幕末ぶらりんこ 04’
・・・新選組関係・・・


足立・流山新選組史跡めぐり(散策日:3月10日)

「新選組 五兵衛新田の19日」展を見るため、東京都足立区大谷田にある足立区立郷土博物館へ行きました。郷土博物館へは、JR線・綾瀬駅や亀有駅からバス(東武バス)で行く事ができるのですが、今回は流山まで行く都合上、北綾瀬駅からタクシーに乗りました。(※北綾瀬駅前ではタクシーはつかまりません。(汗)たまたま私はタクシーの無線配車センターの番号を知っていたので、すぐに呼べましたが。ですので、タクシーに乗るにしても、バスにしても、綾瀬駅に出るのがよいと思われます。前置き長すぎ・・。(汗))


足立区立郷土博物館


館内は独占状態。(汗&笑)思う存分、資料を見学。佐々木半十郎(この地域の代官)の松本良順宛ての手紙、大久保大和宛ての手紙、大久保大和ののし袋、覚(おほへ)(慶応4年3月13日から4月1日までの新選組(「大久保大和御人数」)の屯所運営に関する帳簿)など全部で10点。(これは「金子家文書」といわれている資料ですね。) 五兵衛新田の金子家は、新選組に対してあまりいい感情を持っていなかったというエピソードを知っていたので、まさか、ここまで資料が残っているとは思いませんでした。大感動。金子家のご子孫に感謝です。 ※館内撮影は博物館の方の許可を得てしました。


展示資料(1) 展示資料(2)


次に五兵新田・金子家へ。博物館からはかなり離れているので、ここでもタクシーを利用。慶応3年3月13日から4月1日まで、新選組は五兵衛新田(現在の綾瀬)に駐留。この地の開発者の血族で、当時、名主見習い職にあった金子家を本営としました。金子家へ到着。立派な門構えですね。


五兵新田 金子家


次に分宿所だった観音寺へ行きました。五兵衛新田駐留中、新規に入隊希望者もいたために金子家だけでは収容しきれず、この観音寺が分宿所となったそうです。金子家からすぐの場所に観音寺はありました。

観音寺からJR綾瀬駅はすぐです。昼食後、綾瀬から流山をめざします。馬橋駅下車。此処から流山線に乗り換え。流山まではだいたい12〜3分です。ラッキーにも「新選組號」に乗る事ができました♪ 


観音寺本堂 流山電鉄・「新選組號」


流山駅に到着。まず、流山市立博物館へ行きました。「新選組 流山に入る」のコーナー展示が新たに開設。 従来からある長岡屋・土蔵の階段、そして、最近発見された新史料「恩田家文書」の展示もありました。「恩田家文書」の実物は虫食いだらけで、非常に損傷が激しい。ですが、展示ではその下に、書き下し文と解説文が出ていて、とても読みやすかったです。


「新選組流山に入る」展示コーナー入り口 展示(真ん中の臙脂色の展示が「恩田家文書」)



長岡屋・土蔵の階段


博物館を後にし、長岡屋跡へ行きました。ここは一昨年の春に一度来た場所です。大河効果なのか、何人かの見学グループに遭遇。


流山・長岡屋跡


その後、流山での分宿所、光明院へ。長岡屋跡から流山線・平和台方面に戻る感じで歩きました。右側は江戸川の土手が見えています。こうやって日々、近藤さんの伝令を分宿先へ隊士が連絡していたのかと思うと感慨ひとしおでした。でも・・、けっこう距離ありますね。(後で調べたら500メートル。そんなでもないか・・・。汗)

帰りは平和台から流山線で帰宅。 近くにJR武蔵野線の南流山駅もあり、「こっちを使った方が便利だったかも。」と思いました。馬橋から山手線内まで出るのがけっこう時間がかかる・・・。(汗) やっぱり流山は遠かった・・・。ふぅ


光明院