身辺雑記帳昂痛交論

*バス生写真の指針?

 近年各出版社が新書シリーズ(○○(社)新書)を出版するようになり、ちょっとした新書ブームになっており、そこに朝日新聞社も参入した。朝日新書063「スナップ写真のルールとマナー」を、かくして筆者は手に入れることになった。(「アサヒカメラ」「朝日ジャーナル」と「筆者とのホントの関係」を知る方は、適当に反応してください。筆者自身そんなものは知りえない。)なお写真関係では他にも033に『ネコを撮る』(岩合光昭氏)がある。
 編者は「日本写真家協会」となっており、冒頭は田沼会長の『楽しく写真を撮るために』ではじまっている。その中には、「撮る側が気づかない撮られる側の恐怖」(古の迷信レベルではなく、例えばマスコミのカメラの砲列)を述べる文、そして「写真は、いまを撮ることはできますが、過去を撮ることはできません。」という、重要な内容が含まれている。以下松本専務理事の『「肖像権」とは何か』が10ページ、続いて種々処々のQ&A集、スナップ写真がテーマの鼎談、法律面からの説明が続く。
 日本写真家協会は2001年に文部科学省より公益社団法人として許可された、職業写真家の団体ですが、入会資格の中に、「(1) 職業写真家として3年以上の実績のある方。」のほか、「(2) 正会員2名の推薦、保証が得られ、うち1名は本会在籍満5年以上の正会員の推薦理由書を提出できる方。」というものがあり、会員同等の実績と社会的信用を有する職業写真家でも、会員ではない場合が十分予想されるものとなっています。(組織として入会資格に「既構成員の推薦」を求めるのは、組織の質を保つためには、1つの選択肢として当然。)そのような意味で「写真界全体を代表する団体」としては限界がありますが。本件に関しては、「平成19年度 第2回JPS著作権研究会」として『「写真表現と肖像権」 ≪撮る人、撮られる人、そして公表は・・・≫ 』を開催するようです。

 さて、「写真家」は「職業写真家」と「非職業写真家」に大別されるということになるようだが、「写真撮影または写真教育によって恒常的収入を得ている」というような定義が「写真家」には存在しない。「そこらへんでケータイのカメラで写真を撮っている女性」が、撮影対象その他によっては「写真家の定義」に該当する場合が考えられるのである。
 しかし、デジカメにカメラ付きケータイまたはPDA(あるいはカメラ付きノートパソコン)がこれだけ普及すると、「写真家にはほど遠いフツーの人々」があちこちで写真を撮り、「写真を自由にホームページやブログなどで公開」ということになる。不特定多数の人々が閲覧可能なメディア(mixi等SNSなら特定多数、参加者個人の一般的な社会的関係を超える人々の目に触れる場所)に画像(=写真)を載せる(アップロードする)ということは、ギャラリーでの個展開催や写真雑誌掲載と同等またはそれ以上のパブリケーション(一般大衆への露出・公共化・共有財産化…もとのカタカナも含めて、どう書いてもうまく言えませんが)であろう。いくら無償(タダ)とは言え、被写体(ヒト<・ペット・イキモノ・ノリモノ>・モノ・コトその他)のあるいは被写体に関する、権利・名誉その他を侵す危険が、必ず付きまとう。
 さらに、以上の概念(肖像権、名誉、撮られる側の恐怖とか)を理解できない人々が、経済的優位さからデジカメを持ち歩きブログ・ホームページなどを活用してせっせと自己実現に励むという「恐怖」も考えられる。私自身「コンビニに入るとレジのキーで「30代」「40代」ではなく「池沼」と選別されそう」という文を書こうとしたことがあるが、世間的認知はせいぜい「湖沼」「泥沼」といったところではないか、「ブログ・ホームページなどを活用して自己実現に励む」と書いてきて、それこそ『社会人として「周辺」に追いやられたことを契機に開設した』ウェブサイト管理人兼清掃人である、我が身の上と気づいたしだい。

 ところで、バスの写真といってもいくつかに分かれるものと思う。
 バス写真コンクールなどに出てきそうな、バスが主題であってもバスの扱いが小さい写真、下手をすれば「風景写真」に含まれるもの。旅行雑誌などの写真も含まれるだろうか。
 営業所構内などで運行していないバスを撮ったもの。これについては、事業者側の好意で車内を撮らせてもらったものもある。構内の廃車体も含まれる。
 そしてバスマニア向けバスツアーなどでの写真。事業者側の好意で休息中の車両を動かしてもらったり、方向幕を回して(LED表示を変えて)もらったりすることもある。感謝祭等のイベントなどもここに含まれ、以前某社のイベントについては参加者の顔がわかるもの等以外は非商用での使用(ウェブサイトでの公開)可という内諾をもらったことはあるが、2年前。しかもネガプリントだったのでそのまま。
 走行中、ターミナルで待機、その他運用に就いているバスを撮影したもの。筆者は「生バス撮影(写真)」と呼んでいる。
 街中を走るバスを撮ってはいるが、被写体固有の性質(車両諸元、運行内容その他)が度外視され、例えば色彩を帯びた動く物体としての存在であるもの。巨人とさえ称される写真家が日本国外で撮影した写真の中の1枚で、あきらかにバスが被写体であってもバスの写真とは解釈されないもの。
 バス廃車体。
 その他、バス停留所など。
 そこまで行って気づいたが、バスを公共交通の手段方法と捉え、その文脈で撮られた写真。交通工学の世界の出版物に掲載されるもの。

 そうして見てきた場合、「スナップ写真とは、被写体のジャンル別に分かれた『鉄道写真』というような分類とは違う」という趣旨の文章を思い出す。

 これ(=記念写真の撮影)をバスの撮影と比べてみよう。バスは路線バスであっても運用が固定しない場合が多く、どこへ向かうかわからない。公道上では駐車車両、横断者、右折車その他がありバスの挙動はなかなか予測できない。目の前を通行人が横切るかもしれない。そのような状況で三脚を立てての撮影はほとんど無意味。営業所・車庫であっても始終バスの出入りがあるので三脚はまず使わない。もちろん撮影に関してのご配慮は無用。構内に入れてくれるだけで感謝。かくして報道の腕章もなく、カメラを持って時には走り回ってバス撮影、その姿が好奇の目で迎えられることも珍しくなさそう。児童生徒学生の趣味としてはともかく、社会人には「卒業」が期待されるものなのかもしれない。【下方の拙文から引用】
 三脚の立てようがない、街中でのバスの撮影。これはむしろ「スナップ写真」に近いのではないか。普通乗用車のマニアでそれが高じて街中のクルマを撮るようになると、ノリがスナップに近くなる。
 確かに、スナップ写真家が「街を走り回って撮影」という話は聞かない。走り回っているとすれば、盗撮を疑われて追っかけまわされている場合(話せばわかる相手とは限らない)だろうか。
 しかし、「新車(珍車)」「新塗色(ラッピング)」「珍運用」を目撃し、あわててカメラを向けるバスマニ君の撮り方(私もやる)は、「スナップ写真」が一番近いだろう。スナップ写真は『「芸術性」「創造性」に欠けるクズ写真』と芸術ヲタクに酷評される場合もありそうだが、写真の原点である「記録手段」としての機能は果たしているだろう。そして、どんな写真でも「被写体あっての撮影」であることは、忘れてほしくない。

 冒頭の新書については「1つの手本」として役立つであろうということを指摘するとともに、街頭でバスの撮影をすること自体は「池沼的行為」ではないということを、ここで強く主張しておきたい。

 バス(運行)の記録であり、被写体を超えた写真(撮影)の分類のなかでも「記録写真」「スナップ写真」であるということ。
 そして、撮影する側として、バス運転士の肖像権をはじめ、バス事業者およびその関係者の立場にも配慮すること。
 利用客や地域住民の理解を得られるよう努めるとともに、理不尽な偏見や不当・不法な要求、写真芸術オタク(個展オタク)の見下した態度に、決して屈しないこと。たとえば、135〜200mmの望遠レンズを持ち歩いて不審がられたら、「高山植物の撮影をしてますので(庭の花壇の隠し撮り?)」よりも「遠方から撮影して被写界深度を下げ、車内にピントが合わないようにします」ぐらいは答えよう。どのみち市販のコンパクトデジカメのほうが10〜12倍ズーム(35mmフィルム換算で最大焦点距離400mm程度の望遠)で恐ろしいのだから。
 不審がられるのは、装備よりも態度。(もちろん隠しカメラがばれたらオシマイですが。)
 街頭防犯カメラ1000台設置計画(八王子警察署)なんていうのがあるぐらいですから、ある意味あきらめたほうが得策でしょう。そのとき、守ってもらえる?側に回るように…

 書いてきて憂鬱になってきましたので、このへんで…
(2007.8.24[8/27微修正])
 

*バス趣味と羞恥心 (バス雑感)

 バス趣味は鉄道趣味その他に比べ一般社会に「認知」された存在ではなさそうだ。その理由のひとつに、三脚を使って撮影することがあまりない、被写体を走り回って探し撮ることがありそれだけ目立つということがあげられそうである。
 鉄道の場合はある程度走るところが決まっているが、それでも記念列車などとは無関係に通常の走行写真を撮ろうとすると、好奇の目で見られたりもするようだ。航空機や船舶は航路がある程度決まっており、空港、港湾など限られた地点にしか来航(着陸)しない。なによりも、上記の3分野については古くから雑誌も複数刊行されており、本屋ではとっくの昔に市民権を得た存在といえる。
 しかし、バス趣味の雑誌は最近再び2誌になったようだが、店頭に並べる書店もあまりなく、トラックの趣味誌に比べても目立たない。ただ書泉グランデなど特定の書店では露出度が高いようである。

 我々が記念写真を撮ってもらおうとする。証明書用の写真なら街のビデオ併用デジタル撮影ボックスで済むこともあるが、ここはやはり写真スタジオの出番である。服装や髪などを整え、照明装置に囲まれたステージに並び(一人かもしれないが)、写真家の指示に応じてポーズを取りながら1コマ1コマ撮ってもらう。カメラは三脚の上に載った大判カメラ、まれには二眼カメラ、35mmフィルムの一眼レフのことはまずない。これは団体旅行の温泉旅館や観光地での集合写真でもあまり変らなかったと記憶している。
 これをバスの撮影と比べてみよう。バスは路線バスであっても運用が固定しない場合が多く、どこへ向かうかわからない。公道上では駐車車両、横断者、右折車その他がありバスの挙動はなかなか予測できない。目の前を通行人が横切るかもしれない。そのような状況で三脚を立てての撮影はほとんど無意味。営業所・車庫であっても始終バスの出入りがあるので三脚はまず使わない。もちろん撮影に関してのご配慮は無用。構内に入れてくれるだけで感謝。かくして報道の腕章もなく、カメラを持って時には走り回ってバス撮影、その姿が好奇の目で迎えられることも珍しくなさそう。児童生徒学生の趣味としてはともかく、社会人には「卒業」が期待されるものなのかもしれない。
 実際私も「生バス」と呼んでいる客扱い中のバスの撮影はあまりやらない。いつもカメラを持ち歩いているのは大家の子供などが室内に侵入していないことを確認するための気休めであり、実際には無意味であることを最近思い知らされたが、やめればノーチェックとなる。どのみちバスや電車を撮影する機会は少ないし、走っているバスではなく路線廃止のお知らせなどを撮影しても好奇の目で見られることがある。別に私だけ個人攻撃しているわけでもないと思うが。
 しかし、「シスプリ」のラッピングなどで、若い女性までもバスにカメラを向けているのを目撃すると、こんどは私のほうが面食らう。

 「裸族」と呼ばれる民族がいる。生まれた姿に限りなく近い姿で生活をする人々をそう呼ぶわけだが、彼らはそのことにたいして羞恥心を持たないであろう。それは彼らが生まれ育った環境では、老若男女すべての人々が裸で生活している為、違和感を覚えることはないと考えられる。

 こんなことが書いてあるページをWeb上で発見したが、一般人がヌーディストの砂浜に行くと、水着を脱げば羞恥心、といってまとえば罪悪感という感じになるだろうか。

 シスプリのラッピングバスならともかく、普通のバスを追いかけて撮影する女性はまず見かけない。電車や航空機でもまれである。女性のバスファンというとまぁ好奇の眼で見られそうだし、そもそもバスガイドや姫ドラをめざし、あるいは務めているのではなかろうか。

 このことをふまえた上で、「羞恥」について考察してみる。ただし、「羞恥」にもさまざまなものがある。多数を目前にしての弁論や結婚式、バスの中で老人に席をゆずる勇気など、人それぞれだと思う。

 枕の文言まで引用してしまったが、神はそれぞれの心に宿る数だけいるというようなもので、恥も生きる人の数だけあり、同じ羞恥の対象でも感じ方が異なるとかいろいろ考えられそうである。

 さてこんなことを年の初めに書いていたのだが、時刻表の撮影にはデジカメが一番、さらに運行開始日が平日のコミュニティバスは会社の帰りに乗り初めなどということになってしまうのが実情。髪の薄いオジサンが小学生でもできる行動を取る姿が、たまに東京西郊で見受けられるというのは、これからもたぶん事実である。

(2004.9.4.)(ウェブサイト「未来のパンツ」より引用)
(下線部05年5月訂正/私はシロウトで写真スタジオも5年以上行った事がありません。ハッセルもローライも「わかる」人間ではありません。どうかお気を悪くなさらずに。)

*お別れ乗車会

 普通お別れ会といえば飲み会であろう。たいていは人との別れを惜しむ(ライバルがいなくなって喜ぶ場合もあるか)わけだが、機械設備との別れを惜しむ場合もあるだろう。「ブリスター包装21号機お別れ会」というのはありそうである。しかし、その包装機の最終ロット全部に「21号包装機の最終ロットです」などと印刷してみたって、包装された製品を手に取るほうにしてみれば「なんのこっちゃ」である。インク代がどーのこーの言う前に、肝心の表示が読みづらくなったりして、この場合かえって包装の意義を損うのではないだろうか。

 包装の4要素◇というものがあると聞いた。内容物を保護すること、内容物について表示・説明すること、内容物を運んだり保管したりすること、これに、経済的、環境的その他の負荷、以上の4つを指すという。保護性(中身がこわれにくいか変質しにくいか)、表示性(わかりやすいか・目立ちやすいか)、使用性(扱いやすいか)、経済・環境性(経済的負担や環境への負担は小さいか)というんでしたっけ。

 保護→安全性などと変えてみると、
 ・乗客の安全を守れるか
 ・乗客の誤乗その他を防げるか、踏切などで目立つか、また業界外にアピールするデザインか
 ・乗客が快適に過ごせるか、また乗務員にとって取り扱いやすいか
 ・ランニングコストはどうか、またリサイクルその他処分の際負担はどうなるか
 鉄道車両の4要素にはならないが、なんとなく対応が取れそうである。なお交通機関の3原則といえるのは「安全・迅速・快適」で、これに経済性・環境面が加わるのではないだろうか。

 したがって、「さよならクモハ42」「さよなら中央線101系(相当古い)」などというイベントが「ユーザー参加型」「マニア参加型」「利用客参加型」として成り立つのである。趣味としては鉄道にくらべスケールが小さく利用客からの認知も乏しいバスについても、同じことが当てはまると考える。
 だから「(小田急)D888お別れ乗車会」などというものも十分成り立つ※のではないか。
 ハンドルを握るほうにとってみても、愛着があるとなれば手放しにくい(新車のほうが良いのが人情であろうが)こともあるし、たとえば勤務先で廃車になる車両を引き取り自家用として再起させている場合もあると聞いている。実際それらしきバスのツアーを吉祥寺駅前で見かけたことがある。
 ふとまわりを見渡すと、ブティックや紳士服チェーンの店じまいセールで買ってきた商品のほかに、実は最終ロットだった家電機器、その印刷(プレス)で絶版(廃盤)になった本・CD、などがあるかもしれません。店じまいセールは宣伝しなくてはならないけれど、「今回のプレスで廃盤」とか言う帯だかタスキだか腹掛けだかのかかっているCDは、私はまだ見たことがない。「限定500枚」とかいう商品はあるが、普通は売れてくれるほど都合が良いですね。
 というわけで、ひっそりとした別れがあなたの周りにもたくさん隠れているかもしれません。別れが目立つのは、交通機関と交通趣味の特殊性でしょう。

※これはすでに満席・無事故で成功してますが、「新車乗車会」「米軍基地内営業所のバス試乗会」など、お別れ以外の企画もありえます。前者は一般客試乗会としても成り立ちますが、路線バス型車両貸切運賃に見合う料金を支払ってくれるお客さんは、どれだけいるでしょうね?
(2003.9.13.)
◇包装のn要素という場合にはいろいろな意見があるようだが、基本的には、内容物を保護する、内容物について説明(宣伝)する、内容物を輸送・保管しやすくするということが、内容物単独ではなく包装で包む(に入れる)根源的な理由だと考えています。これらには「微生物・毒物などから保護する」ということも含まれますよね。以下は「3要素」(保護性・情報伝達性・使用性)の拡大で、経済面環境面は「包装の必然性」から離れるだろうと思います。(2003.11.16.)

*夜の柿の木坂

 昔ビートきよしの「夜の柿の木坂」というシングルが、なかったな。あれは「雨の権之助坂」。権之助坂はずっと目黒駅に近く、山手通りより東になる。でも(下)目黒一丁目。最上町◆にあるかどうかはしらない。
 インターネットサービスをはじめ多くの地図で「柿の木坂」とある交差点。しかし、渋谷駅〜用賀〜祖師谷大蔵というバスの利用歴がある私の場合、それは駒沢通りが通るから柿の木坂「交番」だとピンと来なくてはならないはず。しかし、柿の木坂のそばだから柿の木坂交番があるのではなかろうか。
 柿の木坂陸橋となると環7と目黒通りが交わる結構有名なところ。駒沢陸橋みたいにバス停の名称にはなっていないが。その陸橋で交わるどちらの通りにも「柿の木坂」はない。
 幻の国公立大学駅として知られる学芸大学と都立大学。一番ふさわしい名称は「学芸大付属」「都立大付属」ではないかと私は勝手に考えている◇が、それはともかく都立大移転後久しく、都立大正門前というバス停もついに改称となった。めぐろ(区民)キャンパスってどんなところだろうかという好奇心も手伝って、足は都立大学駅に向かった。いや都立大学駅に停まる東横線の電車へと向かった。
 都立大学駅で下車。駅を出て右側に進む。目黒通りを渡ると坂がある。でも表示らしきものはない。坂を上がる。どーんと再開発された都立大跡地。以前通ったときは鉄柵の中でよく分からなかったが、柿の木坂ガーデンパレスいやめぐろ区民キャンパスに生まれ変わった姿である。バスベイも整備されており、都立大付属高校東方はあまりにも失礼。めぐろパーシモンホール(八雲中央図書館ほか)前というべきか。
 しかし交差点の表示はまだ都立大学前。
 従来の位置の目黒駅行きめぐろ区民キャンパスバス停から、改称された八雲四丁目バス停まで歩いてみる。従来の渋谷駅行きバス停はキャンパス前というにはふさわしい位置になく、4つのうちただ1つ別の名になった。多摩川駅行きバス停だってだいぶ離れているのだが。なお別に1つ(弦巻営業所方面)が前述のバスベイに移動した。八雲四丁目バス停まで歩くと約210歩。長くもない私の足で歩幅65cmというわけには行かず、両者の距離は120m程度という結論になった。(渋34)は両方に停まるのだが、間隔はムーバスより短いか。
 さて柿の木坂はどこだろう。八雲四丁目バス停のすぐそばにあるのは柿の木坂ゴルフ。さっき上ってきた坂には看板はなかった。じつはそこの商店街は「柿の木坂商和会」というのだそうだ。そのまま「柿の木坂交差点」まで歩くのもおっくうなので駅の方へ戻り、近所の本屋に入って地図を見る。あれ。柿の木坂という文字がトキワ松学園という文字のそばにある。柿の木坂は柿の木坂陸橋の南東、住所は碑文谷四丁目。そばにあるのは交番ではなく碑文谷警察署。地図によっては「田向通り」としか書いてない。
 今度は陸橋目指して歩き出す。陸橋の先右側が柿の木坂の入り口ということになるのだが、「…柿の木坂」というマンションは建っているものの、柿の木坂という看板も何もない。しかも坂としては前出の坂よりなだらか。柿の木坂に来たという実感は沸かない。
 後日駒沢通りを通ったら、くだんの交差点には「柿の木坂」と表示されていた。でも交番はそこの角にはなくもう少し西(東が丘1丁目6)にある。
 さて柿の木坂の真相は?
◆=中央バスの終点(小樽市)ではなく、山形県最上郡。ビートきよし、ケーシー高峰を輩出したことで知られる。
◇=学芸大付属高校、そして都立大付属高校はそれぞれの駅から遠からぬところ(徒歩圏内)にある。もっとも、個人的には「鷹番」「碑文谷」のほうがよいと思っているが。
(2002.4.21.)

*15万1200分の1

 10個の物体を全部直線の1列に並べる組合わせは10×9×… なんていう公式があります。計算すると3628800、ちょっとした欧州車の新車1台の価格を連想させます。(プジョー106などもありますが。)
 でも、小田急、京王、関東、西武、立川、東急、川崎市営、神奈中、相鉄、江ノ電の10者を私が順に並べると、立川・東急・川崎市営の順番だけでなく神奈中も含め変動がありそうですが、その24通りのバリエーションということになります。さすがにそれはこれからも変らないでしょう。
 立34というバス路線にリフト車が入ったのがきっかけになって最近は関東バスより西武バスの利用機会が増えましたが、順番に変りはありません。
 ただし、この10者に都営バスが入ると混乱が生じます。なによりも都営バスの出現はこの10者を選択したルールを根底から覆してしまいます。

 ワタシがHPでの都営バスの扱いを小さくしているのは、やまひろさん、エコツムリさんをはじめとする先達がたくさんおられる上に、都バスのエリアをカバーするのが困難で、神奈中のように毎週利用しているわけでもないから、あえてとりあげる必然性に乏しいからです。
 しかし、大江戸線の全通により、新宿や四ッ谷などに出入りするバスの削減がほぼ確定し、これは私自身にとっても「西武101系引退」「小田急NHE(2600)引退」並みのエポックメーキングなできごとです。ですから、この件については都バスのページを増強して、[秋76][田70][銀71](!)の最期を弔いたいと思いますが、なかなか時間が取れません。もっとも待ったおかげで[宿75](女子医大)などの復活ということになりましたが。

 ワタシが「主要10者」と呼んでいる上記10者は、私の出生から現在に至るまでの生活圏を走っているバスです。ただし、江ノ電よりは都営バスの方が利用歴が長そうだし、横浜市営バスが出てこないのは不自然かもしれませんが、この2者は他に充実したHPがあるのにわざわざ対象にして、薄い内容を掲げるほどの思い入れはないということから、主要10者には入れませんでした。それに、入れた場合東武、国際、臨港なども入れなければならなくなり、サイトが内容貧弱なまま一層肥大してしまうので、たとえばみたまま情報の対象範囲からは外しました。
 実際には江ノ電のページより国際興業の方が画像が多かったりして、事業者別ページは「主要」の範囲がずれ気味ですが、夏ダイヤ調査などの範囲で「主要」の中味ははっきりします。
 なお、全営業所カバーを前提に動けるのは、小田急・関東・相鉄の3社だけで、京王は八王子が、西武は飯能・大宮・川越が、立川は上水以外が外れ気味、東急は利用地域が不定で路線も細かいのでカバーは困難です。川崎市営・江ノ電は利用頻度が低すぎ、神奈中は周知の広いエリアですから、最初から絶望です。夏ダイヤ・年末年始ダイヤについても、現状での掲載は2001年度をもって終了します。

 この10者の順番について「小田急バスが1番目だから結局小田急バスファンのページだ」「京王グループバス調査隊協力者だから小田急バスファン失格」などという声を聞きましたが、これらの順番は「好き嫌い」を表しません。バス乗場に番号が振られていることが多いですが、その番号は「好き嫌い」「優劣」「多寡」を一般には表しません。(結果として遠近を表す場合はある。)それと同じようなものと考えれば正しいと思います。また、10者をこの順番で地図上で並べようとすれば、そのパターンの中に答えが含まれてるかもしれません。
 私ではなくても、東急バス圏から西武バス圏に転居されたバスファンならば両者が視野に入る。両者のページをもつHPは他にもあります。かくて現行の「10者」という方針は堅持していくことになります。
 いろいろな面で神経質なのは少数の方々と認識しておりますが、例えばそのような方々がバス運転士あるいは営業所長に対して人事権を発動できる立場にある可能性もあるので、ビクビクということになります。当方の顧客その他に圧力がかかったり、職場の某宗教団体の人間を扇動されたりしたらという心配は、わざわざ書かなあかんのか(--;
 10者との実際の関係は書けませんが、「あらゆる事業者から独立だが、撮影等便宜を図っていただいているのは確かです」という文面からお察しいただきたいと思います(^^;
 もちろん、構内撮影を断られることはあります。でも「うちだけのファンになったら許す」というのは無しですよ。独立を保てないと自由に意見が言えないのでその建て前立場を貫くことになります。独立というよりは孤立みたいですが。
 なおこのサイトは、ムーミンパパさんのサイトでは「雑学」に分類されてます。どのバス会社の応援団にも入ってない、と言うことになりますが、なんといっても過去の蓄積がほとんど無いのは痛いところ、10者も対象にし手を広げ過ぎなのは事実で、蓄積は度外視して現在で勝負だと言っても、やはりどこも応援してないじゃないかと言われると、反論は難しいですね。もちろん、どちらか一方だけ応援するわけには行かないのはもはや言うまでもありません。雑誌「鉄道ジャーナル」が鉄道趣味誌ではないと解釈される場合があり、当サイトが「趣味の範囲から逸脱」しているのではないかという疑念も、本ページから湧きそうです。

当サイトの今後

 さてサイト開設5周年が経過してしまいましたが、周りを振り返れば、精神年齢だけはGLAYのファンと同程度、でもなぁ、という状況に陥っている自分に気づきます。気持ちだけ若くてもね。
 事業者側を見回すと、鉄道の分野では、西武と小田急の提携企画乗車券、西武と東急だけのジョイント企画というものが現れ始めました。ライバル同士手を携えるべきだという認識が広まってきたようです。当サイト上に現在はない「事業者別ページ」や、西武と東急が同居する見たまま情報ページ、神奈中と横浜市営や相鉄、小田急と京王が同居する時刻表ページなどがあるいは微力ながら貢献したのであれば幸いです。もっとも事業者別ページの路線別解説をはじめようとすると、走行中のバスを撮影することが増え、「完成」させるなら10者に対して5年以上の時間が必要となり、事業者側をわずらわせる機会は増え、とうてい良い状況とは言えません。結局そちらのページの増強はあきらめました。
 時刻表・営業路線案内も事業者サイトにほぼ出揃い、当サイトの使命(わざわざやること)はそろそろ終点が見えてきたところでしょう。それでもやりたいことはありますが、少なくとも各社のノンステップバスを写して回る必要はもうないでしょう。そうはいってもムーバスに次いではなバスが現れ、東京周辺ではいつのまにかない自治体を数えたほうが早くなった、コミュニティバスというものに論点を見出すことができます。STサービスも除外できません。
 電車とクルマのまんなか、バス趣味はライフワークと化しそうです。

 だれかいっしょに映画を見ようという女性、現れる訳ないか。

※小田急、京王、関東、西武、東急、立川、神奈中、川崎市営、相鉄、江ノ電の10者の順は、実際の利用頻度や利害関係とは無関係に、2003年11月ほぼ確定しました。都営などはなく、あくまでもサイト内での順番だけに、たぶんこれからも変らないでしょう。
(2002.9.28.復活)(2003.9.13.追補)(2003.12.12.追補)

*廃止も当然!?

 ついに都営地下鉄大江戸線全通と、南北線・三田線東急乗り入れの分も含めた都バス整理の日がやってきた。
 まず[秋76]の全廃を確認し、とりあえず11日まで連日雨でも良いように最低限の写真を収めてきた。さらに[田70]などの写真も収めてきた。[都03]は晴海まで1往復、[秋76]は最初で最後の新宿→秋葉原乗車をし、[黒10]も乗車した。12月12日は無邪気に都営大江戸線の新規開通区間を乗車してきたが、地下40〜50mと言われる六本木駅での乗り降りはしなかったし、大江戸線の本当の姿はまだ見えない。なお昼間でも1時間10本運行される。
 結局、[秋76]についても全廃は仕方ないという結論に達した。たしかに厚生年金病院の前に停まるバスがなくなってしまうわけであるが、ほぼ全区間を地下鉄と並行するのでは[茶81][水59]と同じことになってしまうわけで、両方を運行する余裕は都にはもうないだろう。現状の東京で定時性と言う面では、同じ1時間8本運行なら地下鉄がバスに勝るのは誰もが認めるのではなかろうか。残された[宿74]や[橋63]などを利用してもらうことによって都バスの延命を図るというところに落ち着くのだろう。
 それは、一部区間でバス路線自体の廃止を意味する[田70]廃止についても同じことである。
 さて、「系統が減らされれば(営業所の)廃止も当然です」という文章を見て、営業所廃止は実は今年の9月ではないかというのはともかく、「当然だとする理由になってないじゃないか。」と噛み付いたのはだいぶ前のことである。書いた奴が営業所の近所に住んでないことが明白だったのが大きな理由である。「当然考える」のはアナタの裁量範囲だが。
 都バスの場合も「[宿74][CH01]だけになったから新宿営業所の廃止も当然です」ということはないと思う。「小滝橋や渋谷の支所になる」可能性はありえるが、敷地内に高速道路の支柱が建つかどうか不明、「廃止も当然」というには根拠が乏しい。「廃止が前提なら担当路線減は当然」というのはわかる。かつては[宿74][秋76]のほか[東72][橋78][草79]なんて路線もみんな新宿持ちだったが、それらが廃止された後目黒から[田70]が移管されている。今度も[品97](旧[四97])が品川からほぼ移管され、新宿車庫は支所として残った。それがなければ、新宿車庫が近い将来閉鎖されるのではないかという結論を出しても不思議はないが、その場合は「廃止(閉鎖)も当然考えられる」のであって、「新宿営業所は当然廃止」と言えばヘタをすると中傷だろう。
 「利用客が減ったから廃止も当然です」「地下鉄と全線並行だから廃止も当然です」はどうだろう。
 東交上層部はどう考えたのか、新宿乗り入れバス路線の復活を検討しているらしいという情報がINET上に流れた。電力の多くは火力発電に頼っており、また都バスの整備レベルならDPFを装備すれば「黒煙」の害は大きく低減できるはずである。第一原油の精製というのはナフサだけ、ガソリンだけというようには行かない。ガソリンも軽油も灯油、重油、ナフサその他、ついでに採掘時には天然ガスというようにみんなそろうので、バランス良く消費することが大事であろう。実は都バス削減は大気汚染低減に直結しないのだから、必要かつ採算面で折り合えると判断したら路線復活をためらうべきではないと思う。
 そして、新宿区の嘆願路線という形で、ルートも頻度も従前とは言い難いが、都バスを復活させたことを喜びたい。
(2002.9.28.追補)

*東京急行電鉄から分離したのは、相模鉄道・白木屋・東映のうちどこでしょう?

 先日ラジオを聞いていたら、「昭和35年(?)TV放送がカラーになりました。東京、大阪、あと民放の…」と言っていた。(悪いけど聞き違いではなかった。)
 オレがこどもの頃はまだ、ブラウン管のすみに(カラー)という表示があったし新聞にも「カラー放送」の表示がまだあったと、記憶している。それは、白黒TVがまだ多かったからというのも理由ではあるが。
 そんなことを言わなくても、名古屋や福岡がないじゃないか、ということで「カラー(放送)になりました」は誤りだと分かる。「一部」など限定する言葉がない以上、基本的には(日本国内の)TV放送が全部カラーになった場合以外は誤り。
 正解は「TVのカラー放送が開始されました」(始まった、スタートした等)。実は「〜TV局8局がカラー放送を開始しました」とあとで言うので表現を変えたのかもしれないが、例えば総合TVの全面カラー放送化は1971年のこと(放送文化研究所HPの年表から)であるから、他の言い方はなかったのかねと思うわけ。
 これを趣味の世界で考えてみよう。
 「小田急バスが冷房になりました。」
 誇らしげに路線バス冷房化100%達成(1987.5.28)記念回数券を発行した小田急バスではあるが、最初の冷房車(BU10D)導入は1976年8月だったものの、その後冷房車BU15Kと並行して非冷房BU04Dも購入していたのである。1台でも導入すれば「小田急バスが冷房になりましたね」は嘘ではないが、やってきた小田急バスが非冷房なら言った奴は「ウソツキ」という視線にさらされることになる。
 もし「小田急バスが…」の前に「小田急電鉄の本社社屋に遅れることy年」とあればバスのことではなくなるし、本当は「小田急バスの新車」などと言うべきところである。根拠のないウソではないが、論理上は立派な誤り。
 「神奈中のサーフライン車は引退しました。」
 「神奈中のサーフライン車が引退しました。」は1台引退でも嘘ではないが、「サーフライン車は引退…」となれば文法上は全車引退である。「サーフライン車は全車引退…」と「サーフライン車が全車引退…」との「は」「が」の違いが問題になる場合も少なくないし、文章は判りやすく、「ついに7Eにも地方(事業者)流出車が出ました」「1台だけ残ったサーフライン車は、春のイベントを最後に引退します…」「平塚管内ではサーフライン車は(全車)引退です」などと書きましょう。
 「最近平塚駅前で5Eボディ車を見かけないので、あるいは全車引退かもしれませんね…」 推量(疑問)なのでこれは嘘ではないが、やはり富士重5E車が来るまで張ってい て欲しいものである。車齢を考えればまだまだのはずであるが、文章上とはいえ茅ヶ崎の5E車まで(※)引退させられても困るし…

 最近増えた例では、「大東急が東急・小田急・京王帝都・京急の4社に分かれた」と、「大東急から小田急・京王帝都・京急の3社が分離した」とは違う、というのがある。

 設営者も細かいところに神経がいきとどきにくい。2001年7月の時点で「カナちゃん号の引退イベントの速報」という場合、カナちゃん号保有事業者の80周年記念行事等、イベントとしての開催可能性が容易に推定できるが、サーフライン車引退イベントと違い「あるかないかまだわからない」◆。私がその話を持ち出した結果予定のイベントが中止になってしまったということになれば、最初からなかった場合より損害が大きくなるし、反面キャラクターグッズに欠陥があったため関連行事の中止なんて場合でも私が責任をかぶせられかねない。
 そんな設営者が、いやだからこそか、こんなことにこだわるのは、「あるバスbがノンステである」∃bと、「すべてのバスbがノンステである」∀bは大違いだから。前出の「路線バスの冷房車」「TVのカラー放送」だって最初の1台導入(番組開始)から100%達成まで10年程度の期間を要している。(後者の場合白黒で制作された番組の再放送はカラーにはならないがそれは考慮外。)
 「あるマスコミ(関係者)が…」と「すべてのマスコミ(関係者)が…」は違うと思い、ずっと我慢している…
※[茅06]系統は2000年に平塚営業所に移管されたので、茅ヶ崎車の平塚駅乗り入れは定期運用としては消えました。なお平塚の5E車は一度すべていなくなったのですが、2002年3月平塚営業所にいすゞ5E車が配属されたのを確認しました。
◆幸い新旧カナちゃん号のイベントは2001年12月8日挙行されました。
(2000.5.7.)(2000.10.,2001.7.29.,2002.4.訂補)

*バス路線乗り潰し

 趣味が車両系ではない私は、バス撮影よりはバス路線乗り潰しのほうが趣味活動になろう。
 乗り潰しにも、もちろん自分で決めたものだが、ルールがある。

 系統乗り潰しと、全線完乗は別扱い。
 起点から終点まで通しで乗らなくても、何回かに分けて全区間乗車すれば完乗と扱う。
 2社以上で運行している系統については、各社の系統を別にして扱う、ただし完乗は1社だけで可。([立71]立川駅南口〜富士見町団地操車場/新道福島間でなくても、別扱い。なお、この路線の場合は終点が会社別なので、帰りは新道福島から富士見町団地操車場まで歩いて「両者全線完乗」した。)
 往復の途中で経路が違う系統の場合は、その区間だけでも往復乗らないと完乗と扱わない。
 循環系統については、循環部を全部乗らないと完乗と扱わない。

 例えば、[鷹54]系統、三鷹駅〜仙川・杏林大学病院間の場合。※
 この「路線」は、2000年6月の改編前の時点で、
1) 三鷹駅南口〜三鷹市役所〜南新川〜新川団地中央〜仙川
2) 三鷹駅南口〜三鷹市役所〜南新川〜杏林大学病院
3) 三鷹駅南口←三鷹市役所←南新川←新川団地中央
4) 三鷹駅南口〜三鷹市役所〜南新川〜中原三丁目〜仙川
5) 三鷹駅南口〜北浦〜南新川〜新川団地中央〜仙川
6) 三鷹駅南口〜北浦〜南新川〜新川団地中央
7) 三鷹市役所→南新川→新川団地中央→仙川
 と、実に5系統以上から成り立っている。(3)7)は伝聞による。)

 これらについてだが、
 1)2)は完乗
 3)4)5)は乗車ずみ
 として扱ってきた。
 そして、
 4)は、三鷹駅〜AA語学院間を乗車すれば完乗となる。
 しかし実際は
 1)2)4)5)7)が乗車済み のようである。2)の完乗は不明。
 完乗記録を作りたければ、2000年6月の路線改編の前に何とかしておかなければならなかったが、それは果たなかった。その代わり、1日だけの運行である三鷹駅→新川通り→(東八道路)→南新川→仙川 ルートには乗車しておいた。
 改編後は 1) 三鷹駅南口〜三鷹市役所〜杏林大学病院〜新川団地中央〜仙川
2) 三鷹駅南口〜三鷹市役所〜杏林大学病院〜中原三丁目〜原山交差点〜晃華学園西
3) 三鷹駅南口〜三鷹市役所〜杏林大学病院〜中原三丁目〜仙川
4) 三鷹駅南口〜三鷹市役所〜南新川→杏林大学病院→三鷹高校前→三鷹市役所→三鷹駅
5) 三鷹駅南口〜北浦〜杏林大学病院〜新川団地中央〜仙川
6) 三鷹駅南口〜北浦〜杏林大学病院〜新川団地中央
7) 三鷹市役所→杏林大学病院→新川団地中央→仙川
 となり、現時点では1)のみ完乗である。

 循環系統だが。
 [調01]調布駅南口〜多摩川住宅については、調布駅→住宅北口(京王帝都)と多摩川住宅中央→調布駅(小田急)を合わせて完乗と扱っている。
 鎌倉湖循環(江ノ電)については、終点まで乗せてくれたので1周できて完乗。ただしそんな客はオレひとりだったが、循環部の乗降が激しかったのであまり目立たなかったようだ。あっ、白山神社から大船駅までの運賃は別に払いました。
 [茅14]室田循環については病院経由だったため、ぼけっとしているうちに高田三丁目まで戻ったところで下車して(全線均一)完乗と相成った。
 [境92]系統の場合は、吉祥寺〜武蔵境は完乗だが、山中循環は武蔵境駅南口→野崎八幡間しか乗ってないので残りはこれから。(無理して乗ることはないが。)
 [石01][石02][石03]比丘尼橋経由石神井公園駅行き循環/成増駅南口行き/練馬車庫(国際)行きについては、[石02]の成増町→石神井公園駅だけ西武バスで完乗した。
 乗ろう乗ろうといううちに循環部の方向が実際と違うというEメールをもらったのが[武31]中大循環。この路線、完乗したつもりでも、平日土曜の朝は違うルートを通って駅に出る。訂正はできたが全線完乗はいつのことやら。
 一周1時間以上の循環路線、青森市営横内環状線は青森市の街並みをいろいろ見せてくれるので乗り甲斐がある。青森駅から青森駅までの乗車運賃も規定されているが、青森駅〜市役所間は重複なので、帰りは駅の手前で下車した。
 [森06][森07]上池上循環の場合はどうなるか?東急バス都内一日乗車券は買い足してあるので、いつかチャレンジしてみたいものである。
 最近成城学園前駅〜成城警察署〜千歳船橋(駅)系統の完乗を果たした。乗り通しではなく榎バス停で一旦下車した。帰りは京王バスのバス停の方が近かったが、珍しい機会なので榎まで歩いて乗車した。別にアンチ京王だとか小田急バスファンだとか言う理由ではなく、救急救護隊みたいな記号が表示されていた頃から全線利用しているバスを、毎回利用する義務はないと思ったからである。
(99.7.11/2000.10.17.修正/2001.7.29.追補)

*三つ子車

 最近はクルマのことに疎くなっている。クルマの月刊誌を買うこともなくなった。だから少し古い話になる。
 自動車の世界には「双子車」「三つ子車」というのがある。例えばトヨタのコロナ・カリーナ・カムリは一時期そうだった。日産のサニーはFR(バスと同じ)で登場し、パルサーはデビュー時は1Lクラスでは画期的なFF(前輪駆動車)だったが、最近ではサニーがFFとなり、カローラとスプリンターの場合とは異なるものの一時期双子車に近い存在になった。基本的にはパルサーがヨーロッパ調ということでサニーと差別化されている。
 なにをもって双子三つ子というかはデザインを比較してもらえばわかるとしか言いようがない。ちなみにホンダドマーニといすゞジェミニは双子車ではなく、ジェミニがホンダのOEMである。ただしドマーニがいすゞのディーゼルエンジンを載せていれば共同開発車で双子ということになるが、その辺すっかり疎いので不正確さはお許しいただきたい…。「間違いだらけ」ではやはり困るのだが。そういえばあの本、年2回発刊になったようですね。
 その「間違いだらけ…」の著者によると、クルマはトレッド(車軸長にあたる)とホイールベース(車軸間距離)の寸法が異なれば、エンジンが同じでも同一のデザイン・商標でも違うクルマになるのだという。その根拠は本文に当たらないと分からないのだが、居住性、取り回しなどが変わってくるのでその2つはクルマの性質を表す重要な数値だそうである。それにオーバーハング、リアオーバーハング(それぞれ前輪より前、後輪より後ろの車体長)などもからむだろう。
 バスの世界にも「エアロスター」「エルガミオ」「ブルーリボン」「スペースランナー」とか愛称があるが、富士重工7Eボディの車両はシャーシが日産ディーゼル製かいすゞ製か、バスというクルマにあまり関心のない人にはわかりにくいだろう。私などはエンジンの音で区別がついたので、UAとLVの区別は付くとはいっても、もちろんルーバー(後部の排熱孔)の形状で分かるのだが、いつも聞き分けられるわけではなく、西工のUAはルーバーの形から、進行方向右側にあるにもかかわらずいすゞ車に思えて仕方ない。8EのRMとLR(RPとLT)との区別は私でもつきにくい。
 逆に、同じいすゞLVでも富士重7EボディとIBUSキュービックそしてエルガとでは3車3様という感じで違いは誰にでも分かりそうであるが、エンジンが同じ(8PE1なら出力は2種類あるが)で、ホイールベース(K尺、N尺などと言います)も同じならサスペンションが板バネの場合シャーシは同じ、形式はLV380L(L尺、WB=4800mm)で「同じ車」ということになる。
 昔はバスのボディメーカーも現在より多く、富士重工ボディの7E車までは日野車・三菱車があったほどでバリエーションには事欠かなかった。そして座席や車載機器なども考えれば現在でもまだまだバスは基本的に注文生産であり、塗色の違い以外にもよく観察するといろいろな違いがあって奥が深い。
 そして、私は鈍感なのであるが、LV380LとLV380N(WB=5300mm)はこれも異なる「クルマ」ということになる。
 なお、尺と記号(型式)と使い道などの解説については他のHPを参照いただきたい。私自体「あれ、5000mmだっけ4800mmだっけ」という状態なのである。CJM500とかいう型式なら500cmでわかりやすいが、デビュー当時は私に型式の知識がなかった。バスの型式については他のHPのお世話になっているのが現状である。
 反面、型式が同じでもエンジンの音が2種類あり同じ形式とは考えられない場合がある。電車の場合現JRの103系は著名な例であるが、バスの場合にもそういう例がある。前出8PE1エンジンの場合は出力が2種類あり音も低出力のほうが幾分低いようなのでK尺車などで確認してみたいが、以前のいすゞCJM500のエンジン6QA2も音からいうと2種類あるようだ。同エンジンはLV314にも引き継がれたが音質は変わり、LV314LはWB=5000mmなのでCJM500と「同じクルマ」のはずなのだが、まったくそう思えない。
 私が書くことではないかもしれないが、バスというのは車両面だけでも奥が深いようだ。
 最近CJM500(CLMやCQMも)の世代の車両淘汰が急速に進み、静鉄や羽交などの車両も消滅は秒読み段階のようである。日デにしてもU30、あとMP118、あるいはRCなどが消えそう。
 バスを追っかける者たちの心理は常人には分かりにくいかもしれないが、趣味の奥深さが分かってもらえば、あるいは自家用車と違い導入から引退まで処遇は他人任せになるのでそれだけますますという感情がわかってもらえば、少しは理解してもらえると考えている。
 もちろん私は鉄道とマイカーの両方が(後者はまだ)趣味のうちなので、バス屋と言われれば中傷でも賞賛でもなく、事実だろう。ちと知識に欠けるけど。
(2000.12.20、2001.1.27.訂正、7.29.追補。)

!バス事業50周年

 1950年6月20日 二俣川〜岩井町間10.8km開業
 1950年12月15日 浜町三丁目〜新丸子駅前間12.0km開業
 1950年11月 若林営業所開設 三軒茶屋〜幡ヶ谷間5.5km免許
 これら開業または免許(申請?)の3件とも、それぞれの事業者にとってエポックメーキングなものである。
 相模鉄道は、茅ヶ崎橋本間国有化などの結果戦時統合でバス事業を放棄して終戦を迎えた。戦後1947年に東急兼任の役員が退任し東急から独立するが、沿線には横浜市営・神奈中のバスが走っており、自社バスによる沿線防衛の必要があった。
 川崎市は戦時中に市電を開通させたが、戦後の混乱期に、市中央部(現幸・中原区相当)と臨海工業地帯とをバスで直通させ川崎駅での混雑を収拾させるとともに、バス過疎地区である市西部の交通を念頭に置いた、市営自動車事業への進出の気運が高まっていた。
 小田急電鉄は終戦時座間付近のバス事業を手放し、帝都電鉄から継承したバス事業は1948年京王帝都電鉄に承継され、代りに神奈川中央交通を承継したものの柿生以東でバス事業を展開できる見込みはなく、東急・京王帝都のバス進出に直面していた。
 前の2者は申請免許が下り、晴れて1950年バス事業(再)発足と相成った。
 小田急電鉄は国際興業傘下入り以降も不振が続く武蔵野(乗合)自動車を1950年8月17日付で買収し、9月1日小田急バスと改称した。同社をもとに若林営業所開設から新宿三軒茶屋間バス開業にこぎつけるのである。
 というわけで、3者にとって今年は意義深い年である。祝い方は三者三様のようだが。
(2000.9.27)

*夏ダイヤは夏休み

 こどものころ、小学校が夏休みになると、バス停に夏ダイヤが貼り出されていた。期間は7月21日から8月31日まで。1時間5本あるものが4本に減らされているとか、そんな感じだった。終バスの時刻はほぼ同じ。お盆だけ運休とか、金曜日に休日ダイヤで走るとかいうことはなかった。夏ダイヤが平日も休日も区別なしという場合もあったと記憶している。夏休みだから学校が休みでお客さんが減るし、運転士も暑い時は休みたいだろうし、とか当時の私は想像していたようだ。夏休みの家族サービスという概念まではあったかどうか…
 昨年の夏ダイヤに、8月8日から15日まで毎日休日ダイヤで走るという「剛のダイヤ」があった。もちろん朝ラッシュ時は増発し、深夜バスは走らせるのだが…
 しかも15日の翌日からは平日ダイヤなのである。  それが勤勉?な他社にひきずられて??と知ったのは、後日のことであった。

 それも翌年は、平日ダイヤを2日だけ変更するというおとなしい?お盆ダイヤとなったが、以後は盆ダイヤらしきものは実施されていない。お盆だろうが平日ダイヤ、深夜バスはすべて運行した模様。やれやれ。
(99.9.11.。2000.8.12,2002.9.28.訂補)

*パリ祭

 TGVにもSNCF(フランス国鉄)にも乗ったことがない私ではあるが、フランス映画好きであり、他にももろもろの理由があって、7月14日は特別な日である。
 似たような日は他にもある。そういう日(5/18,12/7など)は、真っ直ぐ帰宅せずに映画を見たりバス電車に乗りに行ったりすることが多い。
 しかし、今日は天気も悪そうだし、一目散に帰宅であろう。

 シェルブールの雨傘なんて映画、ありましたよね。(テーマ曲しか知らない。)

(99.7.14)

$散財の春

 蒲原鉄道の廃止は延期、名鉄美濃町線のほうはあきらめるとして、それでも新潟交通の鉄道線は乗ってきた分、バスカードも合わせ散財とあいなった(TT)
 全体が緩んだ定期入れからはバスカードやテレホンカードがこぼれおちるし(TT)

 経費節減のため、当研究室の対象とする主要10社の取材もペースダウンである…
 一方、小田急バス(立川バス、神奈中バス)のノンステップバス取材もままならない。なんといってもシャッターチャンスを逃してしまうのである。

 ただ、蒲原鉄道の廃止は9月、場合によっては10月にずれ込んだ。だから旅行資金のほうは夏のボーナスでカバーできるのである。
 一人身というのも、財布の紐を絞り足かせをはめる山の神がいないということで、よしとするか…
 引きとめてくれる女性がいないという解釈もなりたつ(TT)
(99.6.13)
昂痛交論
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