ミルウーダ……」
ずり落ちていく外套を掴んで、また羽織らせる。そしてその上から、震える肩をそっと包み込んだ。湿り気を帯びた髪からは、雨の匂いがする。
「わかった。俺は死なない。だから、お前も死ぬな」
半分気休めのつもりでそう言って、ゴラグロスは彼女の肩を抱く腕に力を込めた。そうして、自分自身の中で膨れ上がっていく不安を押さえつけようとしたのだ。もう二度と、こうして彼女を抱きしめることがないなんて考えたくなかった。
「約束よ」
泣き顔を無理やり微笑みに変えて、ミルウーダはそう言った。
「ああ、約束だ」
彼女の頬を伝う涙をそっとぬぐってやりながら、ゴラグロスはその唇にそっと口付けた。
雨は、まだ止まない。
冷たい雨は心まで凍えさせ、いつか雪に変わる……。