お江戸ぶらりんこ 03’ 梅雨寒編


 浅草ふたたび (散策日:6月29日)

ふたたび浅草です♪ 天気は快晴。今日のお供はダンナです。(笑) 2・3日前から「天麩羅が食いたい。」と騒いでおりまして・・・。(これは「浅草へ行きたい。」というデモンストレーションです。汗&笑) 午前9時半に出発。お得意の都営地下鉄大江戸線で上野御徒町経由で浅草まで。11時15分ごろ到着。まずは観音様へ。 ・・・と既にすっごい人の数。(汗) 雷門のメインストリートを避け、観音通り、メトロ通りを浅草寺方面へ歩いて行きました。仲見世柳通りとぶつかり、更に真っ直ぐ行くと先月も寄りました染絵・手拭いのお店「ふじ屋」があります。江戸好みの柄から、古典柄、季節を感じさせる柄まで、手染めのすばらしい手拭いの数々。夢二の「黒船屋」を染めた手拭いもありました。先月買い損なっていますので今日はわらわら・・・と5枚も買ってしまいました。(汗) 京都の永楽屋もそうですが、手拭いは一種のアート。額に入れて飾ればそれは一枚の絵となってしまうのです。お店の話だと、季節によって手拭いを入れ替えて楽しんでいるお客さんも多いとか。大きな額を飾る部屋がないので、額に入れる事は諦めましたが・・・、美しい手染・手拭いにはとても心惹かれますね。


染絵手拭い ふじ屋


そして観音様にお参り。その後、観音堂右側にあります浅草神社へ行きました。言い伝えによると628年、隅田川から引き上げた観音像(浅草寺本尊)に関わったとされる3人(流れてきた観音像を川から引き上げた漁師の兄弟と祀ったとされる僧侶)を祀っているのがこの浅草神社(通称「三社さま」)。5月の三社祭はあまりにも有名ですね。 今月は大祓いの月(6月と12月)との事。、境内、社殿の前に「茅輪(ちのわ)」という大きな輪っかがありました。注意書きによるとこの輪を左回り、右回り、そしてもう一度左回りにくぐる。それが済んでから社殿に拝礼すると、この半年間の厄が祓われるという事です。もちろんやってきました。(笑) 


浅草神社 社殿前の「茅輪(ちのわ)」


浅草寺・観音堂の前を通って、五重塔通りから公園大通り商店街、この辺りは何だか昭和のにおいのする店がいっぱい。やぼったくて、垢抜けなくて、労働者の汗の臭いのするような・・・。若い時はそういう場所って毛嫌いしていたんですが、今では何故だか懐かしくて、そういう店の集まった通りを見るとのぞいてみたくなってしまいます。(笑) そんな通りを左に曲がると・・・、有名な浅草六区(映画館や演芸場が立ち並ぶ)に出ました。


公演おお通り商店街(飲み屋が多い) ロックフラワー・ロード 六区ブロードウエイ


仲見世通り方面へ戻ろうと左折。そこに洋食で有名な「ヨシカミ」がありました。午前11時半をちょっと過ぎたくらいの時間なのに、店の前は大行列。(汗)驚きました。その前を通りすぎ、浅草公会堂のところまで来ると今日のお目当て、天麩羅の「中清」がありました。江戸後期、雷門の門前で天麩羅の屋台をやっていた中清の初代が座敷で天麩羅を・・と明治3年に現在の場所に店を構えたのが始まり。歴代の常連客の中には、あの永井荷風の名前もあります。とっても素敵な店構え。天麩羅も江戸前の魚介しか扱いません。私は上天丼を食べました。美味しかったです。


天麩羅・中清


目の前には伝法院。「伝法肌」という言葉があります。この元になったのが伝法院です。「伝法肌」とは乱暴な・・から転じて威勢がいいというような意味。本来此処は浅草寺住職の居住するところ。その昔、この伝法院の奴(やっこ)たちが大層乱暴で手が付けられなかった事からこの「伝法肌」という言葉ができたそうですが、今ではそんな事を思い起こさせるものなど何もなく、ただただ、固く門が閉ざされていました。院内を見学したかった・・・。


伝法院・正門


伝法院通りから仲見世通りに出て、雷門方面へ戻ってきました。雷門の門前、右に先月入った天麩羅の「三定」、土産物屋の「黒田屋」、そして左には浅草と言えば・・と言うほど有名な雷おこしの「常盤堂」。お店の外観は変わってもこれらの店は江戸の昔からずっとこの場所にあって、土方歳三や伊庭八郎がもしかしたら観音様へ来たついでに店に寄ったかも・・・などと考えると嬉しくなってしまいました。(笑) お江戸の昔から昭和の頃といった古き良き時代のにおいが残っている街、それが浅草なんだと思います。 この後、深川江戸資料館へ行きました。