お江戸ぶらりんこ 薫風編
谷中の墓地 (散策日 5月8日) この春、上野の山は「大騒ぎ」でした。東京国立博物館で「没後500年・雪舟展」が開催されたからです。海外に出てしまった雪舟の作品もお里帰りしてのこの大々的な展示会。「没後500年・・、きっと私が生きているうちには、これだけの雪舟の作品をまとめて観る事はできないだろう。だったらまだ少し早いけど、冥途の土産に・・。(笑)」とこの日、朝8時前には家を出て上野の博物館へ行きました。 ラッキーにも私は事前に券を入手。博物館前に8時50分には到着。それでもすでに並んでいましたよ。券売機が開くのも、博物館の門が開くのも同じ午前9時半。券を持っていない人は券売機の方に並んでいました。どんどん並ぶ人が増えていきます。券のない人は、9時半になって券を買ってから改めて入場する方に並ばなくてはなりません。(本当に券があってよかったー!)そしてやっと9時半、門が開きました。急いで「平成館」へ。私はほぼ一番乗り。ゆっくりと雪舟の画を堪能する事ができました。11時前には館外へ。「これで家に帰るのも物足りない。」と突如谷中の墓地をぶらりんこする事にしました。 上野駅から2つ目、日暮里駅で下車。もう駅のすぐそばが墓地の入り口です。この谷中という地域は寺・墓地・住宅が渾然一体となっている摩訶不思議な空間とでもいいましょうか・・。約1時間ちょっとかけてぶらりんこしてみました。 見つけた有名人の墓 @川上音二郎(俳優・興行師 「オッペケペー節」で有名 ) A高橋お伝(殺人罪で斬首 「毒婦」と呼ばれた) B馬場孤蝶(英文学者) C朝倉文夫(彫刻家) D牧野富太郎(植物学者) E横山大観(日本画家) F鏑木清方(日本画家 美人画で有名) G大原重徳(幕末攘夷派公卿) H佐藤一斎(江戸後期の儒学者) I伊達宗城(幕末・宇和島藩主 四賢候の一人) J高松凌雲(医者 箱館戦争の際五稜郭でけが人の治療にあたる) K徳川慶喜(徳川15代将軍) L渋沢栄一(明治の実業家) M鳩山一郎(戦後の首相) これらのお墓をぶらりんこして印象に残った事は・・(箇条書きにします。) ・伊達宗城の墓は、幕末では有名な四賢候なのにもかかわらず控えめでちいさいものだった。(お気の毒なくらい) ・日本画の大家・横山大観の墓は、墓石に「横山大観」と刻まれているだけ。さりげなくファンからの花束が手向けられていたのが印象的だった。大観の墓は鳩山一族の墓とお隣同士だった。 ・徳川慶喜の墓やその他徳川家の墓は上野・寛永寺の管轄だった。(他の墓も寺によって管轄が分かれているようだった。)徳川慶喜の墓は墳墓型だった。 ・川上音二郎の墓はおもしろい形(銅鐸のような形、色も肌色っぽいかんじでユニーク)をしていた。 ・雲井龍雄の碑があった。(雲井の墓は彼の郷里山形にある) ・とにかく「正〇位陸軍少将」だとか「勲〇等〇〇」といった肩書き付きのお墓がやたら多い。(一番ムカついたのは、自分は天までそびえそうな大きな墓なのに奥さんの墓はものすんごく小さい墓の家があった事。) ・高橋お伝の墓は何故か鼠小僧の墓のように削られていた。 墓地の入り口(メイン・ストリート)近くに交番があって、言えばこれらのお墓巡りのための地図がもらえます。(無料) 私は高橋お伝の墓を見ていた際、一緒だった年配の方々から分けていただきました。この高橋お伝の墓や川上音二郎の墓があるメイン・ストリートのちょうど真ん中辺に、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルになった谷中天王寺・五重塔跡(昭和30年代に焼失)がありました。 高橋泥舟や山岡鉄舟(これに勝海舟を加えると「幕末三舟」)の墓まで行きたかったんですが、谷中墓地より離れた寺にあって、ここまでのぶらりんこで相当疲れてしまった私は無念にもここでリタイア・・となりました。(鉄舟の墓は幽霊の掛け軸で有名な全生庵にあります。) 新選組関係では、高台寺党の新井忠雄の墓が谷中墓地にあったようですが、事前の調べが甘かったので行く事はできませんでした。(残念) 「たまには、こういう大きな墓地のぶらりんこもいいかなー。」ってぐるぐるまわってみましたが、もっと詳細な地図がほしかったです。広くてわかりづらい!配布している地図はごく簡単なものですし・・。伊達宗城候の墓なんて全然わからず、同じ場所を何回もぐるぐるしていました。有名人の墓のある大きな墓地巡り(青山霊園・多摩霊園・雑司が谷霊園・染井霊園など)もけっこう楽しいモンだなぁと思った一日でした。 また行きたいような気もしますが・・・。色々あったので今は自重しています。(だって怖いから。(笑)) この谷中墓地巡りは墓地という事もあって写真は撮りませんでした。 |